[CML 004558] シベリア抑留、戦後強制抑留者特別措置法が成立
maeda akira
maeda at zokei.ac.jp
2010年 6月 17日 (木) 11:09:06 JST
前田 朗です。
6月17日
昨日、シベリア・モンゴルなどに抑留された元日本軍兵士に特別給付金を支給す
る戦後強制抑留者特別措置法が成立しました。全国抑留者補償協議会の方々の長
年のご努力が実って感慨深いものがあります。そこで少々思い出を。
私はシベリア抑留問題にはあまり関心を持っていませんでした。侵略した日本軍
兵士の問題と決め付けていたからです。しかし、放置され遺棄され強制労働で酷
使された歴史を知るようになり、1998年、法律制定を求める全抑協の方たち
に出会いました。驚いたのは、全抑協の方たちは(組織が分裂していたり、やや
こしいことがありましたが、それは省略します)、ご自分たちの補償要求だけで
なく、「従軍慰安婦」への補償要求を掲げていたのです。
日本政府は全抑協の要求を否定していました。つまり、日本人であり、かつ日本
軍に雇用されていた人々の補償要求を無視していたのです。ここまで無責任な日
本政府が、アジアの被害者に補償するはずがありません。全抑協の要求を通すこ
とが、アジアの被害者への補償要求への一段階にならざるをえませんでした。
1999年8月、ジュネーヴの赤十字国際委員会で、1949年のジュネーヴ諸
条約50周年記念式典が開かれました。4条約のひとつがジュネーヴ捕虜条約で
す。このとき、全抑協の方たちはジュネーヴに飛んで、赤十字国際委員会での式
典に参列し、同時に国連人権理事会人権小委員会で補償要求のロビー活動を展開
しました。現在平均年齢88歳ですから、当時は77歳です。
その後、当時は山形県にあった全抑協事務所をお尋ねして詳しいお話を伺いまし
た。特に、敗訴に終わった裁判の資料を拝見しました。ここでも驚いたのが、当
時、防衛大学校の足立教授が全抑協を全面支援していたことです。防衛大学校な
んて認めない、と考えている私ですが、足立教授の意見書は完璧でした。私なん
かが出る幕ではないと思いました。ところが、最高裁は重要論点を全て無視し
て、請求棄却でした。最高裁は、国際法をおよそ理解してないということがよく
わかりました。
結局、署名運動に協力する以外、私は何もできませんでしたが、時遅しとはい
え、ともかくも特別措置法が成立したことを、わがことのように喜んでいます。
一段目は達成できましたから、次こそ、戦時性的強制補償法です。
<以下、昨日のNHKニュースをウェブサイトより引用>
終戦後、シベリアなどに抑留され、強制的に労働させられた人に「特別給付金」
を支払うことを柱とした特別措置法が、16日の衆議院本会議で可決され、成立
しました。
この法律は、終戦後、旧ソビエトのシベリアやモンゴルに抑留され、強制的に労
働させられた日本国籍を持つ人に対し、抑留されていた期間に応じて、1人当た
り25万円から150万円の「特別給付金」を一時金として支払うことを定めて
います。また、強制的な抑留の実態調査を総合的に行うため、政府として抑留中
に死亡した人の埋葬場所の調査や、遺骨や遺留品の収集と返還に必要な措置など
を定めた基本方針を策定し、公表するとしています。法案は16日、衆議院の総
務委員会に続いて夕方、衆議院本会議で採決が行われた結果、可決・成立しまし
た。ただ、野党のうち自民党と公明党、みんなの党は、委員会では法案に賛成し
ましたが、与党側の国会運営に反発し、本会議は欠席しました。また、たちあが
れ日本も本会議を欠席しました。
CML メーリングリストの案内