[CML 004803] 1959年沖縄 「宮森小」事件 1965年沖縄 「少女轢殺」事件 そして消された争点「沖縄」

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 7月 2日 (金) 19:13:10 JST


一昨日の6月30日は沖縄県石川市(現・うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット戦闘機が墜落して
51年目という日でした。

■墜落なくす 児童誓う 石川ジェット機事故 宮森小 住民犠牲も追悼(沖縄タイムス 2010年7月1日)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-07-01_7689/
■無念の死 後輩継ぐ 「宮森小」事故51年(琉球新報 2010年7月1日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-164345-storytopic-7.html

「今朝のNHKラジオのラジオ深夜便で50年前の沖縄の米軍機墜落事故宮森事件の証言者である
元宮森小学校の教師の話を感動を持って聞いた。/平良嘉男さんの50年経っても親御さんから
『先生だけ生き延びて』と言われたトラウマを引きずっていると言う話にはうるうるときた。/沖縄の
歴史を我々はまだよく知らない。」(大津留公彦のブログ2 2010年6月20日)
http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-95ad.html

大津留さんのおっしゃるNHKラジオのラジオ深夜便は以下のような内容でした。

「関西発 ラジオ深夜便
こころの時代『50年たっても・・・』
http://www.nhk.or.jp/r1-blog/600/34666.html

ゲスト: 沖縄県うるま市立宮森小学校校長 平良嘉男さん
元・宮森小学校教員 新里律子さん

1959年6月30日、沖縄県石川市(現・うるま市)の住宅地に米軍機が墜落し、17人が亡くなりま
した。住宅地に墜落したあと、隣接する宮森小学校に激突し炎上したことにより、死者のうち11人
は宮森小学校で学んでいた子どもたちでした。/平良嘉男さんは、事故当時7歳、宮森小学校の
2年生でした。2008年から母校の校長を務めています。/『地域の歴史のなかで起こった事故で
す。50年たっても、その時の心の傷に苦しんでいる人々がいます。わたし自身、卒業後は長い間
学校に足を踏み入れることが出来ませんでした』と、平良さんは語ります。/新里律子さんは、事
故当時28歳、宮森小学校の教員でした。4年生の担任として、生徒を守れなかったことに苦しみ
続けてきました。/お二人は、その体験を全国の人々に知ってほしいと証言を続けています。いま、
なぜ全国の人々にこの事実を知ってほしいと願うのかを伺います。」 

私は宮森小米軍機墜落事故から51年目のニュースを見ながら、報道写真家の嬉野京子さんの
証言のことを思っていました。そして、その証言に関わる一枚の写真のことを。

「4月20日、宜野座村に入りました。小学校で休憩に入ったとたん、『子どもがひき殺された!』。
なんと行進団の目の前で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺されたのです。手に通園用の
バッグを持ったまま。死んだ女の子の側に突っ立っているだけのアメリカ兵。しかし驚いたのは、
駆けつけた日本の警察でした。米兵を逮捕するでもなく、軍用車がスムーズに走れるように交通
整理をはじめたのです。/これを目の前にして何もしないわけにはいきません。『撮らせてほしい』
と懇願しました。『生きて帰れないよ』と言われましたが、引きさがれませんでした。『わかった、見
つからないようにぼくの肩越しに撮ってくれ』、一人の男性が肩を貸してくれ、たった一度押したシ
ャッターがこの写真です。」(「1965年沖縄 「少女轢殺」 報道写真家嬉野京子の証言」池田香代
子ブログ 2010年6月14日付より。下記ブログにはその一枚の写真も掲載されています)
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51424388.html

沖縄在住の作家、目取真俊さんはこの宮森小米軍機墜落事故に触れて次のように書いていま
す。

「6月30日は、旧石川市の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落してから51年目であった。同小
学校では遺族や児童生徒、職員が参加して毎年追悼集会が開かれている。今年は、亡くなった
児童11人の名前が刻まれた『仲よし地蔵』の台座に、一般市民の犠牲者7人の刻銘板も埋め
込まれたことが報道されていた。/事故から半世紀余が過ぎた今、嘉手納基地は政府がいう
『沖縄の負担軽減』という言葉の虚妄性を証明するかのように外来機の飛来が増加し、爆音被
害も拡大している。(略)宮森小学校で開かれる追悼集会の参加者の思いは、51年間踏みにじ
られたままだ。」

「参議院選挙のまっただ中だ。しかし、鳩山退陣、菅内閣誕生によって、普天間基地問題は選
挙の争点から消された。一ヶ月前までのヤマトゥの大手メディアの報道は、しょせんは鳩山首相
を追い詰めて『県外移設』を潰すためのものでしかなかった(大半は)。政治家やメディア関係者
に限らず、『沖縄問題』を語るヤマトゥンチューのうち、それが実際には日米安保の負担を沖縄
に集中させている『日本問題』『ヤマトゥ問題』であることを自覚し、その解決のために取り組ん
でいる人はどれだけいるか。(略)案の定、鳩山退陣とともに関心も一気に減少し、元に戻った。
だが、問題は何も解決しないままだ。むしろ先送りして当面をしのぐことで問題はさらに悪化する。
普天間基地問題を参議院選挙の争点から消すことで、政府も大手メディアも無関心なヤマトゥの
国民も、沖縄の『怒り』から目をそらし、『日本問題』『ヤマトゥ問題』から逃げている。なんと卑怯
なことか。」(「消された争点」海鳴りの島から 2010年7月1日)
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/595e8ee76a035f335c51f632339c154d?fm=rss

普天間基地問題を参議院選挙の争点から消すことで、政府も大手メディアも無関心なヤマトゥの
国民も、沖縄の『怒り』から目をそらし、『日本問題』『ヤマトゥ問題』から逃げている。なんと卑怯
なことか。――目取真さんのこの指弾から私は目をそらすことはできません。私は私の言葉とし
て発したいと思います。沖縄県民を踏みにじり続けている民主党政権をこの参院選で決して許し
てはならない、と。

参考:
■1959年沖縄 「宮森小」事件 1965年沖縄 「少女轢殺」事件 そして消された争点「沖縄」
(「草の根通信」の志を継いで 2010年7月2日)
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/5435309.html



東本高志@大分
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http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi



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