[CML 002763] ●さとうけいこさんの、「天皇は被害者」説に反論します

kokubo mzs at jb3.so-net.ne.jp
2010年 1月 25日 (月) 09:55:48 JST


こんにちわ! 小久保です
さとう けいこさん! あなたの、「天皇は被害者」説に対して、意見を述べます。 

,呂犬瓩
さとうさんは、次の諸説を投稿しました。
『私が彼らを被害者だと考えるのは、私は過去に朝鮮文化研究会というのに参加していたことがあり、『他民族を支配する民族には自由が無い』ということを学びました。
 他の人を支配している人たちはその人たちの心には平安はないと考えられます。制度の特権にしがみつくのは生きていくすべがわからず不安だからということもあるかもしれません。天皇家という特殊な環境に生まれたとしてもその運命を自分で変えることは出来ないからです。よって、飛躍かもしれませんが彼らも被害者ではないかと思ったからです。』

『「多民族を支配する民族に自由は無い」という私の信念にたいしてのあなたの反論に一言反論します。私は個々の問題のことを言っているのではなくて、戦争という壮大なストーリーの中で、多くの人々は、言いたいことも言えず、絶えず反撃を恐れなければならず不自由だったと思います。いいものを食べていいものを着ていいところに住むことで幸せと思う人もいるかもしれませんが、ほとんどの人は精神の自由を求めています。戦争をすると、人を殺すことを強制され、心の自由はなくなります。

確かに金融資本家のように、人々を支配することに快楽を求める人たちもいるかもしれませんが、人々が分かち合い差別を無くそうと思い行動すれば、彼らもこの世に存在できなくなるでしょう。ところが人の心の中には、他人を犠牲にして自分の命を助かろうとしたり、他人よりも物が豊かになろうとする闇があるので、それを利用されているのです。

新しい政権の中でも、日本人が遣られないように軍事力をと考えている人たちがいっぱいいると思います。個々の問題で裁けば良いのに、国として軍事力を持つことの意味を分かっていないのです。そのことによって自分達が受けなければならない不自由さを分からないのです。人の命を犠牲にして自分は助かろう精神を反省して、それを実践するために出来たのが憲法9条だと思います。
今、国の進路を問われているときに、私達は平和憲法を生かして平和憲法にふさわしい民主的道徳を考えて行きましょう。』

 『私は天皇は戦争責任があったのに、その責任を取らなかったので、責任能力の無い人なのだなあーと思ったのです。戦後、新しい憲法の下でも天皇や元皇太子が憲法違反の言動を繰り返していたことを増田さんは指摘していましたが、そのような状態の時どれだけそのことをマスコミや市民が問題にしたでしょうか? 増田さんのように問題にした人は大勢いたと思いますが、世論的には少数意見として問題にはされませんでした。
なぜマスコミや政治家が問題にしないかというと今でさえも天皇問題はタブーなところがあるからです。

話はそれますが、天皇に在日朝鮮人学校への右翼のいやがらせや暴力についてどう思うか聞いたら、右翼の活動も少しはトーンを下げるのではという私の希望的観測です。

最近の日米安保の問題は、政権が変わっても、昭和天皇が保身のためにアメリカと取引をしたことによって、一般マスコミも多くの政治家の間でもこの問題については思考停止の状況が続いています。自分達の頭で考えてみようと言う意思が感じられません。
確かにこの市民MLの「どうする?あんぽ」のようなユニークな取り組みをしている団体もあることを知りました。大変励まされています。

しかも、天皇制は国民の意思で無くすことが出来るのです。こういうふうに天皇制は弊害があるから、無くしましょうということになれば良いですが。天皇が被害者かどうかに関係なくにです。』

あなたの論は、所々に、強烈な思い込みが断片的に示されているけれど、全体としては、意味のつながらない言葉の羅列で、わたしは、「この人は、何が言いたいのか? 」と不審に思いながら注目してきました。

繰り返して行われたあなたの投稿で、やっとその疑問が解けたように思い、意見を述べます。あなたの歴史認識の根幹には、なぜか「天皇=被害者」論・天皇同情論がとぐろを巻いて居座っているようです。

あなたは、口先では、『こういうふうに天皇制は弊害があるから、無くしましょうということになれば良いですが。』と説いて、天皇制をなくしたいようなことをいいますが、天皇制が、どういうふうに弊害があるのかは何も言いません。

「弊害」の中身を言わないかわりに、『天皇に在日朝鮮人学校への右翼のいやがらせや暴力についてどう思うか聞いたら、右翼の活動も少しはトーンを下げるのではという私の希望的観測です。』と説いて、天皇を平和勢力として描き出そうしています。

そのように、天皇を平和勢力と考えるのなら、どうして「天皇制を無くしましょう」となるのでしょうか?

あなたの文章には近代日本が歩んできた道を捉え返そう、総括しようとという意欲が感じられません。
わたしたち日本人が犯してきた、植民地支配(とその責任)、侵略戦争(とその責任)、戦後責任をどう考えるのか、一言の言葉すらもありません。

わたしたち日本人の反省も、自己批判も、民族差別意識を克服し、大国主義的民族排外主義と闘う意志と決意も見られません。

わたしは、日本の民衆にとって、あなたが一言も触れない、それらの事が何より重要だと思っていますが、あなたは、『植民地支配や侵略の事実認否、侵略責任・戦争責任の有無などを議論したくないが、「天皇=被害者」説は大いに広めたい』ということなんですね。

 天皇ヒロヒトは、(「かわいそうな被害者」だろうが無かろうが、)アジア・太平洋侵略の最高責任者であり、紛れもない第一級の加害者ではないのですか?

あなたの説に従えば、日本が仕掛けた(侵略)戦争でアジアの民衆が受けた被害よりも、ヒロヒトが受けた被害の方が重要という事のようですが、それは何故ですか?

あなたは、増田さんに批判された結果、「天皇は戦争責任があったのに、その責任を取らなかった」「昭和天皇が保身のためにアメリカと取引をした」と認めておきながら、すぐに「責任能力の無い人なのだなあーと思った」とすり替えてしまう。

ヒロヒトは「取れなかった」のではなくて、国体=天皇制護持と、「保身のために」卑劣な責任のがれに終始し、傲慢に居直って責任を(自覚的に)「取らなかった」のです。

さとうさんの説では、「責任能力の無い人」だから、(どうしたらよいかを判断できず、その結果)「その責任を取れなかった」のだ、大いに同情すべき人だから、責めたらかわいそうだ、となってしまう。


⊃略の血に染まった加害(者)性をごまかすことはできない

●天皇と日本の加害性は明白
日本軍(皇軍)は、他国、他地域を侵略して土地、食料、資源を奪い、家を焼き払い、犯し、名を奪い、言語を奪い、強制連行・強制労働し、命を奪った。
これは、加害ではないのか? 

多くの日本の民衆は、侵略の事実を知りながら、これを支持し、さらに植民者や、大陸浪人、軍属などとして、他国、他地域に進入したものも多かった。
これは、加害ではないのか?

天皇は、「朕は現人神である、汝らは臣民である」と民衆をだまし、総覧者として、大元帥としてこれら植民地侵略と侵略戦争全てを指揮しました。
これは加害ではないのか?

●加害性(侵略戦争責任)を見据えることから始めよう
あなたは、口先では「天皇の戦争責任」を言いますが、加害責任は一言も言いません。
さとうさんの説は、日本社会の主流をなす多くの反動的なナショナリストによって広められている説です。それは、「天皇被害者」説が、日本人の加害責任も全くうやむやにしてしまう、都合のよい説だからです。

さとうさんの論では、天皇ですら被害者であるという。加害者があっての被害者であり、もし加害者がいなくなってしまえば、戦争とか、運命や歴史や時代が加害者であると言うしか無くなります。あなたは、日本人の加害性から逃れようとしていませんか?

 これでは、殺されたアジアの民衆も、殺した日本人も、みんなが平等に被害者ということになり、アジアの民衆や、人道と良心に目覚めた日本の民衆が、天皇と日本人の植民地支配責任、侵略戦争責任を問うのは不当な言いがかりであるという事になります。
ヒトラーもヒムラーも、ムッソリーニもフランコも被害者!?ということになります。

 そのような、「加害者消滅」説は、侵略戦争を、人間が起こすものと捉え、民衆の主体的行為によって、侵略の時代を終わらせようする闘いを、背後からぶち壊そうとするものになりませんか?

あなたは、この冷厳な歴史的事実から出発しようとせず、「天皇=侵略者の被害者性」を一番大事な事柄として押し出しています。「侵略者の被害者性」説は卑劣な暴論ですが、百歩譲って被害者性がどれほどあるとしても、加害者性を消し去ることはできません。
 
 さとうさん、あなたに、民衆の自己解放の視点があるなら何度でも問います。
天皇は加害者ではないのですか? 答えてください。

●侵略戦争は、「壮大なストーリー」ではなく、それによって儲ける者が引き起こす犯罪である
あなたは、「戦争という壮大なストーリー」と言うが、侵略戦争は、どこにも「壮大」さなどない、巨大な犯罪行為です。「戦争という壮大なストーリー」などというと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が説く、「明治栄光論」や、それよりもっと極右的なもの、田母神や、「つくる会」の説を連想させます。
 
 さらに侵略戦争は、人知の及びがたい天変地異ではなく、紛れもなく人が意図して、反対者を弾圧しながら引き起こしたものであり、れっきとした加害行為です。
 その中で、喜び勇んでアジアの民衆を殺戮しようが、良心のうずきを感じ、涙を流しながら殺戮しようが、侵略者の手は血にまみれていることを見据えてください。
 
E傾弔榔震燭鮗分の手で変えられないとは本当か

さとうさんは、『天皇家という特殊な環境に生まれたとしてもその運命を自分で変えることは出来ない』ので、「天皇は被害者」なのだと言います。ここでは、「天皇の運命」とは、どんな意味合いで言われているのでしょうか?
 「天皇家に生まれたのだから天皇をやることは運命であって、天皇の責任ではない」という意味のように思えます。さらに、「運命に従って天皇をやることによって起こった全ての事柄(侵略など)の責任を問うてはいけない」ということのようです。

(|q)これは、「泥棒一家の子として生まれたのだから泥棒を続けるのは当たり前」のたぐいの暴論です。さらに、明治以前の天皇は、現人神だと宣言もしてないし、「アジア侵略や世界征服」を現実の問題としてやろう試みた者はいません。(「神功皇后」は例外)
 これに反して、明治以降の天皇(王制復古直前の孝明天皇を含んでも良い)は、アジア侵略を、それ以前の天皇の慣例を守って、それに沿って行ったのではなく、王制復古クーデターで担がれたことで野放図に驕り高ぶり、傲慢きわまりない野心をもって断行したのです。
 にも拘わらず、さとうさんは、近現代のアジア侵略を天皇が、まるで「運命に逆らえないのでやってしまったに過ぎない」ものとして描き出そうとしているように思えます。
 
(|r)この世に、運命などありませんが、歴史の趨勢を、運命と呼ぶ人がいます。
本来の意味で、天皇家の「運命」を問うとすれば、それは、君主制が打倒されていくという世界史的趨勢こそそれにあたるのです。
 近現代、クーデターで権力を握った独裁者は様々に居りますが、皇帝を名乗るようなものはいないし、王朝を開こうというものもいません。
 「天皇制もやがて打倒されていく」という世界史的趨勢=「天皇家に生まれた者の運命」「ロシアのツアーリのように打倒されるのか、それともルイ14世やマリーアントワネットのように、ギロチンの露と化すのか」という心配・恐怖こそ、明治天皇や昭和天皇の一番の悩みであったのです。
 天皇は、ここでも、「運命」を受け入れたり、従ったのではなく、その逆に、これを恐れ、これに抗おうとしてきたのであって、「わが闘争」として醜い悪あがきに終始したのです。以上で、「被害者」説の論拠は崩壊したと思います。

 
て本の民衆が、自らの戦争責任を問わなければ、侵略の時代を終わらせることはできない

 日本の民衆は、臣民の義務として(天皇の名において)侵略に動員され、日本人の良心は、侵略を拡大するたびに麻痺し、良心が麻痺した分だけ天皇制を強化していったのです。 日本の民衆は、アジアの民衆から奪った富を、侵略行為の配当として受け取ることによって、侵略国家・大日本帝国の臣民に成り下がり、天皇制を強化していったのであり、ついには侵略戦争の主体的担い手となっていたのです。

  それなのに、あなたは、堂々巡りの論をこね回すばかりです。
さとうさん曰く、「・・・ ほとんどの人は精神の自由を求めています。戦争をすると、人を殺すことを強制され、心の自由はなくなります。・・・」
 「ところが人の心の中には、他人を犠牲にして自分の命を助かろうとしたり、他人よりも物が豊かになろうとする闇があるので、それを利用されている」と。

 これでは、どうして、「ほとんどの人」は、「精神の自由を求めている」のに、「心の闇(利己主義のこと?)を利用」されてしまい、応召し、侵略戦争を担ったのかが全く理解できなくなってしまいます。

 これを強いて理解しようとすれば、「精神の自由を求める」という力も充分に強力な思想・歴史観・世界観の裏打ちがないと、「心の闇の強大な力に勝てない」からと考えるしかなく、もしそうであれば、「利用されている」のではなく、「心の闇」こそが、多くの人の本心であったということになり、結局は、思想の弱さによって侵略していってしまったのだということになります。

  実際のところは、「精神の自由を求め」た人は、少数であり、その思想も多くが、植民地支配を容認し、民族差別を内包したひ弱で未熟なものに止まっていたのです。多くの人は、思想的成熟をほとんど進めることができないまま、天皇制イデオロギーに屈服し、その結果、多かれ少なかれ本心・本音で侵略戦争を担ったのです。

 だからこそ、天皇のための天皇制イデオロギーと格闘して、民衆自身のための自前の思想を獲得していかなければ、「心の闇」を「利用されてしまう」のです。
 だからこそ、「天皇被害者説を打ち砕き、天皇の戦争責任を追及し、責任をとらすこと」こそが、民衆が侵略戦争責任をとっていく第一歩となるのです。

さとうさんは、天皇の加害性を不問にし、限りなく曖昧にすると同時に、民衆自身の加害性を不問にし、そうすることで、侵略戦争を阻止し、侵略の時代を終わらせるための民衆の闘いを、脇道にそらそうとしているように思います。

 「天皇家という特殊な環境に生まれたとしてもその運命を自分で変えることは出来ないからです。よって、飛躍かもしれませんが彼らも被害者ではないかと思った」と、あなたは説きますが、「天皇家」を、「大日本帝国臣民」と置き換えれば、日本人全員が被害者のふりができてしまい、これでは、民衆自身が自前の思想を持ち合わせていないことを自覚することが永遠にできなくなってしまうのです。

  「人々を支配することに快楽を求める人たち」の存在をここでは、さとうさんも認めています。このような人は、日本にはたくさんいます。在特会をはじめとする排外主義、大国主義者、国家主義者、国粋主義者、天皇主義者、帝国主義者等々です。この様な人が求めるものは、快楽だけではなく、大きな経済的利益であり、金融資本家だけでなく産業資本家も、政治家の多くもその同類です。まさに、心を闇で満たした人間たちですが、彼らには、おおむね、それが彼ら自身の自前の思想でもあるので、倒されない限り、それを貫くでしょう。だから、時代遅れに見える天皇制も、民衆が「やめさせたい」と思っても、この連中を打倒しなければやめさせることはできないのです。

 また、あなたは、「制度の特権にしがみつくのは生きていくすべがわからず不安だからということもあるかもしれません。」というのも、「加害者でなくて被害者」の証明にはなりません。情状酌量の材料にもなりません。加害者としての責任を認めず、居直るための、屁理屈です。

『人間はだれでも、運命を自分で変えられ』るのに、また変えて行くことこそ、歴史への主体的参加であり、それこそが人類の未来を切り開くものであるにも拘わらず、天皇と天皇主義者たちは、『天皇の運命は特別だから、「運命を自分で変えられない」』と、天皇制イデオロギーを暴力的に強要してきているのです。
 NHK「坂の上の雲」の「明治栄光論」煽動、「水晶の夜」に向かおうとしている在特会のファシスト的暴力的突出、「つくる会」や田母神の歴史偽造、それを批判して事実を教えた増田さんの分限免職など、全て根はつながっているのです。

 あなたは、このような輩の片棒を担ぐかのような行動をすべきではないと思います。
私たち、日本の民衆の取るべき道は、そのような凶運の天皇と天皇制をもろともに打倒することで、社会が変革し、侵略の全構造を破壊し、侵略の時代を終わらせることだと思います。


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