[CML 002711] 山口地裁が18日、上関原発予定地での抗議活動を禁止する不当命令

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 1月 20日 (水) 12:26:59 JST


中国電力が上関原発予定地での住民の抗議行動を封じ込めるために裁判所に提起していた
「海の埋め立ての妨害禁止仮処分」の申し立てについて、山口地裁岩国支部はこの18日、同
中電の不当な申し立てを認め、海の埋め立て工事が完了するまで妨害行為を禁止する旨の
決定をしました。きわめて不当な決定といわなければなりません。

■上関原発予定地での抗議活動に禁止命令 山口地裁 埋め立て完了まで(産経新聞 2010年1月19日)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100119/trl1001191926009-n1.htm

同地裁決定の全文を私はいまのところ詳らかにしないので断定は避けたいと思いますが、今
回の同地裁の不当決定の論理も、昨年12月に那覇地裁が沖縄防衛局の沖縄・高江住民に
対する通行妨害禁止などの仮処分申し立てについて下した「妨害禁止命令」の判断とおそらく
同一の論理に立脚しているものと思われます。同那覇地裁の決定の詳細、またその批判につ
いては「薔薇、または陽だまりの猫」ブログ(2009年12月12日付)で紹介されている琉球新報、
沖縄タイムスの記事、また解説に詳しいのでそちらをご参照ください。今回の山口地裁岩国支
部の不当決定批判にもなりえていると思います。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/25c9440f292454695fd85ebc8bf17083

司法は下記の琉球新報の社説の論調(メディアのジャーナリズム精神の在り処を示し得てい
て見事だと思います)、また、その中で触れられている法律の専門家の意見に耳を澄ますべ
きでしょう。「実力行使に対する制限は当然という判断でなく、表現の自由の価値の高さに触
れる必要があった」という法律の専門家の意見は、個人の尊厳と基本的人権の尊重を大原
則とする憲法を持つ国の法律家の意見としてまっとうすぎるほどまっとうな意見だと私は思い
ます。

「(沖縄防衛局の通行妨害禁止仮処分申請は)住民運動の廃除を目的に国が司法を利用し
た事実上の行為として看過できない」。「住民の反対運動は、同一意見の下で行われる表現
活動だ。表現行為は、精神的な自由権として優位性が認められている。制約は慎重に行わ
れるべきものだ。/法律の専門家は『実力行使に対する制限は当然という判断でなく、表現
の自由の価値の高さに触れる必要があった』と指摘している。/司法の判断が表現行為へ
の圧力となり、住民運動が萎縮(いしゅく)すれば、住民の意思が行政に伝わらず、表現の
自由が奪われかねない」(「高江ヘリ着陸帯 看過できない国の司法利用」(琉球新報社説、
2009年12月15日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-154235-storytopic-11.html

司法が断罪する「実力行使」は、たとえばストライキやピケットなどは日本国憲法28条により
労働基本権のひとつとして保障された市民、労働者の基本的権利です。そして、その労働基
本権はいうまでもなく憲法で保障された基本的人権の一形態にすぎないのであって、人々が
個人の権利を守ろうとして実力行使以外の対抗手段が見つからない場合、この「実力行使」
という基本的権利は労働法の外にあっても広く類推適用されてしかるべきものです。それが
「抵抗権」といわれる基本的人権の思想です。私は昨年10月8日付のメール記事でわが国
の戦後の憲法学の泰斗である宮沢俊義の「抵抗権」の思想を紹介したことがあります。

「わが国の戦後の憲法学界をリードした憲法学の泰斗である宮沢俊義(1899〜1976)はか
つてその著書「憲法供廖瞥斐閣、1959年)でアメリカ独立戦争やフランス革命の理論的根拠
となった基本的人権のひとつである「抵抗権」と日本国憲法との関わりについて次のように
述べたことがあります。『個人の尊厳から出発するかぎり、どうしても抵抗権をみとめないわ
けにはいかない。抵抗権をみとめないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることで
あり、奴隷の人民を作ろうとすることである』(『憲法II』第三章 第三節「抵抗権」)/宮沢によ
れば、「抵抗権」とは、権力の行使に課された憲法的な限界を公権力に守らせるための保障
手段のひとつです。宮沢は、その「抵抗権」の思想は、憲法に明文上の規定こそないものの、
実定法に優越する自然法的法益として憲法上認められる権利である、というのです」
http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-October/001601.html

上記産経新聞(2010年1月19日付)の記事によれば「反対派の市民団体は『今まで通り抗議
活動を続けていく』と話した」ということです。当然のことだと思います。裁判所の不当な決定
に拘束される必要などありません。裁判所の判決、決定はその判決(決定)が確定しない限
り効力を持ちませんし、その確定判決、決定の効力も原則的に裁判の当事者にしか及びま
せん。また確定判決の既判力も主文以外には及びません(民事訴訟法第114条、第115条)。

いま、私たちに必要なことは、私たちの力で裁判所の不当な決定を覆していくこと。そのため
にも「今まで通り(にも増して)抗議活動を続けていく」こと。そして、上関原発建設反対の輪を
さらにさらに大きくしていくことだと思います。祝島島民のみなさん、上関町民のみなさん、ほ
んとうにご苦労さまです。私たちも連帯の志をいっそう確かなものにしたいと思っています。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp



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