[CML 002592] カティンの森

坂井 貴司 donko at ac.csf.ne.jp
2010年 1月 8日 (金) 12:45:01 JST


 坂井貴司です。
 転送・転載歓迎。
 
 明けましておめでとうございます。
 
 2010年に入って初めての投稿です。今年は、私たちを苦しめ続けてきた新
自由主義との、完全な決別の年になることを願います。
 
 映画情報です。
 
 日本では考えられないほどの政治的制約の中で、「灰とダイヤモンド」、「地
下水道」、「大理石の男」などの20世紀の映画史に残る名作を作り続けてきた
ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ(1926年〜)が、これまでに培っ
てきたすべてを注ぎ込んで制作した映画です。
 
  第2次世界大戦中、旧ソビエト軍の捕虜になった、約約15,000人のポーラ
ンド軍将校捕虜・国境警備隊員・警官・一般官吏・聖職者が、ソビエト当局によ
って射殺され埋められた「カティンの森事件」をテーマにした作品です。
 
 この虐殺事件の犠牲者の中に、ワイダ監督の父親がいました。
 
  「カティンの森」
 http://katyn-movie.com/pc/
 
 1月9日から全国で順次上映。
 
 1939年9月1日、ナチスドイツ軍はポーランドに侵攻しました。第2次世
界大戦の始まりです。ポーランド軍は激しく抵抗したものの、電撃戦と称される
ドイツ軍の攻撃に敗北しました。数百万のポーランド人が東部へ逃れました。同
年9月17日、独ソ不可侵条約でナチスドイツと同盟関係にあったソビエトは、
ポーランドに侵攻しました。ソビエト軍に追われて多くのポーランド人が西部へ
逃げました。各地で両者が出会いました。
 
 「ドイツが攻めてきたので東へ逃げています」
 
 「東はソビエトが攻めてきているので、私たちは西へ逃げます」
 
 西も東も逃げる場所が無いという悲惨な状況にポーランド人は陥りました。
 
 多くのポーランド軍の将校や官吏がソビエト軍の捕虜になりました。その内約
15000人が行方不明になりました。
 
 彼らの行方は1943年に明らかになりました。スモレンスク郊外にある「カ
ティンの森」に埋められていた、約15000人の射殺死体をドイツ軍が発見し
ました。遺留品から行方不明になったポーランド軍の将校・官吏であることが判
りました。ドイツは「これはソビエトの手による虐殺だ。アカによる恐るべきテ
ロルだ」と大々的に発表しました。多くの証拠がありました。
 
 当然ソビエトは「この虐殺はドイツの手によるものだ」と反論しました。
 
 第2次世界大戦後、ソビエトの支配下に入ったポーランドでは、「カティンの
森事件」はドイツの戦争犯罪だとされました。ソビエトも同じ態度を取りました。
この虐殺事件はタブーとされました。ワイダ監督を始め遺族は沈黙を強いられま
した。1980年代末のゴルバチョフのグラスノスチ(情報公開)とポーランド
の民主化で、「カティンの森事件」はソビエトの戦争犯罪であることが認定され
ました。
 
 この映画は80歳を越えたワイダ監督が亡き父に送る作品です。
 
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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