[CML 003038] 【賛同のお願い】東ティモール「慰安婦」問題

増田 都志美 mitsuya_apple0909 at yahoo.co.jp
2010年 2月 19日 (金) 00:53:24 JST


静岡・増田です。
どうか転送・転載をお願いします。

皆様のご協力を切望いたします。





【賛同のお願い】東ティモール「慰安婦」問題
> 
 皆さま 東ティモール全国協議会/古沢希代子さんからの賛同
要請です。  ご協力をお願いいたします。
> 
> 
>    ・・・・・ 転送・転載歓迎です・・・・・・・
> 
> 
> 東ティモール全国協議会 より 
> 個人・団体賛同のお願い
> 
> 
> 東ティモールの日本軍性奴隷制被害者に関する要請書
> ―日本軍によるポルトガル領ティモール侵攻68年目の日にー
> 
今年の2月20日、東ティモールは日本軍による侵攻から68年目
の日を迎えます。毎年のことで恐縮ですが、東ティモールの元
「慰安婦」たちへの謝罪と補償を日本政府に求める要請書への
賛同をお願いします。今回の要請書には、昨年亡くなられたマ
ルガリーダ・ホルナイさんとマリア・ロザ・フェルナンダ・ノ
ローニャさんの被害体験を書き込みました。お二人は2000年の
「女性国際戦犯法廷」のために証言して下さり、その頃からず
っと日本からの「良き知らせ」を待ち望んでおられました。
 今や東ティモール政府は日本とインドネシアというふたつの
軍事占領に関して被害者の側に立つことを放棄しており(☆参
照)、日本政府はそれを何の行動も取らないことの言い訳に利
用しています。この共謀を打ち破るためにどうかお力をおかし
下さい。


あて先:mm3k-frsw at asahi-net.or.jp 

 (東ティモール全国協議会/古沢希代子)

 お書きいただく事項:
団体名
個人のお名前(及びご所属など、なくてもけっこうです)

 期日:2010年2月25日(木)午後5時
> 
> 
 [☆東ティモールにおける正義の崩壊 (要請文はこの下に
あります)

昨年8月30日、東ティモールは1999年の住民投票の10周年を祝
いました。しかし、この日の前後に、お祝いどころではない、
憤懣やるかたない事件がふたつ起こりました。
> 
 (1)1999年の「人道に対する罪」で身柄を拘束されていた東
ティモール人、マルティヌス・ベレが、インドネシア政府の要
請によって東ティモール警察によって釈放されインドネシアに
帰還しました。ベレは反独立派民兵組織のメンバーで、スアイ
教会虐殺事件(1999年9月6日)に関与したとして、殺害、レ
イプ、拷問など51もの罪状で重大犯罪部から起訴されていまし
た。この間ベレはインドネシアに在留し処罰をまぬがれてきた
のですが、密かに帰国した後東ティモール警察によって逮捕さ
れました。
しかし、住民投票記念日を前に東ティモール政府はベレの釈放
を決めたのです。
東ティモールでは2008年にホルタ大統領が出した「恩赦」(減
刑措置)によって1999年がらみの服役者(殺人犯・レイプ犯)
はすべて自由の身になっています。1999年に関してはインドネ
シア軍関係者はただのひとりも処罰されていません。そのイン
ドネシア軍の高官を東ティモール政府は住民投票10周年の記念
式典に招待しました。今回の措置により、東ティモール政府(
シャナナ・グスマォン首相)がインドネシア政府(軍)との間
で 正義の追求を放棄するつもりであることが明白になりまし
た。東ティモール政府は、 また、日本政府に対しても日本軍
占領期の被害に対して何の声もあげようとしていません。

  (2)首都ディリでは 住民投票10周年を記念して国際連帯会
議が開催され、いまだに自決権を行使しえない西パプアや西サ
ハラの人々の問題も討議されました。会議が終了した翌日、要
人が宿泊するホテル・ティモールの向かい側の草地で西パプア
や西サハラ問題の解決を訴える小さな人々の集まりがありまし
た。しかし、その集まりに参加したティモール人学生が警官に
よっていきなり逮捕されたのです。警察には国連の法務部や内
外の市民団体による抗議が寄せられましたが、彼らはすぐには
解放されず、解放までに数日を要しました。

  こうした状況の中、現地の人権団体と国際連帯グループは
被害者の組織化を助け、責任者処罰と被害者の救済を訴え続け
ています。東ティモールにおける「法の支配」 は育つ前にす
でに枯れつつあり、その崩壊は戦争犯罪の領域にとどまりませ
ん。正義の欠落は社会を腐らせ、今や暴力と汚職が東ティモー
ルの「文化」になりつつあります。]
> 
> 
>
要請文はココから------------------------------------------------------------
> 
> 内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿
> 外務大臣 岡田克也殿
> 
> 
> 東ティモールの日本軍性奴隷制被害者に関する要請書
> ―日本軍によるポルトガル領ティモール侵攻68年目の日にー
> 
 東ティモールは、昨年8月30日、独立を決定した歴史的な住
民投票から10周年を迎えた。インドネシアによる占領統治の終
焉と独立は第二次大戦中に日本軍によって「慰安婦」にされた
女性たちの実態調査に道をひらいた。しかし、旧自民党政権は
、名乗り出た元「慰安婦」たちに謝罪と補償を行うことを拒否
し続けた。
同日、日本で実施された衆議院選挙において歴史的な政権交代
が実現した。この間旧自民党政権は日本の戦争責任問題に蓋を
し、同時に東ティモールに対するインドネシアの戦争責任も追
及しなかった。その結果、東ティモールの平和構築に対する日
本の関与は狭くかつ浅薄なものとなった。今回の政権交代によ
って、日本が自国の軍隊による性暴力被害者との和解を果たし
、平和構築への新しい姿勢を国際社会にアピールできることを
願ってやまない。
> 
  大戦中、日本軍は東ティモール全土でリウライ(伝統的な
首長)や村長などに命じて女性たちを差し出させ、駐屯地の周
囲に「慰安所」を建設した。これは占領政策の一環としての性
奴隷制であり、非人道的な犯罪行為であった。
東ティモールでは昨年までに17名の被害者が名乗り出たが、す
でに、エスメラルダ・ボエさん、マルタ・ アブ・ベレさん、
クレメンティーナ・カルドゾさん、マリアナ・デ・ソウザ・フ
レイタスさんがこの世を去った。さらに、昨年、6月30日にマ
ルガリーダ・ホルナイさん、7月30日にマリア・ロザ・フェル
ナンダ・ノローニャさんが逝去された。
以下におふたりの被害体験を紹介する。
> 
>  
> マルガリーダさんの住むマヌファヒ県に日本軍が来た時、彼
女はまだ幼かった。
> 捕まって「慰安所」に連れて行かれたが、逃亡に成功した。
すると村の指導者が家族を呼びだし、熱帯の陽の下に立たせ続
けるという拷問をした。結局彼女は見つかって連れ戻された。
そこには他の地域の女性たちも集められた。
コマキという将校は女性たちを自分の家によんで相手をさせた
。カトリックのシスターに助けを求めたこともあったが彼女も
餌食になった。戦後結婚したが、過去は心を苛み、周囲の人が
自分のことを噂しているのではと感じ続けた。

  ロザさんの住むボボナロ県に日本軍がやって来た時、彼女
はまだ胸も小さくメンスもなかった。村長から拒めば両親が殺
されると脅され、性病検査をされた後にオハラという司令官に
仕えさせられた。オハラが移動すると家に戻れたが、今度はタ
ニヤマという将校が両親を脅し住み着いてしまった。自分の家
でタニヤマの相手をさせられたが両親はどうすることもできな
かった。人生で一番つらかったことは、 まだ子どもの頃に強
かんされたこと、連れて行かれるのが嫌で木に登って逃げよう
としたが、結局連れ戻されてしまったことだと語った。
> 

  東ティモールは、戦後ポルトガルによる支配が復活し、そ
の後独立の過程でインドネシアに占領されたことで、日本の戦
後補償の空白地帯となってきた。私たちは、日本政府が、自ら
の責任において、一刻も早く、日本軍による性奴隷制の被害者
たちに謝罪と補償を行なうことをここに改めて要請する。被害
者たちに残された時間はわずかである。
> 
>  2010年2月20日                   
 
> 
>  東ティモール全国協議会        
> 
>                            
> 
> 
> 


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