[CML 003012] アンジェイ・ワイダ監督の新作映画『カティンの森』とスターリンの犯罪
skurbys at yahoo.co.jp
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2010年 2月 17日 (水) 05:11:43 JST
紅林進です。
先日、岩波ホールでポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の新作映画『カティンの森』を観ました。その名も「カティンの森」虐殺事件を取り上げた初の映画であり、実はアンジェイ・ワイダ監督の父親ヤクプ・ワイダもその犠牲者の一人である。
アンジェイ・ワイダ監督は『地下水道』(1956年)、『灰とダイヤモンド』(1958年)、『大理石の男』(1977年)、『鉄の男』(1981年)などの代表作で知られるポーランドの代表的映画監督であるが、ソ連・スターリンが行ったとされるこの虐殺事件を扱うことは、冷戦崩壊まで長らくソ連の衛星国であったポーランドでは
、タブーであった。それだけに冷戦崩壊後20年経ってやっと映画化できた作品であるが、虐殺事件そのものもさることながら、虐殺された将校たちの妻や母親、娘などを通して、事件の悲劇性、ポーランドの置かれた状況を描いてゆく。
「カティンの森」とは、旧ソ連(現ロシア共和国西部)のスモレンスク近郊のグニェズドヴォ(Gnezdovo)村近くの森で、そこで、4410人のポーランド軍将校たちの虐殺遺体が、その地を占領したナチス・ドイツ軍によって1942年4月に発掘された。ナチスは、その虐殺がソ連によって1940年春に行われたものであるとして、記録
映画などを作って、ソ連による戦争犯罪の証拠として大々的に宣伝した。しかしその後、ソ連軍がその地を奪い返すと今度はソ連が、それはナチスがその地を占領した1941年秋に虐殺したものであるとして、やはり記録映画を作って、大々的に宣伝する。
1939年8月23日ナチス・ドイツとスターリン支配下のソ連は独ソ不可侵条約を結び、その付属秘密議定書に沿って、同年9月1日にナチス・ドイツが西部国境から、9月17日にはソ連が東部国境からポーランドに侵攻し、ポーランド国土を東西に分割し占領・併合した。ポーランドはそれまでにもプロイセン(ドイツ)・オーストリ
ア・ロシアによる3度にわたる分割、国家滅亡を経験してきたが、4度目の悲劇である。
1939年の独ソ軍の侵攻後、実に多くのポーランド人将兵がソ連軍の捕虜となり、ソ連領内の収容所に連れ去られた。その内、約4400名の「カティンの森」の犠牲者だけでなく、「カティンの森」を含めた3箇所で合わせて1万数千名ものポーランド人将校が銃殺されたと言われる。冷戦時代のソ連やポーランドでは、この事件はナ
チスによる犯行とされ、その真相を追究しようとすることはタブーであったが、ゴルバチョフ、エリツィン時代になって、この虐殺が、1940年3月5日付のソ連共産党政治局指令により、同年4月〜5月にNKVD内務人民委員部(後のKGB国家保安員会)により行われたことが明らかにされた。カティンで4410名、ピャチハト(現ウクライ
ナ共和国北東部、ハルキフ(ロシア名ハリコフ)近郊)で3739名、メドノエ(現ロシア共和国西部、トヴェリ近郊)で6315名の捕虜が虐殺され、その総数は、ポーランド軍将校の約半数にも上るとされる。
なぜこれほどまでの大量虐殺をスターリンが行ったか不明であるが、一説によると、ソ連の占領、衛星国化に当たって、抵抗や民族再建の主体となる軍人や知識人を根こそぎにしようとしたとか、レーニン時代のソ連赤軍のポーランド侵攻(1920年〜21年)の際、ポーランド軍に敗れたことから、ポーランド軍人(虐殺された者
はこの戦争に従軍した軍人が多かったともいわれる)をスターリンが恨んでいたという説などがあるようだが、いずれにしろスターリン体制の暗黒面を象徴している虐殺事件である。
スターリンソ連と不可侵条約を結んでいたヒトラーのナチス・ドイツは、1941年6月不可侵条約を破って、ソ連に侵攻を開始した。ヒトラーを信頼しきっていたスターリンは不意をつかれ、また優秀な軍人を粛清していたこともあり、ソ連軍は大打撃を受け、大量のソ連民衆や将兵がナチス・ドイツの犠牲になった。ソ連は捕虜と
してソ連内の収容所に収容していたポーランド人捕虜を急遽、ナチス・ドイツと戦うポーランド人部隊として編成しようとしたが、大量の将校を虐殺したため、必要な将兵を十分集められなかったといわれる。
しかしポーランド人はポーランド国内においても、ナチス・ドイツに対するレジスタンスに立ち上がり、1944年6月には首都ワルシャワでドイツ占領軍にたいし蜂起(ワルシャワ蜂起)するが、対岸まで進軍していたソ連軍は、進軍を止め、レジスタンス側をまったく支援しようとせず、見殺しにした。そのレジスタンスの主体が
、ソ連の意に沿わぬロンドン亡命政府系の国内軍(AK)系のパルチザン(パルチザンには共産党系もいたが、ワルシャワ蜂起では少数派)であったからであり、彼らをドイツ軍に殺させ、戦後の衛星国化の障害になる要素を取り除こうとしたといわれる。そのため、蜂起に立ち上がったワルシャワ市民は18万人〜25万人が殺され(処刑
や戦死)、ワルシャワの町は徹底的に破壊され、廃墟と化した。
若きアンジェイ・ワイダ監督の名を国際的にした(カンヌ国際映画祭審査員賞受賞)『地下水道』(1956年)はこのワルシャワ蜂起の悲劇を描いた作品であり、ドイツ軍に追われて地下水道に潜って戦うパルチザンの行く手を鉄格子がさえぎり、対岸にソ連軍が見えるが、そのソ連軍は動こうとしないシーンは象徴的である。こ
れを描けたのは、1953年にスターリンが死去し、まさにこの『地下水道』が作られた1956年はフルシチョフのスターリン批判の年であり、それを受けたポーランドにおけるポズナニ蜂起(ポーランド西部の都市ポズナニで起こった待遇改善を要求する労働者のデモと警官隊の衝突に発する暴動)の年でもあり、検閲等が一時的に緩ん
だ時代も反映しているのかもしれない。
スターリンは、ソ連軍のポーランド侵攻に反対したポーランド共産党幹部を根こそぎ粛清・処刑し、戦後は自分の意に沿う者を政権に就け、ポーランドを他の東欧諸国同様、ソ連の衛星国化した。そしてソ連軍占領地域の大部分をソ連領に併合し、代わりに西の旧ドイツ領(オーデル川とその支流のナイセ川のいわゆる「オーデ
ル・ナイセ線以東)をポーランドに編入し、ポーランドの国土・国境線全体が大幅に西に移動するという極めて異例な事態となった。
映画『カティンの森』は東京・神保町の岩波ホールで2月19日(金)まで上映しています。http://www.iwanami-hall.com/index.html
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