[CML 002981] Re: 在特会のマスメディアへの恫喝について〜「在日外国人の差別を許さない! 2.12北九州市民集会」に参加して考えたこと
長船 青治
pencil at jca.apc.org
2010年 2月 15日 (月) 00:33:22 JST
長船です。
「 きっこの日記 」2月10日の「 オムライス党に
関するデマ報道 」で時事通信もおかしな記事を配信
しているのですが、これを読むことができます。
また、管理人のキッコさんと社民党の福島瑞穂さん
がたまたまメル友だったので
ごていねいに福島さんからのメールも読むことがで
きます。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20100210
それにしても、「 在特会 」は、政権交代前に蕨
市で初めて50名くらいでその姿を現した時はたいし
たことない、くだらない疑似右翼だくらいに
私はばかにしていたのですが、先月23日から26日ま
で「 9条改憲阻止の会 」でやった「 普天間・
辺野古基地 」の国会前座り込み抗議行動
の初日に反対側の歩道にずらりと現れた彼らのこ
と、私の盟友の塩見孝也さんからのメールだと「
我々に対してはおとなしいけど、
相手が弱いヤツだと豹変する危険なやつらだ、」と
のこと。
いつのまにか彼らの動員数は100名くらいにふくれあ
がっています。
やはり政権交代後に野党となった自民党の新保守主
義思想の戦争利権や武器商人のシンパたちが
行動費を渡しているかも知れないとげすの勘ぐりに
取り憑かれたものです。
長船青治
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On 2010/02/14, at 16:50, higashimoto takashi wrote:
> 一昨日の2月12日にあった「在日外国人の差別
> を許さない! 北九州市民集会」に参加して
> きました。同集会の基調報告者は龍谷大学法科大
> 学院教授で、在特会の襲撃を受けた京都
> 朝鮮学校に通う児童3人の保護者でもある金尚均
> (キムサンギュン)さんと東京造形大学教授
> の前田朗さん。会場となった北九州市立男女共同
> 参画センター 「ムーブ」の5階大セミナール
> ームがぎっしりと人で埋まる盛況でした。集会参
> 加者は100人を超えていたと思います。京都
> 朝鮮学校を襲撃した在特会に対する怒りは、この
> 北九州の地でも市民に確実に共有されてい
> ました。それが同集会に参加した私の感想です。
> その上で、この怒りをさらにさらに全市民的
> なものにしていくことの重要性を思いました。
>
> さて、上記の私の感想に結びつくことでもあるの
> ですが、私は、同集会の基調報告者のおひと
> りの前田朗さんの在特会の暴力に対するマスメ
> ディアの対応についての指摘に注意を喚起さ
> れるところがありました。 今回の在特会の京都朝
> 鮮学校襲撃事件について、 マスメディアの
> 一部は言葉の本来の意味でのジャーナリスティッ
> クな報道をしたところもあります。すなわち、
> 2009年12月18日付の東京新聞記事(特報欄)、2009年
> 12月22日付の共同通信記事 (核心評
> 論〈外国人への「憎悪犯罪」〉)のことを指しま
> す(各ML配信メール参照)。さらに、私は知らな
> かったのですが、前田さんによれば、 大阪毎日放
> 送による在特会の京都朝鮮学校襲撃事件
> についてのジャーナリスティックな報道もあった
> ようです。
>
> このほかにこれも前田さんから聞いて知ったこと
> ですが、 この時期、朝日新聞は在特会問題
> に関して、 同会会長の発言を一面に写真つきで紹
> 介するというきわめて反ジャーナリスティッ
> クな記事を掲載していたようです。 上記の東京新
> 聞や共同通信の例とはまるで逆のケースで
> す。 前田さんは上記の基調報告で「両論併記の形
> をとれば、ヘイト・クライム集団を持ち上げ
> ても平気という編集姿勢だ」と朝日新聞の報道姿
> 勢を強く批判しました。 さらに前田さんは同
> 朝日新聞と在特会との間にはなんらかの許されざ
> るべき取り引きがあったのではないか、 と
> いう推察を述べました。最近の朝日新聞の姿勢を
> 見ればありうることです。
>
> 上記の東京新聞記事、また共同通信記事、さらに
> 大阪毎日放送の報道については後日談が
> あり、在特会は、同会が批判的に取り上げられて
> 記事にされたということに激怒し、 上記メデ
> ィア各社に対し京都朝鮮学校同様の恫喝行為をし
> かけたということです。 その恫喝の模様は、
> これは大阪毎日放送への恫喝行為の例ですが、下
> 記のブログに動画としてアップされていま
> す(特に動画��に注目)。
> http://ameblo.jp/ryobalo/entry-10436071665.html
>
> 大阪毎日放送は在特会の面談申し入れという名目
> の恫喝行為を毅然と拒否し (前田さんに
> よれば担当者がジャーナリスト魂のある人だった
> らしい、です)、そのため同会は同放送局の
> 本社前の路上で抗議集会なるものを開かざるを得
> なかった模様ですが、東京新聞の場合は
> 編集部の責任者が在特会との面談を受け入れた模
> 様です。 しかし、 それはもちろん面談と
> 呼べるレベルのものではなかったでしょう。 東京
> 新聞に対する同会の恫喝行為のありさまは
> 上記の動画から推して知るべしです。 前田さんに
> よれば、 東京新聞の編集部も相応に毅然
> と対処したものの、くだんの記事を書いた記者は
> 今後同様の記事を書き続けることは困難だ
> ろう、ということでした。また、共同通信の場合
> は、くだんの記事を書いた記者は、前田さんの
> よく知っている人で、やはりジャーナリスト魂の
> ある信頼のおける人物ですが、 それでも記事
> は無署名記事にした。在特会の復讐を懸念しての
> ことだった、といいます。
>
> 上記いずれの場合にしても、 この在特会のメディ
> アへの恫喝と暴力は、言論機関の暴力へ
> の屈服が日本が戦争の道へとまっしぐらに突き進
> む端緒となった戦前のあの白虹事件 (大
> 阪朝日村山社長襲撃事件)を私に想起させます。
> いま、マスメディアは、戦前の経験を顧み
> て、右翼、在特会の暴力にメディアとして団結し
> て対峙するべきときがきている、 と私は思い
> ます。いまのマスメディアにそれが期待できない
> ならば、私たち市民がメディアをサポートして
> 右翼、在特会の暴力に対峙させるべきときがきて
> いる、と言い換えてもいいです。
>
> そのことを考えるために下記に戦前の日本のマス
> メディアが権力と暴力に屈した日のことを
> 書いた拙文を再掲させていただいたいと思いま
> す。 JANJANの2006年12月2日付に掲載さ
> れているものですが、下記にはその元原稿(2006年
> 6月4日付) を再掲させていただこうと思
> います。 http://www.janjan.jp/media/0612/0611305676/1.php
>
> ご一読いただければ幸いです。
>
> ━━━━━━━━━━━
> 先週末、私は、ゆふいん(由布院盆地)文化・記
> 録映画祭で『マイブルーヘブン 吉野作造・
> デモクラシーへの問い』(2002年、松川八洲雄監
> 督)を観てきました。
> (http://www.d-b.ne.jp/yufuin-c/bunka-kiroku/9th/lineup9th.htm)
>
> 本メールの趣旨は、同作品上映後のトーク、筑紫
> 哲也さんの舌鋒鋭く秀逸だったメディア
> 批判(特に朝日新聞批判)の紹介にあるのです
> が、まずは、その筑紫さんの鋭鋒の前提
> となった『吉野作造・デモクラシーへの問い』と
> は如何。
>
> 松川八洲雄監督(1932年生)は、彼自身のマ
> イブルーヘブン(でもあるだろう)、「幕末か
> ら明治、昭和の敗戦まで、国家統制とテロと戦争
> の長く 暗い時代の中で、ぽっかり開いた
> 青空のような時代」、大正デモクラシーと「その
> 時代の理論的・精神的支柱」、象徴としての
> 吉野作造を描きたかった。長野県伊那谷を在所に
> もつ松川監督は、吉野作造の「東北人
> 的反権力的民主主義理論」にも強く惹かれただろ
> う(薩長に「逆賊」と罵られた怨み。東北
> 人の「怨」は戊辰の役、現在から数えれば138
> 年前に遡る。筑紫さんノタマハク。「何年か
> 前、会津と長州・薩摩の『仲直りシンポジウム』
> を試みたが失敗した。会津の人は、いまで
> も『薩長だけは許せない』(笑い)と言う。それ
> に比べれば「靖国」の問題は61年前のこと。
> アジアの人たちが『靖国を許せない』と言うのも
> ムベナルカナ、ではないですか」と)、という
> のが私の感想です。
>
> もうひとつ。
> 同作品の基調音が松川監督のマイブルーヘブン
> 「吉野作造・大正デモクラシーの青空」だ
> とすれば、その低音部に惻々と流れるブルースは
> 「言論の自由とテロリズムとの闘い」と
> いう黒の舟歌、テロリズムへの松川監督の怒りだ
> と私は思いました。フィルム開始早々、
> 吉野作造生年(1878年)の写真に「1978
> 年 大久保利通暗殺」のスーパーがオーバー
> ラップします。そして、「1889年 文部大臣森
> 有礼暗殺」、「1911年 大逆事件で幸徳秋水
> ら12名処刑」…と、吉野の人生の歩調とともに
> あるかのようにテロリズムによる犠牲者(被
> 暗殺者)のスーパーの数も増していきます。「あ
> の時代」は足音を忍ばせて、いや、地下道
> に響く靴音のようにカン、カン、と甲高い音を立
> てて確実に近づいていたのです。
>
> テロリズムの映像は戦後も続きます。1960
> 年、浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年の
> 山口二矢に暗殺される場面。エンディングは
> 「9・11 アメリカ同時多発テロ」。『吉野作造・
> デモクラシーへの問い」は、ハイジャックされた
> アメリカン航空11便、ボーイング767が
> ニューヨーク世界貿易センタービルに突っ込む場
> 面で終わります。そのとき、「深くて暗い」
> 阿鼻叫喚の声が私にも聴こえたのでした。人はそ
> れを「幻聴」というのでしょう。しかし、
> 松川監督の腕前は、「戦後の民主主義の虚しさを
> も撃っている」(ゆふいん文化・記録映画
> 祭の解説)のでした。
>
> 同ドキュメンタリーのトーク・ゲストは本来、松
> 川八洲雄監督でしたが、監督急病のため、
> 急遽、筑紫哲也さん、「水俣」の映像作家・土本
> 典昭さん、同映画祭常連・宇宙物理学者
> の池内了さんが円座の中心に座りました。その中
> で断然気を吐いたのは筑紫哲也さん。
> この日の筑紫さんのメディア批判(特に朝日新聞
> 批判)は気が入っていました。時間や紙
> 数の制約もあって、「多事争論」(NEWS23)や
> 「自我作古」(週刊金曜日)ではこの手の仕
> 上がりはまず期待できない。これは紹介しておく
> べきことだろう、と思いました。
>
> 筑紫さんはまず、1918年の米騒動を「日本の
> 歴史上最大の民衆運動」と位置づけます。
> そして戦前、言論機関が権力に屈服していく端緒
> となった(といわれている)1918年の
> 白虹事件と、吉野作造vs右翼団体浪人会との対
> 決事件との関わりについて述べます。
>
> 当時、大阪朝日新聞(現朝日新聞)は、大正デモ
> クラシーの先頭にたって言論活動を展開
> していたのですが、その流れの中で、この米騒動
> も大々的に報じ、時の寺内内閣を追いつ
> めていきます。が、米騒動に関する大阪朝日の記
> 事の中に「白虹日を貫けり」という一句が
> ありました。「白虹貫日」は中国の故事で「革
> 命」を意味します。寺内内閣は、朝日新聞の
> 報道を「朝憲紊乱罪」(天皇制国家の基本法を乱
> す罪)に当たるとし、大阪朝日に「発行禁
> 止処分」に下そうとします。これがいわゆる白虹
> 事件といわれるものです。
>
> 白虹事件は、別名大阪朝日村山社長襲撃事件とも
> いわれます。白虹事件と機を一にして
> 大阪朝日の村山社長が、新聞社からの帰途、中之
> 島公園内で数名の右翼暴漢に襲われ、
> 「代天誅国賊」(天ニ代リテ国賊ヲ誅ツ)と記し
> た布切れを首に結ばれ、石灯籠にしばりつけ
> られるという事件が起きたからです。このテロリ
> ズムを機に、大阪朝日は権力に腰の引けた
> 報道をするようになります。権力とテロリズムに
> 言論機関が屈服したのです。
>
> しかし、吉野は、同襲撃事件について「中央公
> 論」同年11月号で「斯くの如き形で言論に
> 一種の圧迫を試みるのは決して喜ぶべき現象では
> ない」と右翼を非難します。吉野はさら
> に「立会演説」という小文を書き、右翼団体浪人
> 会に公開の場での対決を申し出ます。
> 吉野の日記に寄れば、この立会演説会は吉野側の
> 圧倒的勝利となります。当日は吉野の
> 身辺を守るために東大、早稲田の学生たちが多数
> 参加していました。吉野は、浪人会側
> が学生に暴力を振るった場面を捉え、「見よ。こ
> れが暴力で言論を封殺しようとする右翼の
> 正体にほかならない」と立会演説会の場で一喝し
> ます。言論弾圧に敢然と闘う吉野の勇気
> を学生たちが支えた。これが吉野の「勝利」の原
> 因だった、と筑紫さんは言います。若者た
> ちは勇気を持って闘う大人たちを支えようとする
> のです。しかしいま、私たちにそれができ
> るか。筑紫さんは難しい問いを自ら問いました。
>
> その後吉野は、1924年、東大教授の職を辞
> し、朝日新聞社に編集顧問兼論説委員とし
> て入社します。しかし、吉野は同年、入ったばか
> りの朝日新聞社を右翼と当局の圧力によ
> って退社させられます。朝日新聞は、危険人物と
> しての「吉野作造」を圧殺することによっ
> てただ権力とテロリズムに屈服するだけの「新聞
> 社」を守ったのです。慙愧の思いをこめて
> 筑紫さんはそう語りました。
>
> 翻って現在(いま)のジャーナリズムはどうか。
> 現在(いま)の朝日新聞はどうか、と筑紫さん
> は問いました。また、現在(いま)はテロリズム
> はないのか、とも。
>
> 話は先に亡くなった後藤田正晴氏のことに及びま
> した。後藤田さんは戦前の内務省官僚で、
> 戦後は警察官僚トップまで登りつめ、宮沢内閣時
> 代には副総理まで務めた人だ。その後藤
> 田さんに「サヨク」の私がどういうわけか気に入
> られた。私の番組(NEWS23)にも一番よく
> 出てきてくれたのが後藤田さんだ。15〜20回
> くらいにはなるだろうか。晩年、後藤田さんは
> 憲法9条問題など政治的に革新的な意見を述べる
> ことが多かった。その度に後藤田さんの
> 自宅に脅迫電話がかかったようだ。後藤田さん
> は、無言電話が一番堪えると言っていた。
> もちろん、右翼からの具体的な脅迫電話もあっ
> た。後藤田さんの奥さんは体の弱い方だった。
> 後藤田さんは奥さんのことを心配して発言を控え
> られたことがある。あるとき奥さんが言われ
> たそうだ。「私たちは老い先短いのだから、もう
> 思ったことを言いましょうよ」と。
>
> 後藤田さんは、私のことも心配して「筑紫君。
> (そんなことまで言って)大丈夫かね」とよく言っ
> てくれた(筑紫さんも右翼に狙われて、自宅には
> 帰らず、ホテルをねぐらにしていた時期があ
> ったことを私(東本)も多少は知っています。筑
> 紫さんとは少しばかり関わりがあったこともあ
> りましたので)。筑紫さんは現在(いま)のテロ
> リズムの危険性を身をもって体験していること
> をも語りました。
>
> そして、話はさらに現在(いま)の朝日新聞のこ
> とに及ぶのです。昨年末、『男たちの大和/
> YAMATO』(反町隆史、中村獅童、渡哲也ら出演)が
> 全国で劇場公開されたが、あの映画は、
> その中に友情や恋愛の物語があったとしても、ど
> う見ても60年前の戦争を美化する映画だ。
> その映画のスポンサーの筆頭に朝日新聞が名を連
> ねている。そして、そのことを恥とも思っ
> ていない様子だ。朝日新聞の感度はここまで鈍っ
> ている、と筑紫さんは言います。
>
> また話は、「水俣」の土本監督もいたことから、
> 水俣の産廃問題、水俣市長選の問題にも
> 及びました。水俣の作家、石牟礼道子さんは、メ
> チル水銀で汚れた水俣の海を「苦界」、まだ
> 水銀で汚されていない陸地を「浄土」と表現し
> た。水俣に唯一残された「浄土」すら、いま「苦
> 界」になろうとしている水俣の産廃最終処分場建
> 設問題、それに密接に絡む水俣市長選に
> マスコミはあまりにも無関心だった。私は、その
> 市長選の前夜、「多事争論」でこの問題を採
> り上げた。現在のマスコミ報道のあり方に対する
> 異議申し立てでもあった。土本監督が「市長
> 選の翌日、朝日には(親指と人差し指を丸めて)
> こんな小さな記事が載っていましたね」と水を
> 向けると、筑紫さんは、「いまの朝日は、ニュー
> ス価値の評価がわかっていないのです」と切り
> 捨てました。筑紫さんもほんとうは自身が30年
> 以上も勤めた朝日の悪口など言いたくないは
> ずです。その朝日の大先輩の筑紫さんを嘆かせる
> 現在(いま)の朝日とはなにか。もちろん、
> 「朝日」はマスコミの代名詞として使っているの
> です。そしてもちろん、マスコミの退廃を嘆いて
> いるのは筑紫さんばかりではありません。
>
> 長いメールになりましたが、これで終わります。
>
> ※大正デモクラシーを駆け抜けた吉野作造(1878〜
> 1933)は、若き日の西欧留学中、「有料
> の政治演説会に群がるパリの人々の姿、整然と歩
> く工場労働者の姿、金持ちの息子が職工
> をするなどの事実」を見て「労働者・民衆観」を
> 一変させ、それが彼の「民本主義」の基盤にな
> ったことは有名ですが、吉野はまた、「ベルリン
> での婦人選挙権に関する演説会等での女性
> の多さ、イギリスでの過激な女性参政権拡張論者
> の活動を見聞し」てこれまでの「女性観」を
> 一変させます。吉野は大正期に男性として「男女
> 平等論」に目覚めた先駆け的存在であった
> ことも付記しておきたいと思います。
> ━━━━━━━━━━━
>
> 東本高志@大分
> taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
>
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