[CML 002973] 在特会のマスメディアへの恫喝について〜「在日外国人の差別を許さない! 2.12北九州市民集会」に参加して考えたこと

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 2月 14日 (日) 16:50:41 JST


一昨日の2月12日にあった「在日外国人の差別を許さない! 北九州市民集会」に参加して
きました。同集会の基調報告者は龍谷大学法科大学院教授で、在特会の襲撃を受けた京都
朝鮮学校に通う児童3人の保護者でもある金尚均(キムサンギュン)さんと東京造形大学教授
の前田朗さん。会場となった北九州市立男女共同参画センター 「ムーブ」の5階大セミナール
ームがぎっしりと人で埋まる盛況でした。集会参加者は100人を超えていたと思います。京都
朝鮮学校を襲撃した在特会に対する怒りは、この北九州の地でも市民に確実に共有されてい
ました。それが同集会に参加した私の感想です。 その上で、この怒りをさらにさらに全市民的
なものにしていくことの重要性を思いました。

さて、上記の私の感想に結びつくことでもあるのですが、私は、同集会の基調報告者のおひと
りの前田朗さんの在特会の暴力に対するマスメディアの対応についての指摘に注意を喚起さ
れるところがありました。 今回の在特会の京都朝鮮学校襲撃事件について、 マスメディアの
一部は言葉の本来の意味でのジャーナリスティックな報道をしたところもあります。すなわち、
2009年12月18日付の東京新聞記事(特報欄)、2009年12月22日付の共同通信記事 (核心評
論〈外国人への「憎悪犯罪」〉)のことを指します(各ML配信メール参照)。さらに、私は知らな
かったのですが、前田さんによれば、 大阪毎日放送による在特会の京都朝鮮学校襲撃事件
についてのジャーナリスティックな報道もあったようです。

このほかにこれも前田さんから聞いて知ったことですが、 この時期、朝日新聞は在特会問題
に関して、 同会会長の発言を一面に写真つきで紹介するというきわめて反ジャーナリスティッ
クな記事を掲載していたようです。 上記の東京新聞や共同通信の例とはまるで逆のケースで
す。 前田さんは上記の基調報告で「両論併記の形をとれば、ヘイト・クライム集団を持ち上げ
ても平気という編集姿勢だ」と朝日新聞の報道姿勢を強く批判しました。 さらに前田さんは同
朝日新聞と在特会との間にはなんらかの許されざるべき取り引きがあったのではないか、 と
いう推察を述べました。最近の朝日新聞の姿勢を見ればありうることです。

上記の東京新聞記事、また共同通信記事、さらに大阪毎日放送の報道については後日談が
あり、在特会は、同会が批判的に取り上げられて記事にされたということに激怒し、 上記メデ
ィア各社に対し京都朝鮮学校同様の恫喝行為をしかけたということです。 その恫喝の模様は、
これは大阪毎日放送への恫喝行為の例ですが、下記のブログに動画としてアップされていま
す(特に動画ΝГ肪輒棔法
http://ameblo.jp/ryobalo/entry-10436071665.html

大阪毎日放送は在特会の面談申し入れという名目の恫喝行為を毅然と拒否し (前田さんに
よれば担当者がジャーナリスト魂のある人だったらしい、です)、そのため同会は同放送局の
本社前の路上で抗議集会なるものを開かざるを得なかった模様ですが、東京新聞の場合は
編集部の責任者が在特会との面談を受け入れた模様です。 しかし、 それはもちろん面談と
呼べるレベルのものではなかったでしょう。 東京新聞に対する同会の恫喝行為のありさまは
上記の動画から推して知るべしです。 前田さんによれば、 東京新聞の編集部も相応に毅然
と対処したものの、くだんの記事を書いた記者は今後同様の記事を書き続けることは困難だ
ろう、ということでした。また、共同通信の場合は、くだんの記事を書いた記者は、前田さんの
よく知っている人で、やはりジャーナリスト魂のある信頼のおける人物ですが、 それでも記事
は無署名記事にした。在特会の復讐を懸念してのことだった、といいます。

上記いずれの場合にしても、 この在特会のメディアへの恫喝と暴力は、言論機関の暴力へ
の屈服が日本が戦争の道へとまっしぐらに突き進む端緒となった戦前のあの白虹事件 (大
阪朝日村山社長襲撃事件)を私に想起させます。 いま、マスメディアは、戦前の経験を顧み
て、右翼、在特会の暴力にメディアとして団結して対峙するべきときがきている、 と私は思い
ます。いまのマスメディアにそれが期待できないならば、私たち市民がメディアをサポートして
右翼、在特会の暴力に対峙させるべきときがきている、と言い換えてもいいです。

そのことを考えるために下記に戦前の日本のマスメディアが権力と暴力に屈した日のことを
書いた拙文を再掲させていただいたいと思います。 JANJANの2006年12月2日付に掲載さ
れているものですが、下記にはその元原稿(2006年6月4日付) を再掲させていただこうと思
います。 
http://www.janjan.jp/media/0612/0611305676/1.php

ご一読いただければ幸いです。

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先週末、私は、ゆふいん(由布院盆地)文化・記録映画祭で『マイブルーヘブン 吉野作造・
デモクラシーへの問い』(2002年、松川八洲雄監督)を観てきました。
(http://www.d-b.ne.jp/yufuin-c/bunka-kiroku/9th/lineup9th.htm)

本メールの趣旨は、同作品上映後のトーク、筑紫哲也さんの舌鋒鋭く秀逸だったメディア
批判(特に朝日新聞批判)の紹介にあるのですが、まずは、その筑紫さんの鋭鋒の前提
となった『吉野作造・デモクラシーへの問い』とは如何。

松川八洲雄監督(1932年生)は、彼自身のマイブルーヘブン(でもあるだろう)、「幕末か
ら明治、昭和の敗戦まで、国家統制とテロと戦争の長く 暗い時代の中で、ぽっかり開いた
青空のような時代」、大正デモクラシーと「その時代の理論的・精神的支柱」、象徴としての
吉野作造を描きたかった。長野県伊那谷を在所にもつ松川監督は、吉野作造の「東北人
的反権力的民主主義理論」にも強く惹かれただろう(薩長に「逆賊」と罵られた怨み。東北
人の「怨」は戊辰の役、現在から数えれば138年前に遡る。筑紫さんノタマハク。「何年か
前、会津と長州・薩摩の『仲直りシンポジウム』を試みたが失敗した。会津の人は、いまで
も『薩長だけは許せない』(笑い)と言う。それに比べれば「靖国」の問題は61年前のこと。
アジアの人たちが『靖国を許せない』と言うのもムベナルカナ、ではないですか」と)、という
のが私の感想です。

もうひとつ。
同作品の基調音が松川監督のマイブルーヘブン「吉野作造・大正デモクラシーの青空」だ
とすれば、その低音部に惻々と流れるブルースは「言論の自由とテロリズムとの闘い」と
いう黒の舟歌、テロリズムへの松川監督の怒りだと私は思いました。フィルム開始早々、
吉野作造生年(1878年)の写真に「1978年 大久保利通暗殺」のスーパーがオーバー
ラップします。そして、「1889年 文部大臣森有礼暗殺」、「1911年 大逆事件で幸徳秋水
ら12名処刑」…と、吉野の人生の歩調とともにあるかのようにテロリズムによる犠牲者(被
暗殺者)のスーパーの数も増していきます。「あの時代」は足音を忍ばせて、いや、地下道
に響く靴音のようにカン、カン、と甲高い音を立てて確実に近づいていたのです。

テロリズムの映像は戦後も続きます。1960年、浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年の
山口二矢に暗殺される場面。エンディングは「9・11 アメリカ同時多発テロ」。『吉野作造・
デモクラシーへの問い」は、ハイジャックされたアメリカン航空11便、ボーイング767が
ニューヨーク世界貿易センタービルに突っ込む場面で終わります。そのとき、「深くて暗い」
阿鼻叫喚の声が私にも聴こえたのでした。人はそれを「幻聴」というのでしょう。しかし、
松川監督の腕前は、「戦後の民主主義の虚しさをも撃っている」(ゆふいん文化・記録映画
祭の解説)のでした。 

同ドキュメンタリーのトーク・ゲストは本来、松川八洲雄監督でしたが、監督急病のため、
急遽、筑紫哲也さん、「水俣」の映像作家・土本典昭さん、同映画祭常連・宇宙物理学者
の池内了さんが円座の中心に座りました。その中で断然気を吐いたのは筑紫哲也さん。
この日の筑紫さんのメディア批判(特に朝日新聞批判)は気が入っていました。時間や紙
数の制約もあって、「多事争論」(NEWS23)や「自我作古」(週刊金曜日)ではこの手の仕
上がりはまず期待できない。これは紹介しておくべきことだろう、と思いました。

筑紫さんはまず、1918年の米騒動を「日本の歴史上最大の民衆運動」と位置づけます。
そして戦前、言論機関が権力に屈服していく端緒となった(といわれている)1918年の
白虹事件と、吉野作造vs右翼団体浪人会との対決事件との関わりについて述べます。

当時、大阪朝日新聞(現朝日新聞)は、大正デモクラシーの先頭にたって言論活動を展開
していたのですが、その流れの中で、この米騒動も大々的に報じ、時の寺内内閣を追いつ
めていきます。が、米騒動に関する大阪朝日の記事の中に「白虹日を貫けり」という一句が
ありました。「白虹貫日」は中国の故事で「革命」を意味します。寺内内閣は、朝日新聞の
報道を「朝憲紊乱罪」(天皇制国家の基本法を乱す罪)に当たるとし、大阪朝日に「発行禁
止処分」に下そうとします。これがいわゆる白虹事件といわれるものです。

白虹事件は、別名大阪朝日村山社長襲撃事件ともいわれます。白虹事件と機を一にして
大阪朝日の村山社長が、新聞社からの帰途、中之島公園内で数名の右翼暴漢に襲われ、
「代天誅国賊」(天ニ代リテ国賊ヲ誅ツ)と記した布切れを首に結ばれ、石灯籠にしばりつけ
られるという事件が起きたからです。このテロリズムを機に、大阪朝日は権力に腰の引けた
報道をするようになります。権力とテロリズムに言論機関が屈服したのです。

しかし、吉野は、同襲撃事件について「中央公論」同年11月号で「斯くの如き形で言論に
一種の圧迫を試みるのは決して喜ぶべき現象ではない」と右翼を非難します。吉野はさら
に「立会演説」という小文を書き、右翼団体浪人会に公開の場での対決を申し出ます。
吉野の日記に寄れば、この立会演説会は吉野側の圧倒的勝利となります。当日は吉野の
身辺を守るために東大、早稲田の学生たちが多数参加していました。吉野は、浪人会側
が学生に暴力を振るった場面を捉え、「見よ。これが暴力で言論を封殺しようとする右翼の
正体にほかならない」と立会演説会の場で一喝します。言論弾圧に敢然と闘う吉野の勇気
を学生たちが支えた。これが吉野の「勝利」の原因だった、と筑紫さんは言います。若者た
ちは勇気を持って闘う大人たちを支えようとするのです。しかしいま、私たちにそれができ
るか。筑紫さんは難しい問いを自ら問いました。

その後吉野は、1924年、東大教授の職を辞し、朝日新聞社に編集顧問兼論説委員とし
て入社します。しかし、吉野は同年、入ったばかりの朝日新聞社を右翼と当局の圧力によ
って退社させられます。朝日新聞は、危険人物としての「吉野作造」を圧殺することによっ
てただ権力とテロリズムに屈服するだけの「新聞社」を守ったのです。慙愧の思いをこめて
筑紫さんはそう語りました。

翻って現在(いま)のジャーナリズムはどうか。現在(いま)の朝日新聞はどうか、と筑紫さん
は問いました。また、現在(いま)はテロリズムはないのか、とも。

話は先に亡くなった後藤田正晴氏のことに及びました。後藤田さんは戦前の内務省官僚で、
戦後は警察官僚トップまで登りつめ、宮沢内閣時代には副総理まで務めた人だ。その後藤
田さんに「サヨク」の私がどういうわけか気に入られた。私の番組(NEWS23)にも一番よく
出てきてくれたのが後藤田さんだ。15〜20回くらいにはなるだろうか。晩年、後藤田さんは
憲法9条問題など政治的に革新的な意見を述べることが多かった。その度に後藤田さんの
自宅に脅迫電話がかかったようだ。後藤田さんは、無言電話が一番堪えると言っていた。
もちろん、右翼からの具体的な脅迫電話もあった。後藤田さんの奥さんは体の弱い方だった。
後藤田さんは奥さんのことを心配して発言を控えられたことがある。あるとき奥さんが言われ
たそうだ。「私たちは老い先短いのだから、もう思ったことを言いましょうよ」と。

後藤田さんは、私のことも心配して「筑紫君。(そんなことまで言って)大丈夫かね」とよく言っ
てくれた(筑紫さんも右翼に狙われて、自宅には帰らず、ホテルをねぐらにしていた時期があ
ったことを私(東本)も多少は知っています。筑紫さんとは少しばかり関わりがあったこともあ
りましたので)。筑紫さんは現在(いま)のテロリズムの危険性を身をもって体験していること
をも語りました。

そして、話はさらに現在(いま)の朝日新聞のことに及ぶのです。昨年末、『男たちの大和/
YAMATO』(反町隆史、中村獅童、渡哲也ら出演)が全国で劇場公開されたが、あの映画は、
その中に友情や恋愛の物語があったとしても、どう見ても60年前の戦争を美化する映画だ。
その映画のスポンサーの筆頭に朝日新聞が名を連ねている。そして、そのことを恥とも思っ
ていない様子だ。朝日新聞の感度はここまで鈍っている、と筑紫さんは言います。

また話は、「水俣」の土本監督もいたことから、水俣の産廃問題、水俣市長選の問題にも
及びました。水俣の作家、石牟礼道子さんは、メチル水銀で汚れた水俣の海を「苦界」、まだ
水銀で汚されていない陸地を「浄土」と表現した。水俣に唯一残された「浄土」すら、いま「苦
界」になろうとしている水俣の産廃最終処分場建設問題、それに密接に絡む水俣市長選に
マスコミはあまりにも無関心だった。私は、その市長選の前夜、「多事争論」でこの問題を採
り上げた。現在のマスコミ報道のあり方に対する異議申し立てでもあった。土本監督が「市長
選の翌日、朝日には(親指と人差し指を丸めて)こんな小さな記事が載っていましたね」と水を
向けると、筑紫さんは、「いまの朝日は、ニュース価値の評価がわかっていないのです」と切り
捨てました。筑紫さんもほんとうは自身が30年以上も勤めた朝日の悪口など言いたくないは
ずです。その朝日の大先輩の筑紫さんを嘆かせる現在(いま)の朝日とはなにか。もちろん、
「朝日」はマスコミの代名詞として使っているのです。そしてもちろん、マスコミの退廃を嘆いて
いるのは筑紫さんばかりではありません。

長いメールになりましたが、これで終わります。

※大正デモクラシーを駆け抜けた吉野作造(1878〜1933)は、若き日の西欧留学中、「有料
の政治演説会に群がるパリの人々の姿、整然と歩く工場労働者の姿、金持ちの息子が職工
をするなどの事実」を見て「労働者・民衆観」を一変させ、それが彼の「民本主義」の基盤にな
ったことは有名ですが、吉野はまた、「ベルリンでの婦人選挙権に関する演説会等での女性
の多さ、イギリスでの過激な女性参政権拡張論者の活動を見聞し」てこれまでの「女性観」を
一変させます。吉野は大正期に男性として「男女平等論」に目覚めた先駆け的存在であった
ことも付記しておきたいと思います。
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東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp



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