[CML 005443] Re: 天木直人氏のブログに見る小沢待望論について(千葉 青野)

田口 hantenno at m10.alpha-net.ne.jp
2010年 8月 30日 (月) 15:26:57 JST


東本さん、 大津留さん、 野口さん
 正直に言って、難しい理屈を理解する頭は私にはありません。
ただ次のことは分かります。コチラ側同士で時間と精力を浪費
しさらに分裂することはアチラ側を喜ばせるだけだ、と。
 私は次のように考えます。
 対話をする時は互いに誠あるいは愛情を持って、または 「手を
組めますように」 と願いながらしたほうが建設的である。対話は
キャッチボールに似ている。またふたりで交互に積み木を積んで
一つの作品を作りあげることに。そして互いの欠点が修正され
学び合い絆が強まる。しかし現実には雪合戦か砂の城の壊しっこ
になっている。顔を合わせれば気の合わない奴はどこの世界にも
おりますが、文字での文通なら関係ないでしょう。「気の合う人だ」
と互いに思いこめばよい。自分の好きな役者の声で読めばよい。
 人は自分の思いを言葉で完全に表現することは不可能である。
表情・声色・身振りで補うことができるが電子便での対話ではそれが
できない。甘ったるい声で愛情を込めて 「ばか」 と書いても、相手は
敵意にとる可能性が高くなる。
 政党に吠えたって影みたいなものだから蚊に食われたほどもない
でしょう。でも生身の人間には言葉は時として刃物以上に切れます。
 日本語には 「ものは言いよう」 という諺もあるじゃないですか。
人間は機械じゃないんですから、言いようによって相手は変わりますよ。
正確にはふたりの仲は。札束つんだって変わるんだから。
 アチラ側とコチラ側、彼我の勢力差は圧倒的です。それでも敵は
油断しない。必ず分断工作に出てきます。搾取される者のほうが
はるかに多いのですから我々の連携を支配者は恐れる道理です。
 碁打ちの玄人 武宮 正樹 九段の私は愛好者ですが、囲碁を打つ
ことを人にすすめています。ボケ防止にもよいのですが連携の大切さが
身に付くと思うからです。零戦乗りの坂井 三郎さんは飛んでいるトンボと
ハエを素手でつかむ練習をなさいました。この訓練が、高速で飛ぶ敵機を
撃ち落とすときに非常に役に立ったそうです。目先の利益に目がくらんで
各石をバラバラに小さく生かしても上手には勝てない。味方の全部の石が
つながればまず負けることはない。囲碁は連携の訓練になる。
 辛 淑玉さんが佐賀に来られた時に私が、「社会運動も囲碁のように
つながって行きましょうよ」 と申し上げたら、辛さんのご返答に私は度肝を
抜かれてしまいました。

「いや、囲碁じゃなくてオセロで行こう」

 つまりコチラ側が連携して敵石を殺すのではなく、アチラ側の人間を
挟んでコチラ側に寝返らせようというのです。
 皆さん、オセロという遊びをご存じですか。四隅(よすみ)をコチラ側が
とれば、勝負は大いに有利です。またヤスリ攻めといって角から
順番に置いていった味方の石は絶対に敵のものになりません。
 社会運動へのオセロ活用の極意は、「ものは言いよう」 でしょう。

 先日ある本で次の実話を知りました。あるお店での会話。

店員 : 「いらっしゃいませ」
ひねくれて見えるオヤジ客 : 「いらっしゃいました」

 このように言われたら普通 腹が立ちますよね。「客は神様じゃ
ねえんだよ。お前みたいな奴には売ってやらない。帰りやがれ」 
私ならそう思いますね、口には出さないけれど。しかし ここの
店員さんは偉かった。この客に対して、ひとこと。 何と言ったと
思いますか。

「お待ちしておりました」

 これを横で聞いていた人が感心して商品を買って帰りました。
オヤジ客本人がどうしたかは不明です。
 はたで聞いている別の人が味方になる可能性もある。

 我が部落では暑さが少ぉし和らいできました。皆さん、秋には
淋しく感じるものですか。私は晩夏に寂しさを感じます。ツクツク法師が
鳴き出しました。この声を聞くとたまりません。祭りのあとの寂しさに
似ているかな。
 AML に投稿していた人達。 CML に「あの人の名前もないなあ」と
気づいた時、淋しくなります。 



CML メーリングリストの案内