[CML 005396] 中国人権情報(5)

Ken Kawauchi kenkawauchi at nifty.com
2010年 8月 25日 (水) 23:33:23 JST


河内謙策と申します。(この情報を重複して受け取られた方は、失礼をお許し下さい。
転送・転載は自由です。)

 私の友人から「中国の人権派弁護士の一人一人のことをもっと知りたい」という声が寄せられました。たしかにその面の紹介が遅れていたと思います。香港の「中国人権派弁護士支援グループ」のサイトに適切な紹介文を見つけましたので、以下、数回に分けて訳出します。これを読んだ皆さんが、「こんな立派な活動をしている中国人権派弁護士に対し、日本の市民は大いに支援と連帯をすべきでないか」という声をあげて下さるよう希望いたします。少し長くなりますし、全部翻訳するのに9月一杯はかかるかも知りません。御了解と御支援をお願いいたします。

河内謙策 拝

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               人権派弁護士の簡単な紹介(その一)
       (原文は「中国人権派弁護士支援グループ」のサイトに掲載)
            http://www.chrlcg-hk.org/?page_id=61
                                      翻訳:河内謙策

 我々は、以下に中国の著名な人権派弁護士を紹介し、彼らが取り組んでいる事件についても紹介をすることとしたい(資料は2010年6月現在のものである)。

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http://www.chrlcg-hk.org/?cat=8

高智晟(カオ・チーション)
高智晟弁護士事務所

高智晟は、若い時は独学だった。彼は三年間大いに学び、1996年から法律家としての仕事を開始した。

高智晟が最初に国際的な関心を集めたのは、彼が北京のキリスト教徒蔡卓華、蔡の妻・肖雲飛、肖雲飛の弟肖高文の事件の弁護人になった時で、三人は聖書を印刷し「非合法出版の罪」に問われたのである。高は自らの反論をインターネットにも掲載した、すると政府は彼の行為が弁護士の職務からかけ離れ政治の領域に踏み込んでいると非難した。高は直ちに中国の法制度は公民の権益を保障するのに十分ではないと反駁し、「中国では、今日の弁護士は、もっと多くの行動をし、もっと多くの責任を持たなければならない」と述べたのである。

高智晟は、その後、宗教家の人権の専門家になった。2005年10月18日、彼は胡錦濤と温家宝に対し、三度目の書面[公開状]を提出して、政府が宗教家の迫害を止めるよう呼びかけた。北京市の司法局は何度も彼を呼びつけて、彼が公開状を撤回するよう求めた。しかし、高智晟は、これを拒絶した。同年11月4日、北京市司法局は、彼の弁護士執務証明書を取り消し、弁護士事務所の業務停止1年の処分を強行した。この時から、高とその家族は、いつも嫌がらせを受け、監視をされるようになった。高は警察官に何度も脅かされ、さらに意図的ではないかと思われる事故に遭遇したこともある。

高智晟は、弁護士の権益を守り、弁護士協会の会費の低減化を図るために、弁護士協会の主席の椅子を争おうとしたこともある。

2006年2月4日、高智晟は、広東省の弁護士郭飛雄が公安に暴力的に殴打されたことに抗議して48時間の絶食行動を行った。この行動に約1000名の人権活動家が呼応して絶食行動に入り、更に16省の4000名を超える人々が署名によって高の行動を応援し、国際社会も署名行動を展開する事態となった。中国政府は直ちに弾圧し、30名を超える人(高智晟の3名の助手を含む)が行方不明になったり拘禁されたりした。中国政府の司法部は2月24日に高智晟を召喚し、12月4日に「国家政権転覆煽動罪」で懲役3年、執行猶予5年の判決が言い渡された。

2009年2月4日、高智晟は執行猶予期間中であったにもかかわらず、突然公安に陝西省の家から連れ出され、それ以来音信がない。

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http://www.chrlcg-hk.org/?cat=9

郭飛雄(クオ・フェイシオン)

本名は楊茂東、彼は上海華東師範大学を卒業した、かつて大学で教えていたことがある、その後、ライターになった。彼は、正式の法律の訓練を受けていない。

郭飛雄は、2005年に広東省の太石村の村民に協力し、太石村の問題を世間に知らしめた。太石村の村民は村役人の汚職に不満を持ち、選挙によってその失脚を図ろうとした。しかし、村民の行動は地方政府の強烈な弾圧に遭い、ほかの人の村への立ち入り禁止の措置がとられた。地方の公安が妨害し、彼に暴行を加えたが、郭飛雄は村民に対する法律的な援助の提供を止めなかった。

2006年2月3日、郭は何者かによって襲撃されたが、彼らは公安と黒社会の人間であると見られている。その後、高智晟弁護士が郭に対する暴力迫害に抗議して絶食行動を展開した。郭飛雄は2月8日に北京に行って中央政府に陳情することを計画していたが、当局により拘留され広州で軟禁された。2006年9月14日、広州公安局は彼がある本を出版したことをもって「非合法出版」の罪名で彼を正式に逮捕した。彼の事件は、何回も拘禁が繰り返され、たらい回しにされた後、2007年11月14日に実刑5年ということになった。彼は獄中で暴行を受けていると言われている。* 

* 国境を越える記者「インターネットの反体制分子郭飛雄が拘留期間中に暴行を受ける」(“Cyber-dissident Guo Feixiong tortured in detention”),2008年11月6日,  http://www.rsf.org/Cyber-dissident-Guo-Feixiong.html

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http://www.chrlcg-hk.org/?cat=10

鄭恩寵(チョン・オンチョン)

鄭恩寵は独学で弁護士資格を取得した後、上海の四維弁護士事務所で働き、財産関係の訴訟に長じ、長年500名を超える人からの依頼をうけて、市区の計画的な住民強制立ち退きをめぐる訴訟に取り組んできた。

2003年、彼は上海静安区東八塊の立ち退きを迫られている住民の委託を受けて、不動産屋で「上海第一の金持ち」周正毅と静安区政府が結託して、法に基づかない形で土地を取得したということで告訴し、周正毅を相手とした訴訟を開始しようとしていた。2003年6月6日、上海警察が鄭の刑事拘留を企てた、6月18日には「国家機密を違法に取得した罪」で彼を正式に逮捕した。8月28日、鄭弁護士に対する「国家機密を違法に取得した罪」が確定し、2003年10月28日には上海市第二中級人民法院が「国外の者に違法に秘密を提供した罪」というデッチ上げの罪で3年の刑を言渡した。判決書は、鄭は、かつてある記者の要求に基づき上海市政府から「内部参考」報告を違法に取得したこと、また上海の労働者のデモについての資料を国外の組織に提供した、と述べている。鄭恩寵の逮捕と判決は国内と国際社会に大きな反響を引き起こした、それは彼が巨大な財産を持つ不動産屋を訴えたからだけではなく、周正毅も捜査の結果、役人と結託し住民の財産を不法に侵奪した罪に問われることになったからである。

2005年、鄭恩寵はドイツ法律家協会の2005年度人権大賞を獲得した。

2006年6月5日、鄭恩寵は刑の満期により出獄した。彼は弁護士の執務資格を取り消されたけれども、法律と人権についての意見発表を継続している。彼は出獄後も厳格に監視され家に軟禁されている。さらに当局に呼び出され、暴行すら受けている。2008年鄭恩寵を含む15名の法律家が声明を発表した、声明では、中国政府・民政部[日本の総務省に該当]の中国キリスト教家庭教会連合会を取り締まるという決定を批判し、中国憲法も公民の結社の自由と宗教の自由を保障していることを指摘し、このような憲法で保障している基本的な公民の権利を侵害する《社団登記条例》の撤回を要求している。

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http://www.chrlcg-hk.org/?cat=11

楊在新(ヤン・ザイシン)
百挙鳴弁護士事務所

楊在新は、1996年から広西チワン族自治区の中馳弁護士事務所に所属していた。
2002年には、その事務所のパートナーになった。彼は、その後、百挙鳴弁護士事務所で働くようになった。2009年5月には弁護士資格の執務審査に通らないで資格を失いかけたが、最終的には6月9日にパスしている。

楊の最も著名な訴訟事件は、農民の土地の権利についての事件、計画出産の事件、法輪功の事件である。

2006年1月、楊は、山東省の弁護士劉如平の依頼により、彼の弁護人となった。
劉如平は、法輪功の研修生であり、かつて法輪功の声明を支持したことにより労働改造所に入れられたことがあった。楊在新が労働改造所について告発し法輪功研修生のために弁護をしようとしていた、その時に、楊在新の所属していた中馳弁護士事務所が、楊が広西平果県の法輪功研修生を弁護したということで楊との契約を解除してきた。

2006年2月11日、正当にも楊が高智晟の絶食行動を支持している時に、国の公安部のものからという電報が来て彼を威嚇し、彼は短期間拘留された。

広西公安局は、二度にわたって楊が佛山村民のために法律的援助をしようとしたことを阻止したことがある、そのうちの1回では、彼は広西の辺境に連れて行かれて、彼はそこから自宅まで歩いて帰らなければならなかった。

2009年4月、楊弁護士は、土地を取り上げられる農民のために訴訟事件を引き受けている時に、彼は地方政府の役人に買収されたと思われる人間に襲撃され暴行を受けた、地方政府はフィンランドの製紙工場のために農民の土地を取り上げようとしたのである。襲撃事件の後、フィンランドでは大争議が発生し、フィンランドの首相は直ちに投資のための調査をとりやめるよう指示を出した。2009年、楊在新の所属弁護士事務所は一年に一回の検査の過程で大きな圧力を受けた、楊も弁護士資格を取り上げられた。楊は、前司法局の役人が事務所の責任者に連絡してきて、「敏感な」事件については楊が新聞などのメディアに接触しないように要求してきたと述べている。

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http://www.chrlcg-hk.org/?cat=12

許志永(シュ・チーヨン)

許志永は北京大学で法学博士の学位を取得し、現在、北京郵電大学の講師、北京海淀区の人民代表大会の代表である。

2003年、大学生孫志剛が広州の収容所で殴られて死亡した事件は、センセーションを巻き起こした。事件後、許志永と滕彪と俞江の3人の法学博士が連名で全国人民代表大会常務委員会に書面を送り、非人道的な《都市の流浪者・物乞いの収容・送還についての法律》の廃止を要求した。三博士の書面の提出は中国内外にショックを与えた。最後に温家宝総理が、この悪法の廃止に署名した。
彼はまた著名な企業家孫大午が公衆から資金を違法に集めたと言われる事件にも関与した、許弁護士は彼を弁護し、その結果彼は軽い判決を得ることができた。この事件の前に、彼は李和平弁護士とともに高智晟弁護士の弁護を担当した。高智晟の弁護士事務所は、政治的理由により営業禁止1年に処せられたのである。

許志永は、《南方都市報》という新聞の前主筆程益中と前社長の喩華峰の訴えにも協力したことがある。2005年許は、中国の多数の宗教や海外にも重大な影響を与えた家庭教会のリーダー蔡卓華を含む事件、峡北油田の資産剥奪事件、山東省の暴力的産児制限事件にも関与した。

山東省の暴力的産児制限事件は、許志永と人権派弁護士のグループが力を入れて強権に抗し、ついには勝利した事件で、関与した弁護士は滕彪、李和平、李蘇濱、江天勇、李春富である。彼らは山東省臨沂市の暴力的産児制限事件につき独立して調査と証拠収集を行い、調査結果を広く公表するとともに中央政府に伝えることをした。また同時に「はだしの弁護士」陳光誠の弁護を担当した。これらの取り組みの過程で、許志永とその他の人権派弁護士は妨害を受け、暴行され、差し押さえされた。

2007年、許志永は、中国の法治を進めることを目標に、民間組織「公盟」を立ち上げた。2008年、許志永は、北京へ陳情に来た者を収容する、いわゆる「黒い牢獄」の直接的な資料を入手し、これを発表した。同年、いわゆる三鹿事件と言われるメラミン混入粉ミルク事件の損害賠償請求の代表となった。同事件では、少なくとも6名が死亡し、10万名の嬰児が罹病したと言われている。

北京郵電大学の党書記は、許志永に対し、許志永が社会的な人権擁護運動に参加することを継続するならば、大学での職を失うだけでなく、人身の自由も奪うことを命じる可能性があると告戒したことがある。

2009年7月29日、当局は、「公盟」の財政責任者荘璐は釈放したものの、許志永は、彼が税金を逃れようとしているという理由で拘留した。「公盟」は税金逃れという理由で146万人民元の支払いという重罰を課され、当局により禁止された。許志永は、2009年8月23日に釈放された。

[続く]

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河内謙策 〒112-0012 東京都文京区大塚5-6-15-401 保田・河内法律事務所
(電話03-5978-3784、FAX03-5978-3706、Email: kenkawauchi at nifty.com)








































 























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