[CML 005318] Re2: グランサコネ通信24「思想の誤植について」

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 8月 17日 (火) 19:31:01 JST


前田さん

先のメール(CML 005255)で、私は、前田さんの標題の論について、「前田さんの花崎批判には肯える
ところが多いです」と述べておきました。また、その文言のすぐ後に次のような但し書きの言葉も添えて
おきました。「前田さんの論の正当さを検証する意味もこめて花崎さんの『田中正造と民衆思想の継承』
(七つ森書館、2010年)を読んでみます」。

5日ほど前にその花崎さんの著書『田中正造と民衆思想の継承』をざっとですが読んでみました。読ん
でみて今度は逆に前田さんの論は正当な花崎皋平論とは言い難い、という違和を持ちました。その私
の違和をここですべて述べようとは思いませんが、そのうちの2、3の違和について述べてみます(すぐ
に返信を認めなかったのは「ヒデリノ」夏ということもありバテ気味の気分とともに、「北ニケンカヤソショ
ウガアレバツマラナイカラヤメロトイイ」(宮沢賢治「雨ニモマケズ」)という無為な争論を忌避する気分も
少なからずあったからです。誰しも言い争いになるだけの(それが予想される)争論はしたくないもので
す。だから私は争論をするつもりはなく、このメールは先の私のコメントの訂正の意で書いています)。

その第1は前田さんの文字どおりの花崎評価についての違和です。前田さんは自身の花崎評価を次
のように述べます。

「著者が『民衆思想の基本の立場』を『はっきりと意識した』のが全共闘の大学闘争であったといいま
す(238頁)。正造の民衆思想を論じた本書の冒頭と最後に、全共闘事件、著者の北大助教授辞職
が繰り返し取り上げられています。(略)著者の議論の立て方自体が、実は『知と権力』に寄りかかっ
ているのです。著者は40年間、何度も何度も、北大助教授を辞職したことをもって自らの民衆思想
の正当化にあててきました。この回路が著者の限界でしょう。旧帝国大学助教授として権力の側でも
立派にやっていけた私が、あえて助教授を辞職してまで、民衆思想を論じ、発展させてきた、という
論理は、旧帝国大学の権威抜きには成立しないのです。そうでなければ、40年もたっているのです
から、北大辞職など持ち出さずに、自らの民衆思想そのものを持って民衆思想を語って見せればよ
いのです」(グランサコネ通信24「思想の誤植について」)
http://maeda-akira.blogspot.com/2010/08/blog-post_10.html

しかし、私が同著を読んだ限り、花崎さんは自身の北大助教授辞職経験を「本書の冒頭と最後に
(略)繰り返し取り上げ」ていることは事実ですが、それは自身の論の主題の展開に相応したもので、
かつ必要最小限の言及にすぎません。それを「繰り返し」「(著者は40年間、)何度も何度も」という
レトリックを用いて「旧帝国大学助教授として権力の側でも立派にやっていけた私が、あえて助教授
を辞職してまで、民衆思想を論じ、発展させてきた」というように解釈し、花崎さんがあたかも「自らの
民衆思想の正当化」のために「不必要」に同辞職経験を言挙げしているかのようにいうのは、それこ
そ人を「不必要」に貶める行為というべきであり、不当なことだと私は思います。

第2の違和は花崎さんが定義する「民衆思想家」の謂を前田さんはご自身の流儀を超えて歪曲して
解釈していること。また、「民衆思想」というものに対する前田さんの少々狭量な解釈に対する違和
です。

前田さんは次のように言います。「(同著第三部の)『継承』では、民衆思想家と呼ぶべき前田俊彦、
安里清信、貝澤正をとりあげ、自らの人生を織り込んでいます。つまり、田中、前田、安里、貝澤、
花崎とつづく民衆思想家の流れを唱え、その観点から田中正造に学ぶべきことを再発掘する試み
です」(同上)。

しかし、花崎さんの民衆思想家及び民衆思想の定義は次のようなものです。

「民衆思想家は実践を通じての問題解決を優先し、社会的政治的文化的活動の通信物やパンフ
レットに、そのつどの必要に応じて文章を書いたり語ったりしても、本を書いて自分の思想を述べ
ることに主眼を置いていない」(『田中正造と民衆思想の継承』「第9章 瓢鰻亭 前田俊彦」p167)

「民衆思想とは、民衆の一員であることに徹し、地域に根ざした実践と経験に基づいて練り上げら
れた自前の思想を指す。それは必ずしも文字で書かれたり、著書となってひろめられたりするもの
ではない」(同「第13章 田中正造の思想的可能性」p236)

花崎さんはいうまでもなく「本を書いて自分の思想を述べることに主眼を置」いている作家、思想家
です。花崎さんの上記の定義に従えば、花崎さんが自らを民衆思想家の位置に布置させることは
ありえません。花崎さんはただ自身の生き方として「この社会から疎外され、差別されている辺境
民、下層民、少数民族、在日朝鮮人、障害者など『弱者』とされる人びととの連帯や共生を第一義
に追及する生き方」(『開放の哲学をめざして』1986年、p88)「『地域』に根ざす生活者=住民の立
場を根拠として、普遍的な主体たることをめざす」(『生きる場の風景』1984年、p153)生き方を選び
取ろうとしているだけです。花崎さんの本を素直に読めばそのように読解するのは当然のことのよ
うに思えます。

また、前田さんは花崎さんの提示する民衆思想家としての田中正造像に反対し、民衆思想という
ものについて次のような評価をくだします。

「民衆には生産があり、現実の生活があります。正造はあちこち流転し、各地の支持者の家に宿
泊し、運動や調査をしながら転々と移動して行ったのです。高等遊民のごとく、民衆の生活に寄宿
していたのです。(略)無私、無所有、無宿の思想は民衆とは関係のない思想です」(同上)。

しかし、前田さんのこの民衆思想というものに対する評価は少し以上に狭量すぎるように思います。
前田さんの考えによれば非生産者は民衆思想家とはいえない、ということのようですが、ブッダの
教えに最も近い、すなわち最も古い形の仏教の聖典として定評のある「スッタニパータ」(中村元訳、
岩波文庫)に托鉢という宗教者の非生産行為について語っているブッダの次のようなことばがあり
ます(pp23‐27)。

「ある朝のこと、ブッダは托鉢のためにあるバラモンの家の前に立った。ブッダの托鉢の姿を見る
とそのバラモンはブッダに次のように言った。『沙門よ、私は田を耕し、種を蒔いて、食を得ている。
あなたも、みずから耕し、種を蒔いて、食を得てはどうか』。ブッダは次のように返答した。『バラモ
ンよ、私も、耕し、種を蒔いて、食を得ている』。バラモンはさらに次のように言った。『だが、私共は
誰もまだ、あなたが田を耕したり、種を蒔いたりする姿を見たものはない。あなたの鋤はどこにある
のですか。あなたの牛はどこにいるのですか。あなたは何の種を蒔くのですか』。ブッダは以下のよ
うな偈を以って答えた。『信はわが蒔く種子である。智慧はわが耕す鋤である。身口意の悪業を制
するは、わが田における除草である。精進はわが引く牛にして、行いて帰ることなく、おこないて悲
しむことがない。かくのごとく私は耕し、かくのごとく私は種を蒔いて、甘露の果(み)を収穫するの
である』。かのバラモンはその意味をすぐに理解してブッダに言った。『尊者よ、尊者はすぐれた農
夫でいらっしゃいます』・・・・」(下記の「8月の標語」を参照して意訳、要約しました)。
http://www.joshukuji.info/hyogo2008.html#8

上記の標語の解説は言います。「大地を耕し、荒地を切り開き、美田を作り、豊かな収穫を上げる
のが農業の営みです。ブッダの教えは、人間の心の中の荒野を切り開き、うるわしい人格を開発し
て、豊かな営みを得ようとする道」も「大地を耕し、荒地を切り開き、美田を作り、豊かな収穫を上げ
る」ことにほかならない、と。そのことをよく理解したからこそ、かのバラモンはブッダの帰依者となっ
た、というのが「スッタニパータ」に記されている釈迦のダイアローグ(問答)です。民衆思想にとって
重要なことは「地域に根ざした」生をともにし、活動をともにするという共生の感覚だと私は思います。
田中正造の「無私、無所有、無宿の思想」は農民という生産者の共生の思想に支えられて存在し
ています。そこに画然と線を引いて生産者と非生産者とに分けることにどれほどのそれこそ生産的
な意味があるでしょうか。私は意味はない、と思います。

第3の違和は第1の前田さんの花崎評価についての違和とも重なるものですが、花崎さんの上記の
著書において女性民衆思想家は取り上げられていない(「いささか揚げ足取りの批判であることは
承知してい」るという断り書きがありますが)、という前田さんのやはり花崎評価に対しての違和です。

前田さんは次のように言います。

「本書では、民衆思想家として4人の男性思想家がとりあげられています。(略)しかし、それはアリ
バイづくりにすぎません。『40年以上にわたるライフワークの集大成』として4人の男性民衆思想家
だけを取り上げているのですから、著者の判断は、女性民衆思想家は取り上げるに値しないという
ことです。著者は、石牟礼道子、森崎和江、田中美津の名前だけ記しています(227頁)が、その
人物や思想について紹介も検討もするには値しないと判断しています」(同上)。

前田さんの言われるとおり『田中正造と民衆思想の継承』では女性民衆思想家は取り上げられて
いません。しかし、女性民衆思想家は取り上げられていない、と前田さんが断定する根拠のひとつ
として「著者は、石牟礼道子、森崎和江、田中美津の名前だけ記してい」ると紹介している同著22
7頁には実際には次のように書かれています。

「女性の民衆思想家たち、具体的には、水俣の石牟礼道子、同じく九州の森崎和江、ウーマンリ
ブの田中美津などから、この本で挙げた民衆思想家に勝るとも劣らない思想をまなんできた」(同
著、p227)。

「女性民衆思想家は取り上げるに値しない」、また「紹介も検討もするには値しない」と考える人が、
「女性の民衆思想家たち」に「この本で挙げた民衆思想家に勝るとも劣らない思想をまなんできた」
というような上記のような文章を果たして書くことができるでしょうか? 考えられないことです。

前田さん自身がわざわざ「いささか揚げ足取りの批判であることは承知してい」るという断り書きを
書いていているのですから、次のことも承知の上で書いているのかもしれませんが、私の知る限り
でも、花崎さんはたとえば田中美津さんの思想については『アイデンティティと共生の哲学』(筑摩
書房、1993年)、『個人/個人を超えるもの』(岩波書店、1996年)などで詳しく取り上げていますし、
『〈共生〉への触発』(みすず書房、2002年)では在日朝鮮人女性思想家の李静和さんの思想を詳
しく論じてもいます。石牟礼道子さんや森崎和江さんに対する花崎さんによるまとまった論説は私
は知りませんが、折にふれて石牟礼さんや森崎さんに対する尊敬の念をその著作で述べています。
「女性民衆思想家は取り上げるに値しない」などと花崎さんは判断している、と断定する前田さんの
論は前田さんには甚だ失礼ながらデマゴギーに近い論だといわなければならないように思います。

まだまだ前田さんの標題の論には違和、異論がありますが、はじめに述べたようにこのメールは
前田さんの論の反論を意図したものではなく、私の先のコメントの訂正を意図したものにすぎず、
その意図は十分に達したものと自分では判断しますのでこれで終了したいと思います。

前田さんの標題の論の感想は、批評される側としての花崎皋平さんの『田中正造と民衆思想の
継承』という著作を読んでから述べるべきでした。反省しています。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi


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