[CML 003902] 裏表の顔

坂井 貴司 donko at ac.csf.ne.jp
2010年 4月 30日 (金) 17:31:42 JST


 坂井貴司です。
 
 熊田さん[CML:003806]は、先日死去した劇作家・小説家の井上ひさしが、前妻
に対して凄まじい暴力を振るっていたことを伝えました。
 
「右であれ、左であれ、バタラー」
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20100413

 そのことについては、私も知っていました。
 
 私は「吉里吉里人」や「コメの話」を読んで熱烈な井上ファンになりました。
また、憲法九条改正反対運動に積極的に取り組む姿には尊敬の念を抱いていまし
た。
 
 それを崩したのが、『修羅の棲む家』(はまの出版)でした。「ボクサーのよ
うにリズムをとって私の顔にパンチを浴びせ続けた」という描写には驚きました。
博識とユーモアにあふれた小説を書く人が、このような恐ろしい暴力を妻に振る
うとは想像を絶することでした。彼にはこのような裏の顔があることを知った私
は、「熱烈な」ファンであることをやめました。
 
 井上ひさしは、劇作家・小説家としては間違いなく超一流でしたけれど、人間
としてや「失格」の面を持っていました
 
 「進歩的知識人の仮面をはいだら最低の人間だ」という高笑いが聞こえてきそ
うです。
 
 人間は誰でも裏表の顔があると言いますけれど、多くの人々から尊敬されてい
る人物の多くは、裏の顔を持っています。
 
 井上ひさしと同じ時期に活躍し、死後も「国民的作家」として人気がますます
上がっている小説家、司馬遼太郎(1923年〜1996年)もそうでした。
 
 司馬はアニメ映画監督の宮崎駿や物理学者湯川秀樹など多くの人々と交友関係
を持ちました。誰もが司馬を、誠実で穏やかで鋭い洞察力のある人物と絶賛しま
した。一つの歴史小説を書くのに、古書店を空っぽにしてしまったと言われるほ
ど資料収集に熱心でした。
 
 彼を讃える本やテレビ番組はたくさんあります。
 
 しかし、彼が最初に結婚した妻を守らなかったこと、その妻との間に生まれた
子どもを養育放棄したことは誰も語りません。
 
 司馬は最初の妻と結婚した時、自分の父親の家に同居しました。なかなか子ど
もを産まないことに腹を立てた司馬の父親は、「3年孕まずは猿と一緒」と彼女
を罵り、いじめました。嫁いびりに苦しむ先妻を司馬は「仕事が忙しいから」と
守りませんでした。長男が生まれたあとも義父のいじめが続いたために、先妻は
司馬と離婚しました。ところが司馬の父は「長男はウチの跡取りだ」と自分の手
元に置き、母と引き裂いてしまいました。これにも司馬は黙っていました。そし
て司馬は自分の息子には全く関心を払いませんでした。司馬は長男の養育を両親
に任せて、ひたすら執筆に専念しました。自分を見捨てた長男は「司馬の息子」
と呼ばれることを嫌ったそうです。その話を聞いた司馬は「なぜ、長男は俺の息
子と呼ばれるのを嫌うのだろう?」と不思議がったそうです。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E#.E4.BA.BA.E6.9F.84

 「鋭い洞察力と確かな目を持った」と賛美される司馬は、家庭に関してはそれ
が全くありませんでした。
 
 私はCMLなどの市民運動のMLにメールを送り、ほんの少しだけですが、平和運動
や労働運動にかかわっています。それは、ジャーナリスト、本多勝一がいたから
です。
 
 高校生の頃、高校の図書室で本多の代表作「殺される側の論理」(朝日文庫)
を読みました。暖房を切った底冷えのする薄暗い冬の図書室の片隅で、足が冷え
るのも忘れて「殺される側の論理」を一心不乱に読みました。バットで頭を思い
切り殴られたような衝撃を受けました。「ノーベル文学賞は文化抹殺の賞だ」い
う文は、私の価値観をたたき壊しました。
 
 これが私の出発点でした。以後、私は本多の著作を読みまくりました。
 「殺す側の論理」・「中国の旅」・「アメリカ合州国」・「戦場の村」・「そ
して我が祖国日本」・「天皇の軍隊」・「職業としてのジャーナリスト」・「貧
困なる精神」シリーズ・・・。権力に対する怒りに満ちたこれらの著作は、私が
世界を見る目の基盤となりました。
 
 私は大学で文化人類学を学びました。これは本多の「極限の民族」、「カナダ
・エスキモー」、「ニューギニア高地人」を読んだからです。本多の人類学シリー
ズは、大学関係者の間で高く評価されていました。
 
 本多にあこがれて、大学卒業後はジャーナリストになりたいと思いました。こ
れは実現しませんでした。 
 
 「週刊金曜日」が創刊されたとき、私は一も二もなく定期購読を申し込みまし
た。高い購読料ですけれど、尊敬する本多が編集委員ということでそれは気にし
ませんでした。「金曜日」の記事は期待通りの充実したものでした。「さすがは
本多勝一」と思いました。
 
 それが変わったのが、廃刊になった「朝日ジャーナル」で本多が書いたコラム
でした。イギリスではエスカレーターは皆左側に並んで立つ、だから急ぐ者は右
側を駆け上がる事が出来る、それに対して日本は両側を塞ぐように立つものだか
ら急ぐときはかき分けなければならない、こんな日本は野蛮だ、最低だ、といつ
もの調子で「メダカ民族」日本人をこき下ろす文でした。これに対して、「私は
左手に障害があるため、エスカレーターの左側に立つことができません。どうす
ればいいのでしょう」と投書がありました。本多は納得できる反論を書きません
でした。
 身体障害者の娘を持ち、身体障害者に対する偏見と福祉政策の貧困に怒りの文
章を書き続けてきた本多が、なぜこのような配慮のないコラムを書くのかと思い
ました。
 
 そして私がホンカツ教の信者であることを辞めた決定的な事件が起こりました。
 
 1987年、本多は同じ朝日新聞社の同僚である疋田桂一郎らとリクルート社
が経営する安比高原のスキーリゾートへ旅行しました。リクルート社がホテル代
やリフト券代を負担する接待旅行でした。
 
 この接待を1996年、フリージャーナリストの岩瀬達哉が、講談社の雑誌
「Views」で報じました。すると本多は、岩瀬を「講談社の番犬」「狂犬」「売春
婦よりも本質的に下等」と汚い言葉で罵りました。この記事は名誉毀損で裁判に
なりました。2004年9月の東京高裁判決で接待は事実と認定されました。
 
 素直にリクルート社から接待を受けたと言えば良かったのに、受けていないと
言い張り、一人のフリージャーナリストを聞くに堪えない汚い言葉で罵ったあげ
く、裁判で事実上負けた本多勝一の無残な姿に私は失望しました。この程度の人
間だったのです。この接待疑惑で醜い姿をさらけ出した本多の本を読む気は無く
なりました。「週刊金曜日」の定期購読も止めました。
 
 とは言え、小説家とした超一流だった井上ひさしや司馬遼太郎と同様、本多は
「読ませる文章」の達人であることには変わりありません。私は本多の著作のほ
とんどを処分しましたけれど、「日本語の作文技術」(朝日文庫)だけはいつも
脇に置いています。MLに送る文章や機関誌への投稿記事を書くのに、大変役に立
ちます。好き嫌いは別にして、「日本語の作文技術」は必読の書です。
 
 他にも裏の顔を持つ著名人はいます。
 
 理想のために家族は犠牲になって当然だと考え、息子を野垂れ死にに追いやっ
たマハトマ・ガンジー、日本への原爆投下を実は反省していなかったアルバート
・アインシュタイン、反戦反核平和運動を嘲笑し、原爆は神があたえたもうた試
練と述べた永井隆、「敵は殺せ」とテロル戦術や、裁判なしでニコライ二世一家
皆殺しを命令したレーニンなどです。
 
 これらのことから私は、人は一歩距離を置いて見るべきだと思います。

坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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