[CML 003757] 二子玉川再開発訴訟証人尋問から見えるコンクリと人の対立(下)

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2010年 4月 19日 (月) 22:34:37 JST


反対尋問では洪水被害防止のために住民側が行政や議会に陳情や請願を行ったかについても繰り返し質問された。これについては、二子玉川ライズの問題に取り組む住民も含む流域住民331名が「世田谷区丸子川の水害対策に関する請願」を東京都議会に提出している。住民は洪水被害に強い懸念を抱いていることの一例である。

しかし、陳情や請願があろうとなかろうと、再開発で住民に被害を与えることに対する再開発組合の責任を軽減することにならない。再開発で被害が生じる危険があるならば、再開発事業の中での対策が筋である。住民や行政に対策させることは筋違いである。
http://www.pjnews.net/news/794/20100417_2
http://news.livedoor.com/article/detail/4725525/
業者は悪質で自己中心的であったが、住民の努力で被害を防止できたという事態は決して望ましいことではない。これまで日本社会が金儲け主義の企業と事なかれ主義の行政という公共性の欠如した状態にあっても、それなりの安定を保ってきた背景には市民の犠牲と忍耐と努力に負うところが大きい。

つまり、日本社会は、責任追及よりも目の前の火が消えれば良いとする市民に、企業や行政が甘え続けてきたことで成り立ってきた。しかし、いつまでも市民はおめでたい存在ではない。

典型例がトヨタ自動車の大規模リコール問題である。プリウスのブレーキ不具合についてトヨタは当初「しっかりブレーキを踏めば車は止まる」と開き直った。これは製品に問題があっても、市民側の工夫と努力で補ってくれという企業側の甘えである。このような企業姿勢は批判され、プリウスのリコールを余儀なくされたことは日本でも市民の意識が高まった結果である。

鳩山政権のキャッチフレーズ「コンクリートから人へ」には開発優先の風潮にウンザリした国民の広範な支持が背景にあった。その意味で「コンクリートから人へ」は民主党の独創というよりも、時代が生み出した言葉である。現在の鳩山政権がキャッチフレーズに忠実であるかは議論の余地があるとしても、「コンクリートから人へ」の輝きは変わらない。

一方で「コンクリートから人へ」には建築不動産業界を中心に感情的な反感があることも事実である。コンクリートを仕事にしている人にとって、コンクリートと人を対立させ、人をコンクリートに取って代わるものとするキャッチフレーズは存在意義を全否定されたように映るだろう。

この点は開発に反対する住民運動側も十分すぎるほど理解している。住民運動はコンクリートを否定したいのではなく、人間性を守りたいだけである。実際、これまで住民運動は卑屈なほどに業者の立場を尊重してきた。マンション建設反対運動でも再開発反対運動でも「住民や地域を無視した開発の見直しを求めているのであって、マンション建設や再開発そのものへの反対ではない」という断り書きが散見されるほどである。

しかし、開発業者側が住民を無視して好き勝手に開発を進めておきながら、住民側には努力や我慢を一方的に要求するならば、住民としてはコンクリートを全否定することによってしか人間性を守ることができなくなる。二子玉川再開発差し止め訴訟の尋問での噛み合わない対立から、その思いを強くした。【了】

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林田力「二子玉川再開発差し止め訴訟控訴審証人尋問(上)」PJニュース2010年4月14日
http://news.livedoor.com/article/detail/4717010/
林田力「二子玉川再開発差し止め訴訟控訴審証人尋問(下)」PJニュース2010年4月15日
http://news.livedoor.com/article/detail/4719036/

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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