[CML 003604] Re: ■【鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 】中央公論の最新号に寄稿から

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 4月 6日 (火) 20:00:14 JST


中田さん 石垣さん

おふたりの標題メール(CML 003565、同003569)を読んで強い違和感を持ち、すぐさま反論のレスポンス
を書いておく必要性を感じましたが、別のいろいろな用件もあり、いまのことになりました。

おふたりはオランダ出身のジャーナリスト(長くオランダ紙『NRCハンデルスブラット』の東アジア特派員を
務め、現在はアムステルダム大学教授)のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の『中央公論』最新号に寄稿し
た論攷を高く評価されているようですが、ウォルフレン氏の左記の見解は1990年に早川書房から出版
され評判になった『日本/権力構造の謎』(全2巻)で主張されていた「2大政党制論(保守政治の持続)を
前提にした上での政治改革」(私の評価を含む要約)という同氏の持論の焼き直しに過ぎないもので、特
段に目新しい主張でもなんでもありません。また、ウォルフレン氏と同様の主張は、たとえば経済評論家
の植草一秀氏など民主党の熱烈な支持者がこれまで熱狂的に繰り返し主張してきていることと同値の内
容であり、そういう意味でも目新しいところはまったくありません。

上記論攷におけるウォルフレン氏の日本の政治の現状分析には、石垣さんがおっしゃるようにたしかに
「旧勢力と財界、官僚、マスコミ、米国政府が一体となって鳩山新政権を潰そうとして」いるいまの政治の
現状を「的確」(CML 003569)にとらえている側面はあります。が、その「的確さ」は、1990年の上記著
書の発行当時からの主張の延長としての「的確さ」にすぎず、また現実政治の一側面の指摘の「的確さ」
というにとどまります。

一方において、ウォルフレン氏の日本の政治の現状分析には、民主党が選択的夫婦別姓制度を含む
民法改正、外国人参政権法案などなど自ら公約し、国民の期待も大きい数々の法案の国会上程を限り
なく断念している情勢であること。学校の新学期が始まった現時点においても憲法や国際人権規約の精
神に反して朝鮮学校を高校授業料無償化措置から排除している問題、もちろん普天間基地「移設」問題
を含めて後退に後退を重ね、公約違反を続けている民主党中心政権の「無残」といってよい現状の分析
はまったく見られません。

それもそのはずです。上記論攷に見るウォルフレン氏の民主党、また同党幹事長の小沢一郎氏の評価
は次のようなものです。

・「国際社会の中で、真に独立した国家たらんとする民主党」
・「初めて信頼に足る野党が正式に政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行う
と宣言したのだ」
・「アメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。ところが鳩山政
権は、この古い状況を根本的に変えてしまい、いまやこの問題について公然と議論できるようになった」
・「小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。
ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力と
いうダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない」

いちいち評釈はしませんが、上記の数例だけでもウォルフレン氏の民主党及び小沢一郎氏に対する過
大な入れ込みぶりは明らかです。このウォルフレン氏の民主党評価がいかに恣意的かつ独断的、希望
観測的なものにすぎないか。これまで民主党を熱烈に支持してきた二人の論者の最近の言説と比較し
てみればより明らかになります。

おひとり目、天木直人氏。天木氏は「鳩山首相への決別宣言」というご自身のブログの2010年3月21
日付の記事で次のように言っています。

「一度は国民の手で政権交代を実現しなくてはいけない。その思いで私は民主党を支持してきた。しか
し、民主党政権もまたこの国を変える事は出来なかった。期待していた民主党政権に裏切られた。/
その理由は、私にとっては「政治とカネ」の問題では決してない。あくまでも政策だ。/選挙前に国民に
提示していた政策がことごとく腰砕けになりつつある。特に国民が一番期待していた脱官僚、天下り根
絶の不徹底は目に余る。/それでもなんとか鳩山首相には頑張ってもらいたいと応援してきた。/とぼ
けていても本当は信念と覚悟があるのではないかと無理をして考えてきた。/しかし、もはやこれまで
だ」
http://www.amakiblog.com/archives/2010/03/21/#001601

おふたり目、植草一秀氏。植草氏は天木氏よりより直截で熱烈な民主党支持者です。植草氏はいまで
も熱烈な民主党応援団員です。その植草氏が同党について最近次のように発言しています。私は植草
氏のこの発言を瞠目して聞きました。

「ただこれまでの半年を見る限り、ほんとうに期待した成果はまだ目には見えてきていない。先ほど申し
ましたけれど官僚支配の構造を切る、一番重要なのは天下りを根絶するということなんですけれども、
これもかなり従来野党のときの主張から比べると後退している。(略)それから政治と金の問題の根幹
にあるのは企業が政治にお金を出すということなんです。企業がお金を出す場合は必ず見返りを求め
ますので必然的に賄賂性というものをともなうんですね。ですからこの○○(注:不明)を出し切るにや
はり企業団体献金を全面的に禁止する新しい法体系を作る必要がある。それから検察の問題ですけ
れど検察の取り調べの可視化というようなこともあって、これをやらなければ政権交代の意味はないと
思います。それを実際にこの鳩山政権が実行に移さなければ私も鳩山政権を支持するのをやめます」
(THE EARTH討論会(天木直人vs植草一秀)第1部21:30秒頃(Style FM  2010年3月27日)
http://www.768.jp/ondemand/list/vod.php?vod_id=163

これまで、またはいまも民主党を支持してきた(している)日本の二人の論者の民主党という政党に対
する現状認識とくらべれば、なおいっそうこの問題についてのウォルフレン氏の現状認識が現状認識
足りえていないか。その甘さが目につくはずです。

社会学者の橋爪大三郎は『日本/権力構造の謎』(全2巻)はその文庫版(1994年)の解説で「これほ
どスケールが大きく、実証的、しかも包括的な書物はあまり例がない」「すぐれた日本社会論」と評価し
ています。私も同著をはじめて読んだとき、橋爪と同様の感想を持ちました。同著は日本の権力構造
の基本的な性格(政治責任の中枢がないこと。日本の政治エリートと官僚制の問題)と、日本人がい
かに統治されているかを分析して見事です。

その統治のされ方の分析は、たとえば「日本の高等教育は、東大、もっと具体的に言えば、その法学
部を頂点とするヒエラルキーを形成する」(文庫版p197)、「ヒエラルキーの中でランクは一つ下になる
が、名声があり入学も難しいのは、私立大学の早稲田と慶応である。早稲田の名声は、多くの政治家
やジャーナリストを輩出しているためであり、慶応の方は、経済界の上層幹部を送り出していることに
よる」(同p197)、「有名大学で四年間なにもしなかった学生の方が、能力はあるがランクが下の大学
を出た者よりは、つねに、上位ランクの就職先も見つけられるのである」(同p199)というところから、
戦時中の農業会からいまの農協にいたる政治的な抱き込みの包囲網の問題、「裁判官役を演じる検
察」の問題、田中角栄や江副浩正の切り捨てに象徴される「スキャンダルによって行き過ぎがチェック
され、日本の権力システムは円滑に運営されるようになる」(同p373)問題、「内部抗争や非現実的な
政策、(略)行動の数々によって、社会党は自民党に対する見せかけだけの政権交代可能な野党とし
て、三八年間の長きにわたり選挙民をあざむいてきた」(同p413)問題に至るまで驚嘆するほど「スケ
ールが大きく、実証的、しかも包括的」な分析に貫かれています。

しかし同著は、ウォルフレン氏ご自身が同著に書いているように明治期から現在にかけての「日本の
権力構造の基本的な性格と、それらが日本の人びとの日常生活に及ぼす影響」(同p19)を分析した
ものです。明治期から現在にかけての「日本の権力」とは保守権力そのものにほかならないわけです
から、「日本の権力構造の基本的な性格」の分析は、すなわち、日本の「保守権力」の構造の分析と
いうことになるほかありません。必然的にというべきかそこには「革新政治」を以下に実現するかとい
う視点はまったくありません。あるのは、冒頭で述べたように、「2大政党制論(保守政治の持続)を前
提にした上での政治改革」という視点のみです。そこに「革新」の視点から見た同著の根底的な限界
性というべきものがあります。

橋爪大三郎氏によれば、ウォルフレン氏は、1993年の一橋大学の大学祭での橋爪氏との対談で
次のような政治認識を示しています。

「昨年(一九九三年)の秋、一橋大学の大学祭企画で、ウォルフレン氏と討論をするチャンスがあっ
た。そこで私は、さっそくこの点(注:日本は変わるのだろうか)を尋ねてみた。氏の答えは、日本の
権力構造(〈システム〉)は深く根をおろしているが、改革は可能かもしれないという、まことにバランス
の取れたものだった。特に、小沢一郎、羽田孜江田五月といった改革派の政治家たちを高く評価し
ていることが印象に残った」(同p480)

私は中田さんや石垣さんのウォルフレン氏評価は過大評価であろう、と思います。そして、結果とし
て小選挙区制を前提とする2大政党制論の罠に絡めとられる陥穽を持つご認識のように思われま
す。2大政党制論の危険性については下記の後半部分に書いています。ご参照いただければ幸い
です。

■Re: みんなの党を誰が支持しているのか?(CML 003481 2010年3月25日)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-March/003421.html


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp

----- Original Message ----- 
From: "中田 妙佳" <gukoh_nt at yahoo.co.jp>
To: <"Undisclosed-Recipient:;"@mx-list.jca.ne.jp>
Sent: Saturday, April 03, 2010 1:16 AM
Subject: [CML 003565] ■【鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 】中央公論の最新号に寄稿から


==転送転載歓迎==

いつも送らせていただきありがとうございます。
「選挙を市民の手に!」会員の中田です。

(重複おゆるしください)

日本で、みなさまご存じのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏。
彼の中央公論寄稿文を、ブログ「永田町異聞」さんが、紹介されています。
この論文は長文なので、ブログで論旨を要約されていますので、
さらに前半一部を、メールで掲載ご案内させていただきます。

私たちにわかりやすく、現在起きている政治の混迷を、
明治からの、日本の政治のしくみについて。歴史と官僚機構の成り立ちを論じて、
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏が、書かれています。

日本のマスメディア(新聞・テレビなど)の報道を、
私たちが信じて論じるることの愚行から、
もうそろそろ抜け出さなくてはいけないのではないでしょうか?

ほんとうの「メディアリテラシーの視点を持つ学校教育」が、
日本ではとても必要だし、大切と私も痛感します。

国民の知る権利が保障されず、、情報公開・開示がされていない日本。
日本の後進国ぶりはほんとうにひどいです。

フリーのジャーナリストや、ネットメディアの政権交代後の、
すばらしい活躍に、毎日私は声援を送っています。

玉石混合とはいわれますが、インターネットの情報は、新聞もテレビも、寄せ付けない、
多様な視点と素材のおもしろさに、なんだか私は、はまっております(笑)

もちろん原本の著作。書籍等をじっくり読むたのしみは味わいつつ。

【阿修羅版】の投稿に対するコメントも、おもしろいので、
以下ご参考まで。アドレスも貼り付けておきます。

**********************************************************************
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/972.html
阿修羅より

【転載開始】

鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 (永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10489860569.html

鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 

オランダ出身のジャーナリストで、アムステルダム大学教授、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、

ベストセラー「人間を幸福にしない日本というシステム」の著者として知られる。



国民自らの選択で初めて歴史的な政権交代を成し遂げたこの日本で、古い日本を守ろうとする官僚、検察、メディアが、新しく誕生した政権を潰そうとしている動きに対し、中央公論の最新号に寄稿した論文で重大な懸念を表明しておられる。



大変な長文だが、ここ(http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100319-01-0501.html) をクリックしていただくと原文(井上実訳)を読んでいただくことができる。


下記に、筆者なりの要約をしてみたので、参考にいただければ幸いだ。



【日本政治再生を巡る権力闘争の謎】

  いま日本はきわめて重要な時期にある。真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっている。内閣中心政権を確立することができるならば、あらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになる。
 
 それを実現させるためには、険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。


この世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。予測しがたいことが現実に起きた。



民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。
   
民主党が行おうとしていることに、どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。


当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。


民主党は、山県有朋によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
 
山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。
 
山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、1930年代になって、軍官僚たちがこの国をハイジャックする方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。
 
いま民主党が自ら背負う課題は、生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。


民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、激しい抵抗に遭遇する。彼らに抵抗するのは、有権者ではない。旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。
 
明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。


そして現在、政治主導を可能にするような機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。


これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、気の短い人々も大勢いることだろう。


たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。
 
明治以来存続してきた日本の政治システムを変えることは容易ではない。システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。


一年ほど日本を留守にしていた筆者が、昨年戻ってきたさい、日本の友人たちは夏の選挙で事態が劇的に変化したと興奮の面持ちで話してくれた。


そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。
 
日本の官僚機構に備わった防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。


あらゆる国々は表向きの、理論的なシステムとは別個に、現実の中で機能する実質的な権力システムというべきものを有している。政治の本音と建前の差は日本に限らずどんな国にもある。


実質的な権力システムは、公式の政治システムの内部に存在している。
 
軍産複合体や巨大金融・保険企業の利益に権力が手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この10年間のアメリカの政治など、その典型例だといえよう。
 
いまから19年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。


その中で、日本のシステム内部には、普通は許容されても、過剰となるや、たちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結論づけた。
 
検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。




薬害エイズ事件で、厚生官僚に真実を明らかにするよう強く迫り、日本の国民から絶大な支持を得た菅直人は、それからわずか数年後、その名声を傷つけるようなスキャンダルに見舞われた。
 
さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。


実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。


そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。

 
日本の超法規的な政治システムが山県有朋の遺産だとすれば、検察というイメージ、そしてその実質的な役割を確立した人物もまた、日本の歴史に存在する。平沼騏一郎である。



彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。山県のように彼もまた、国体思想が説く神秘的で道徳的に汚れなき国家の擁護者を自任していた。
 
1945年以降も、平沼を信奉する人々の影響力によって、日本の司法制度の改革は阻止された。


ある意味では現在の検察官たちの動きを見ていると、そこにいまなお司法制度を政府という存在を超えた至高なる神聖な存在とする価値観が残っているのではないか、と思わせるものがある。




オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。
 
 日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせた。

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<要約一部のみ、貼り付け終了>

<以下略>





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