[CML 001496] Re: 議論の仕方について

maeda akira maeda at zokei.ac.jp
2009年 9月 28日 (月) 11:40:03 JST


前田 朗です。
9月28日

東本さん

コメントありがとうございました。

週末はばたばたしていてメールチェックできませんでした。

少し時間があいたので、このままにしておこうかとも思いましたが、東本さんの
意見はおよそまったく受け容れることができないので、お返事差し上げます。あ
まり、しつこくならないようにします。2点のみ。

(1)論点がまったく違います。

> 前田さんが上記のように言うそのこと自体に私に異議があるわけではありませ
> ん。しかし、前田さん
> の上記の論は、「ある思想家」を正当に評価するに当たって、私たちが認識し
> ておくべきもうひとつの
> 大切な要素ともいうべき視点が欠落しているように思われます。 


なぜこうなってしまうのか、理解できません。

私は、今回の投稿では、<「ある思想家を」正当に評価する>などという問題に
はまったく関心がない、そんなことはどうでもいいと言っているのです。<視点
が欠落している>も何もありません。

東本さんがご自分なりの思想家論、思想研究方法論を開陳なさるのは結構です
が、私の投稿とまったく関係ありません。


(2)どこの歴史研究者?

>
> それは一言でいえば「ある思想家」の歴史的限界性という視点です。別の言葉
> でいえば、歴史研究
> 者の間では常識ともいえる「現代」を基準にして「過去」を評価しては歴史の
> 実相を見誤ることになり
> かねない、という視点です。


こういう主張を懸命に唱えているのは、西尾幹二、藤岡信勝、小林よしのりなど
です。3人とも歴史研究者ではありません。

過去の事実を評価するにあたって、<まず>は当時の文脈に即して、当時の「基
準」で評価するのは当たり前のことであって、そんなことは方法論以前のお話です。

では、歴史研究者は過去の「基準」<だけ>で評価するのでしょうか。そんな愚
かな人物がいるでしょうか。

ある時代には奴隷が認められていたのだから、その時代の思想を研究する場合に
は、奴隷制擁護の観点でのみ研究するなどという人物が、いるでしょうか。

現代の観点から、なぜこの思想家は奴隷制の時代状況を乗り越えることができな
かったのか、を問うのがまともな研究者です。

逆に、先駆的に奴隷制廃止を唱えた思想家がいれば、なぜその思想家は時代の限
界を乗り越える思想の営みをする事ができたのかを、問うのが当然です。

さらに言うと、東本さんは<「過去」の基準><「現代」の基準>という発想を
していますが、これも本当は理解できません。

私が上に<当時の「基準」>と、「基準」にカギカッコをつけたのは、どの時代
にもそれぞれの「基準」が成立しうるにしても、それが一枚岩などということは
ありえず、さまざまな矛盾を孕んだものであるからです。

西尾、藤岡、小林の手口は、ある時期のひとつの考え方を何の根拠もなしにその
時代の「基準」に仕立て上げることです。

東本さんが彼らと同じだなどとはもちろん言いませんが、発想は酷似しています。

最後におまけの一言。東本さんの主張内容は、レヴィ=ストロースなどを引き合
いに出さなくても展開できることです。この文脈でレヴィ=ストロースを無理や
りに引っ張ってくる理由がわかりません。

以上です。失礼しました。




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