[CML 001447] Re: 議論の仕方について

南雲 和夫 kazuonagumo at msn.com
2009年 9月 23日 (水) 14:17:31 JST


吉田松陰という人物の思想をどう評価するか、という場合、彼が晩年に到達した思想(それも幕府権力によって断ち切られてしまいますが)を、その弟子たちが理解し、発展させえたのか、それともある時点での思想を、師匠の思想のすべてとして、権力を掌握した後そのまま受け継いでいったのか、その点は区別されてしかるべきだと考えます。

 

> これは無理難題というべき議論です。
> 
> 「松陰がある時期に朝鮮・中国に対する差別的思想をもっていた」ことを証明す
> るためには、証拠一つ指摘すれば充分です。それで話は終わりです。
> 
> もし、「松陰が生涯にわたって一貫して朝鮮・中国に対する差別的思想をもって
> いた」ことを証明したいのであれば、「ある成長の時点での言葉を捉えて問題に
> するのではなく、その人物のその後の発言がどう変わっているかを問題にする」
> 必要もあります。
> 
> しかし、このやり取りの中で指摘されたのは、「松陰がある時期に差別的思想を
> もっていたこと」でしょう。誰も「思想家としての松陰の全体像」を問題にして
> などいないのですから、「晩年の松陰」が「単純なことを言って」いたか否かは
> どうでもいいことです。

 

 個人的には、「どうでもいいことと」は考えません。

 松陰の思想を「恥ずべき」とまで言い切るのなら、そう主張する池辺幸恵氏は彼の主張について、どこまで理解したうえで論じているのか、それは問題にされてしかるべきだと考えます。

 まして、松陰が大して評価していなかった「桂小五郎(木戸孝允)」や「伊藤俊輔(伊藤博文)」が、彼の弟子として一部の朝鮮問題研究者からその外交思想が松陰の思想と関連付けて問題にされている以上、彼が死の直前に到達した思想と、それとは異なった方向へ行ってしまった明治以降の日本の歩みは、明確に区別されてしかるべきです。


・参考文献:三浦実・貝原浩『吉田松陰(FOR BEGINNERS シリーズ イラスト版オリジナル10)』(現代書館)

 		 	   		  


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