[CML 001372] ●天皇訪韓に断固反対する

kenju watanabe nrc07479 at nifty.com
2009年 9月 17日 (木) 04:34:03 JST


日韓ネット@渡辺です。

韓国の李明博大統領は、9月15日、「韓国併合」100年となる来年中(2010年)の天皇訪韓を望むと表明しました。

報道によれば、「両国関係の距離感をなくし、終止符を打つという意味がある」「以前よりも一段高い、完全に信頼しあえる韓日関係になることを期待している」(9・16付「朝日新聞」)等々と表明しているとのことです。

鳩山新政権の発足を前にした、李政権側の新たな対日アプローチであると同時に、これから始まるであろう北朝鮮側の対日攻勢に先んじようとの思惑が見え隠れしています。

私たちは、これまで「天皇訪韓」が取り沙汰されるたびに、繰り返し反対の立場を表明してきました。

「皇室外交」自体が憲法違反であり、そもそも侵略・植民地支配の最高・最大の責任を負う天皇(制)が、何らの追及もなされないまま、過去清算問題の幕引きを行うなど断じて許されることではありません。

この点で、和田春樹さんが「世界」4月号に寄稿している「韓国併合100年と日本 何をすべきか」で、同じく天皇訪韓を提唱していることも、私たちは厳しく批判的に受けとめています。

「韓国併合」から100年に向けて、天皇訪韓阻止も来年に向けた課題としていく必要があると考えています。

以下に、『飛礫』という雑誌に寄稿した私の論文で、和田春樹氏の天皇訪韓提唱論を批判した部分を抜粋して参考に供します。全文をお読みになりたい方は「つぶて書房」にお問い合わせください(TEL 078-578-1486)
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『飛礫』63号(2009年夏)
「韓国併合100年 朝鮮半島問題から明仁天皇在位20年を問う」 渡辺健樹(日韓ネット)

はじめに
明仁は何を受け継いだのか
天皇在位20年と皇室外交−和田春樹氏の天皇訪韓論批判 (*この章を下記に掲載) 

対北朝鮮「制裁」と在日コリアンへの人権侵害
朝鮮半島問題と戦後日本国家
[追記]北朝鮮の核実験問題について
 
天皇在位二十年と皇室外交―和田春樹氏の天皇訪韓論批判



 この問題に区切りを付けようと推し進められてきたのが「皇室外交」である。七〇年代から裕仁により欧米への「皇室外交」はなされてきたが、とりわけ中国・韓国などアジアの戦争・植民地被害国に対しては残されたままであった。

 その最初の大きなポイントになったのが九〇年五月の盧泰愚・韓国大統領の訪日であった。韓国との間では、すでに八四年に裕仁・全斗煥会見が行われており【注・このときは共同行動主催で2000人が東京・芝公園に結集し「全斗煥来日阻止闘争」を展開した】、裕仁は「過去の不幸、まことに遺憾」と述べている。このフレーズは、六五年に日本が朝鮮半島の南半分の韓国とだけ国交を結んだ際、外相・椎名悦三郎が金浦空港で行ったステートメントと同じである。このとき締結された日韓条約は、日本が植民地支配の責任を一切認めず、韓国を「(国連単独選挙で承認された)朝鮮半島における唯一の合法政府」とした重大な問題をはらんでいた。これに対して韓国全土では激しい反対運動が巻き起こっていた。こうした状況を前に、まさにリップサービスとして椎名の口から発せられたのがこのフレーズであった。裕仁の「お言葉」もこれを踏襲したもので、きわめて政治的なものである。

盧泰愚に対して明仁は、「…朝鮮半島と我が国との長く豊かな交流の歴史を振り返るとき、昭和天皇が『今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない』と述べられたことを思い起こします。我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と述べた。八四年の裕仁の発言に「我が国によってもたらされ…貴国の人々が味わわれた苦しみを思い」を付け加え、加害側と被害側を明示することで、一見謝罪めいた言辞を演出した。

その二年後の九二年、初めての中国訪問が行われ、盧泰愚との会見の際の発言をほぼ踏襲して次のように述べている。「両国の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大な苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わったとき、我が国は、このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」。

ここに共通するのは、日本の戦争責任の頂点にある天皇・天皇制の戦争責任については一切口をぬぐったままということである。そもそも裕仁の戦争責任をも併せて受け継いだ天皇明仁が、天皇制と日本国家の戦争責任問題の幕引きと「戦後平和国家の象徴」、事実上体外的な「元首」として振舞う「皇室外交」自体許されるものではない。

ところで、来年の二〇一〇年は韓国併合一〇〇年にあたる年である。私たちは、この歴史の節目に向けて「日本と朝鮮半島の真の和解と平和、友好の実現を―一〇〇年にも及ぶ不正常な関係に終止符を!」と訴え、三・一朝鮮独立運動九〇周年集会を皮切りとして持続的な運動を開始している。

東大名誉教授の和田春樹氏も『世界』四月号に「韓国併合一〇〇年と日本 何をなすべきか」という一文を寄稿し、日朝国交正常化と竹島問題の解決を「二つの課題」として掲げながら、同時に、天皇訪韓を提唱し次のように述べている。「天皇が韓国を訪問すれば、大統領主催の晩餐会で挨拶がなされる。これまで村山談話の表現が天皇の言葉にそのまま使われたことはない。しかし、朝鮮の地は特別である。併合一〇〇年の国会決議が新たになされれば、天皇の言葉もさらにはっきりと日本国民の心を伝えるものになるはずである」。

ここには二つの問題をはらんでいる。一つは、天皇の発言が前述のような盧泰愚訪日や天皇訪中時の線から村山談話の線に移ったとしても、何らの裁きも受けずに存続している天皇制そのものの戦争責任が追及されないまま、天皇が「国民の心を伝える」ということ自体が欺瞞ではないかという点。もう一つは、和田氏は田母神問題に象徴される右派の言動を前に、「村山談話に反する見解を表明するものは大臣たることはできず、自衛隊の最高幹部となることはできない」と述べているが、和田氏の発想の中には、村山談話すら否定する右派と対峙するにあたって、天皇の言葉によって村山談話を権威付けようとする意図が見え隠れしている。しかし、これこそが「象徴天皇制」が持つ機能の一つであって、それ自体が天皇制の強化をもたらす議論だというべきではないだろうか。

村山談話を活かすというなら、天皇制を頂点とした日本国家の戦争・植民地支配の責任を明確にし、被害者への謝罪・補償、後世への歴史教育の徹底こそがなされなければならない。私たちは、その実現に向けたプロセスを歩みつつ、韓国併合一〇〇年を朝鮮半島の人々との「真の和解と平和、友好」への転換点とするため奮闘すべきだと考える。


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