[CML 001308] 反戦の視点・その87 「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎(いしずえ)」ではない

加賀谷いそみ QZF01055 at nifty.ne.jp
2009年 9月 11日 (金) 22:17:17 JST


反戦の視点・その87

  「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎(いしずえ)」ではない

                            井上澄夫

 去る8月30日に行なわれた衆院選の少し前、こういうニュースが流れたこと
を記憶している人は少なくないだろう。

 〈民主党の鳩山由紀夫代表は8月12日、靖国神社に代わる無宗教の国立戦没
者追悼施設について、党本部で記者団に「取り組みを進めるという思いで考えて
いきたい」と述べ、建設に前向きな考えを示した。鳩山氏は靖国神社参拝につい
て「A級戦犯が合祀(ごうし)されており、首相や閣僚が参拝することは好まし
くない」と改めて表明。その上で「どなたもわだかまりなく戦没者の追悼ができ
るような国立追悼施設に取り組んでいきたい」と明言した。さらに、「天皇陛下
も靖国神社には参拝されず、大変つらい思いでおられる」と指摘し、「陛下が心
安らかにお参りに行かれるような施設が好ましい」と語った。〉
                  (2009年8月12日付『毎日新聞』)

  この鳩山発言を公明、社民、共産の各党とほとんどのマスメディアが支持し、
さらに中国や韓国でも好感されたことにはここでは詳しく触れない。国立追悼施
設設立を衆院選の争点にすべきという論調も浮上したが、民主党はそうしなかっ
た。しかし発言が総じて支持されたという事実は、鳩山連立政権(本稿執筆時は
まだ成立していない。9月16日に特別国会で首相が指名される予定)でいずれ
国立追悼施設設立が政策課題として取り上げられるだろうことを予感させる。
 
 しかし、本稿で考えたいのは、国立追悼施設設立推進の根拠になっている次の
レトリック(修辞法)である。
 「今日の日本の平和と安定は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲
(中略)の上に築かれています。」(2009年8月15日の全国戦没者追悼式
〔東京・日本武道館〕における麻生首相の式辞)
 このレトリックは例年夏の全国戦没者追悼式ばかりではなく、さまざまな戦没
者追悼の際、たびたび繰り返され、すでに一種の決まり文句になっている。たと
えば、2003年7月16日に民主党次の内閣がまとめた「新しい国立追悼施設
の設立について」はこう記している。 
 〈第2次大戦後60年近く経過し、戦争体験は風化しつつあるが、今日の日本に
おける平和な生活は、これらの戦争による死没者の犠牲の上に成り立っている。〉
 麻生首相の言い方と民主党の表現は多少ちがうが、まずは同工異曲であり、要
するに「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎(いしずえ)」ということだ。
〈戦争と平和〉のパラダイムで、戦没者の死の意味はこのステレオタイプにはめ
込まれている。これを踏まえて展開される主張は、先の民主党の文書ではこうな
る。
 〈国が関った戦争で、官民を問わず多数の尊い生命が失われたことが事実であ
る以上、これらの死没者に、国民を代表する立場にある者(天皇陛下や内閣総理
大臣、閣僚など)が、公式に追悼の意を表し、非戦平和を誓うことの出来る国家
施設を持つことは、海外の例を見るまでもなく、当然の要請である。〉
 ここまで強い調子でなくても、「国のために尊い命を犠牲にした人々の追悼の
あり方について、改めて国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているの
ではないだろうか」(2009年8月15日付『読売新聞』社説)というような
論調は多数見受けられる。問題の焦点は「国による戦没者追悼のありよう」とい
うことだ。

 国立追悼施設が必要であるという主張の根拠は「過去の戦争の犠牲者は今日の
平和と安定(繁栄)の礎である」ことであり、だから「国のために命を失った人
びとを国が追悼することが必要である」あるいは「国は国として責任をもって追
悼すべきである」とされる。 しかし本当に「戦没者は戦後の平和と繁栄の礎」
であるのか。もしこのレトリックが誤りであるなら、必要論の根拠は崩壊する。

 『地獄の日本兵─ニューギニア戦線の真相─』(新潮新書)の著者、飯田進さ
んは同書の「おわりに」でこうのべている。

 〈戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁
に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
 「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかに
お眠りください」
 飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。
怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生
き残ったものを慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化
に資するだけです。実際、そうなってしまいした。
 なぜあれだけ夥(おびただ)しい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を
絶たれ、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されねばな
らなかったのです。〉

 人の死はそれぞれその人固有のもので、戦死もどれ一つとして同じものではな
いはずだ。飯田さんの「飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因
があったのでしょうか」という血を吐くような言葉は、まさに真実をえぐり出し
ている。
 藤原彰著『餓死(うえじに)した英霊たち』(青木書店)から引用する。
 〈アジア太平洋戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為に
よる死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖
国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中
での野垂れ死にだったのである。
 栄養学者によれば、飢餓には、食物をまったく摂取しないで起こる完全飢餓と、
栄養の不足または失調による不完全飢餓があるとされている。この戦争における
日本軍の戦闘状況の特徴は、補給の途絶、現地で採取できる食物の不足から、膨
大な不完全飢餓を発生させたことである。そして完全飢餓によって起こる飢餓だ
けでなく、不完全飢餓による栄養失調のために体力を消耗して病気に対する抵抗
力をなくし、マラリア、アミーバ赤痢、デング熱その他による多数の病死者を出
した。この栄養失調に基づく病死者も、広い意味で餓死といえる。そしてこの戦
病死者の数が、戦死者や戦傷死者の数を上回っているのである。/各戦場別に推
計した病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で127万6
240名に達し、全体の戦没者212万1000名の60%という割合になる。〉

  ニューギニアやガダルカナルなどで飢え死にした兵士を含め、戦没者は「戦後
の平和と安定(繁栄)のために」死んだのではない。天皇裕仁の命令によって、
殺し・殺され、あるいはただ殺されていったのだ。大本営(天皇直属の統帥部)
による兵站(へいたん)軽視の無謀な作戦指導によって、糧食を絶たれ、飢えて
ジャングルの土になり、制海権と制空権を奪われても沖縄での戦闘を「之が最后
の決戦」(『昭和天皇独白録』、文春文庫)とする愚かな「聖慮」(後注参照)
のせいで原爆や空襲で焼き殺されたのである。
 ※ 1945年2月、元首相の近衛文麿は天皇裕仁に、このままでは敗戦必至
として「一日モ速(スミヤカ)ニ戦争終結ヲ講スヘキ」と上奏した。しかし裕仁
は「もう一度戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」として近衛
の進言を拒否した。だが、その時点で戦争を終結していれば、東京大空襲とそれ
に続く全国各地への空襲や艦砲射撃も、凄惨を極めた沖縄戦も、広島と長崎への
原爆投下も、ソ連の参戦もなかったのである。しかも戦後の1947年9月、天
皇裕仁は側近の寺崎英成を通じてGHQに「アメリカが、日本に主権を残し租借
する形式で、25年ないし50年、あるいはそれ以上、沖縄を支配することは、
アメリカの利益になるのみならず日本の利益にもなる」というメッセージを伝え
て沖縄を米国に売り渡した。

 ところで、戦没者を「戦後の平和と安定(繁栄)の礎」と位置づける心理的動
機はいろいろある。戦争で生き残った者が戦没者に後ろめたさを感じて、という
こともある。無惨な死を直視できず、精神のバランスを保とうとするため、とい
うこともあろう。あるいは、無念の思いを噛みしめつつ死んでいっただろう戦死
者の霊が自分(たち)に祟(たた)らないようにしたい、ということもあるにち
がいない。
 戦没者の死を「戦後の平和と安定(繁栄)」に結びつけるのは、彼ら・彼女ら
の死にプラスの価値を与えることだ。それらの死の〈おかげで〉「戦後の平和と
安定(繁栄)」がもたらされたのだから、決して犬死にではなかった、無意味な
死ではなかったと、死者たちに言いたいのだ。だが実は、そうやって戦死を美化
し称賛する生者たちは、そうすることで自分自身の精神の安定を得たいのである。
 「犬死に」という言葉を聞くと激昂する者たちがいる。それは、一見、戦没者
への熱い思いに基づく人間的な反応のようにみえる。英霊を侮辱するな、という
わけだ。しかし多くの場合、その種の反応は、天皇のために死ぬことを至上の価
値とすることや「大東亜戦争の崇高なる戦争目的」を丸ごと信奉することから生
まれる。要するにそういう時代錯誤の化石的な狂信に取り憑(つ)かれている自
分が批判されたと思って憤激するにすぎない。

 しかし、「戦没者は戦後の平和と繁栄の礎」というこのレトリックによる最大
の受益者は、いうまでもなく、日本の支配層である。なぜならこの常套句は戦争
責任の追及を封じ込める役割を果たすからである。無数の戦没者の死が「戦後の
平和と安定(繁栄)の礎」となったのなら、それは美談であり、そこからは誰が
それら無数の死をもたらしたのかという問題意識は出てきようがない。戦争責任
の追及は封印されてしまうのである。
  政府は毎年「終戦記念日」に全国戦没者追悼式を挙行する。それは追悼と銘打
ってはいるが、実は「戦後の平和と繁栄」をもたらしてくれた戦没者に感謝する
ためで、儀式の本質は戦没者の慰霊と鎮魂である。厚生労働省社会・援護局の
「全国戦没者追悼式について」(2004年8月)によれば式次第はこうである。
  開式の辞   厚生労働副大臣 
  天皇皇后両陛下御臨場  
  国歌斉唱  
  式辞 内閣総理大臣 
  黙とう  
  天皇陛下のおことば 
  追悼の辞 衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、戦没者遺族代表(1
名) 
  天皇皇后両陛下御退場  
  献花(この間奏楽) 内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長
官、各政党代表など
  閉式の辞 厚生労働審議官 
 「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱に天皇と皇后が頭(こうべ)を垂れる
ことが式典のクライマックスだが、この儀式は天皇と皇后の拝礼によって戦没者
たちの魂が慰められ鎮(しず)まるという物語が共有されることで成り立つ。し
かし、国がどれほど盛大な追悼式をやろうと、それは死者たちには何の関係もな
い。彼ら・彼女らは存在せず、もはや決して語ることはないのだ。

 「戦没者は戦後の平和と安定(繁栄)の礎」というレトリックは虚構(フィク
ション)である。海外派兵をしている日本が平和であると筆者は思わないが、仮
に平和が維持され、社会が安定しているとしても、それは生きている者たちの努
力によってそうなっているのであって、戦没者のおかげではない。
 しかし、それにもかかわらず、国立追悼施設がいま問題になるのは、一つには、
中国や韓国などから閣僚の参拝が批判を浴びている靖国神社のA級戦犯合祀問題
を回避して、問題を安直に処理したいからである。要するに、靖国神社は宗教法
人(施設)だが、新たな国立追悼施設を無宗教の施設とするなら、誰でもわだか
まりなく訪れることができる、天皇や閣僚、外国の国賓・高官も例外ではないと
いうわけだ。
 もう一つは海外で自衛隊員が戦没する可能性があるからである。自衛隊は戦力
ではないというタテマエで自衛隊員の死は戦没ではなく殉職であるといくら強弁
しようと、交戦で死ねばまぎれもなく戦没・戦死である。その「新たな戦没者
(殉職者)」を国家が厚く遇することがないなら、「事に臨んでは危険を顧みず、
身をもつて責務の完遂に努める」(自衛隊法52条「服務の本質」)よう、隊員
の士気を鼓舞することができないと防衛省・自衛隊は考えている。イラク派兵の
前に陸上自衛隊は殉職者を靖国神社に祀ることができないかどうかを検討したが、
憲法の政教分離原則があるため断念した。それゆえ、戦争法制の整備が次々に強
行される中で、戦没(殉職)自衛隊員の追悼のありよう(霊の扱い)は定まって
いない。だから国立追悼施設が必要とされるのである。
                                              (2009年9月11日記)

【付記】鳩山連立政権の下で国立追悼施設設立がいつ政治日程に乗せられるかは
わからない。しかし遅かれ早かれ設立構想は浮上すると思われる。本稿はその事
態に備えて設けた入口である。今後も批判を続けたい。


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