[CML 001721] ●NHK「坂の上の雲」スペシャルドラマ放送への、公開質問状

kokubo mzs at jb3.so-net.ne.jp
2009年 10月 17日 (土) 11:53:14 JST


  
こんにちわ! 小久保です。

NHKは、あと1ヶ月あまりで、3年に亘るスペシャルドラマ「坂の上の雲」放映を強行しようとしています! 
 アジア、朝鮮・韓国の民衆、在日の方々と熱く連帯して、日本の民衆の良心の証として、このドラマ放映への弾劾・糾弾に取り組んでいきましょう! 

 地元・愛媛の方々が、NHKへの公開質問状を起草され、NHK松山放送局に提出されました。 このような、地元のすばらしい取り組みに連携して、全国で「坂の上の雲」批判を巻き起こし、植民地支配と侵略戦争の血にまみれた「明治の栄光」論と真正面から対決していきましょう。  

「質問状」に出てくる、『資料』は、「A4の普通サイズの字の大きさ(10.5ポイント)で74枚」とのことで、これを、「ブックレット」として世に出すために、現在奮闘されています。 

  以下は、「えひめ教科書裁判を支える会」の弓山正路さんの紹介文と、「質問状」です。
(長文のため、一括では、リッチテキスト形式でCMLに投稿できず、分割2本立てとしました。)   
(転送・転載歓迎とのこと)


弓山正路です。
11月29日から放送予定のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送を前に、NHKは大キャンペーンを行っています。  しかし、原作には史実に反する記述など重大な問題があり「えひめ教科書裁判を支える会」と「『坂の上の雲記念館』の問題を考える会」の2市民団体が10月14日、ドラマ化にあたっての対応を問う福地茂雄NHK会長あての「公開質問状」を松山市堀之内の松山放送局に提出しました。  

  長文ですが、「公開質問状」ですので、インターネットを通じて、問題点を広く知っていただくために、みなさんに公開します。 なお、「えひめ教科書裁判を支える会」では、『坂の上の雲』批判の詳しいブックレットを現在、製作中です。放送開始に合わせて、販売する計画です。その際には再度お知らせしますので、ぜひお買い求めいただき、『坂の上の雲』を反面教材にして真実の「歴史認識」を共有していただきたいと願っています。    


            公 開 質 問 状                                    
                                                                         日本放送協会 会長 福地茂雄 様  

 貴局は、司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』をドラマ化して、この11月末より放映する予定としていますが、この作品は、歴史的事実に全く反する記述や朝鮮・中国への蔑視的記述をはじめ、非常に重大な問題点が数多くあります。 

   この作品での、日清・日露戦争を含む「明治期日本」への認識・評価は、右翼・国家主義者らの「新しい歴史教科書をつくる会」等のそれと、ほとんど似通っています。また「つくる会教科書」には『坂の上の雲』の中の記述をベースにしたものと見てほぼ間違いのないような記述もあります。   

  もし、貴局が、これら<歴史的事実>に反すること等の検証をすることなく、原作に忠実にこのドラマをつくっているとしたら、公共放送によって、多くの事実に反することや差別的見方が流されることとなり、多くの視聴者への影響を考えると、看過できるものではありません。   

  これは歴史小説だからと言って逃れられることではありません。日清・日露戦争の定義・性格はじめ、司馬自身が、ときに歴史学の学説を批判しながら、到るところで自らの歴史認識を示している、そのようなところでの、歴史的事実に反する記述の問題なのです。  登場人物の会話等、想像力を働かせたであろう細部の描写のことを、私たちは問題にしているのではありません。また、司馬自身、以下のように述べています。  

 「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセントにちかいからであり、いまひとつは、この作品の書き手――私の事だ――はどうにも小説にならない主題をえらんでしまっている。」(文春文庫新装版、第8巻、330頁) 

 「『坂の上の雲』と言う作品は、ぼう大な事実関係の累積のなかで書かねばならないため、ずいぶん疲れた。本来からいえば、事実というのは、作家にとってその真実に到着するための刺戟剤であるにすぎないのだが、しかし『坂の上の雲』にかぎってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはどうにもならず、それだけに、ときに泥沼に足をとられてしまったような苦しみを覚えた。」(同第8巻、369頁) 

  つまりこの小説は、書き手にとっても、読み手にとっても、そこに書かれていることを、日清戦争や日露戦争に関する歴史的事実と見なす構造になっているのです。ですから、貴局は、この作品をドラマ化して放映するにあたっては、そこに書かれていることがほんとうに事実なのかどうか、司馬の、日清戦争や日露戦争に対する認識は間違っていないのかどうか、それらを検証する義務があります。   

  つきましては、以下に列挙する『坂の上の雲』の重大な問題点について、貴局はどのような認識をし、また、ドラマの制作上において、どのような対応をされて来ているのかお答えください。

一、 『坂の上の雲』において語られている、以下に列挙したことについての司馬の歴史認識が<事実>と全く違うことについて検証しましたか? また、このことに、「ドラマ」では、どのように対応していますか?
 日清戦争は、司馬のいうように、「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」戦争であったか? 司馬は、日清戦争は、「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」としている。 しかし、日清戦争は、朝鮮から清の勢力を逐い出し、日本が朝鮮を単独支配するとともに、清国領の一部を領有することをも目的として、日本から主体的・積極的に起こしたというのが、<歴史的事実>である。 そして、実際に、日本は、朝鮮から清の勢力を逐い出すとともに、その後も、清国領に去った清国軍を追って清国領内で戦争を続行し、講和条約において、清国領の一部を領有したのである。 つまり、司馬が日清戦争について述べていることは、全く<事実>に反しているのである。(『資料』一の(1)の  を参照ください)

 日露戦争は、司馬の言うように、「祖国防衛戦争」であったか? 司馬は、日露戦争における「日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない。」(第3巻、182頁)とし、また「後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。」(第3巻、178頁)と述べている。  

  しかし、『資料』で明らかにしたように、日本は、ロシアによって「死へ追いつめ」られていたり、「窮鼠」にされていたりしたという事実はなく、また当時、日本をロシアから「防衛」しなければならないような客観的状況も全くなかった。 日露戦争は、朝鮮からロシアの勢力を逐いだし、日本が朝鮮を単独支配するために、日本の方から主体的、積極的にロシアに戦争を仕掛けて始まったというのが<歴史的事実>である。 

  そして日露戦争を行いながら同時に、朝鮮の保護国化・植民地化を進める措置をとり、戦後には、この戦争の当初の目的どおり、ポーツマス講和条約において、ロシアに日本の朝鮮単独支配を認めさせたのである。

  つまり、日露戦争は「防衛戦」などでは全くなく、朝鮮を保護国・植民地化するための戦争であった、というのが<歴史的事実>である。   

  また、司馬は、「ロシアが、フランスの利益に関係のない極東での侵略道楽をはじめたがために日露戦争がおこった。」(第5巻、308頁)「極東を征服するための戦争をおこした以上は、ロシア帝国は勝つための態勢をとるべきであった。」(第8巻、234頁)と書いて、まるでロシアの方から戦争を起こしたように書いているが、これも『資料』で明らかにしたように、明白に、日本の方から仕掛け、起こした戦争であったというのが<歴史的事実>である。(『資料』一の(1)の  を参照ください)

「北清事変」(義和団鎮圧戦争)で「日本軍は掠奪しなかった」というのはほんとうか? 司馬は、日本と欧米列強が義和団の蜂起を鎮圧した、いわゆる「北清事変」において、欧米列強はすさまじい掠奪を行ったが、日本は一切しなかった、と以下のように言っている。「キリスト教国の側からいえば、いわば正義の軍隊である。しかし入城後にかれらがやった無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上、類を絶している。 かれらは民家という民家に押し込んで掠奪のかぎりをつくしたばかりでなく、大挙して宮殿にふみこみ、金目のものはことごとく奪った。(略) ただし、日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった。」(第2巻、385頁)  

  しかし、『資料』で明らかにしたように、日本軍は、他の列強諸国の軍隊にさきがけて掠奪を行ったというのが<事実>である。 日本軍の掠奪行為については、当時の議会でも問題になり、多くの新聞も、その、いくつもの証言を載せて報じたものである。(『資料』一の(1)の を参照ください)

 日本は、司馬の言うように、「戦時国際法の忠実な遵奉者」であったか?司馬は次のように言う。「日本はこの戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始し、戦場として借りている中国側への配慮を十分にし、中国人の土地財産をおかすことなく、さらにはロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した。」(第7巻、218頁)   しかし<事実>は、『資料』で明らかにしているように、日本軍は、戦場とした中国で、種々の軍需品を徴発し、強制労働を課し、多くの人びとを殺害さえしたのである。

 また、ロシア兵捕虜に関しても、欧米列強諸国との条約改正をしたいという自らの利害から優遇した側面も確かにあったが、一方、『資料』でそのいくつかを例示したように、多くの捕虜虐殺事件を起こしているのである。   「戦時国際法の遵守」に関しても、同じく条約改正等の自らの利害から欧米各国に対しては守ろうと努めたが、欧米列強の視線がないところでは守らないことが多かった。

  また朝鮮等のアジアの国に対しては、国際法などまるで存在しないかのごとく、それを全く無視し、さまざまな違法・残虐行為を行ったというのが<歴史的事実>である。(『資料』一の(1)の  を参照ください)


二、 日清・日露戦争を描きながら、その戦争における侵略によって被害を受けた朝鮮人・中国人のことは全く触れられてもいません。これほどまでの自国・自民族中心主義でいいのでしょうか? 朝鮮・中国においては、この二つの戦争における日本軍の行為によって、実に多くの人びとが殺されます。(『資料』一の(1)の  を参照ください) 

   そして、この二つの戦争をとおして、朝鮮は日本の保護国・植民地にされ、中国は、その一部を日本によって奪われ、支配されます。(『資料』一の(1)の Ν△鮖仮箸ださい) 

  しかし、これらの非常に重要な<歴史的事実>については、触れられていません。あまりもの自国・自民族中心主義、他者・他国への想像力の欠如ではないでしょうか? 
  その具体的な一例を以下に紹介します。◆ 司馬は以下のように言います。「旅順というのは、戦いというものの思想的善悪はともかく、二度にわたって日本人の血を大量に吸った。」(第二巻、107頁)   

  しかし、「旅順というのは」「日本人の血」のみを「大量に吸った」のだろうか? 旅順は、日清戦争時、日本軍による、中国人大虐殺が行われたところである。

  これは当時、諸外国のメディアでも報道され、日本政府もその対応に苦慮した、国際的には当時からの公然の事実である。また日露戦争時にも、日本はここで多くの中国人を殺害した。 
  私たちはここで、この日本軍の虐殺行為を、司馬が書いていないこと自体を問題にしようとしているのではない。

 ここでとても問題だと思うのは、「旅順は日本人の血を大量に吸った」と書きながら、そこでその日本人によって虐殺され、流された中国人の「血」のことについては全く触れてもいないことである。
  しかも、それは、司馬の作品執筆当時はわかっていなかったというようなことではない。 あまりにも他者・他国への想像力が欠如しているのではないだろうか。(『資料』一の(1)の  を参照ください)


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