[CML 002048] 反戦の視点・その91 マイケルのこと

加賀谷いそみ QZF01055 at nifty.ne.jp
2009年 11月 16日 (月) 21:44:14 JST


(転載歓迎)

反戦の視点・その91

 マイケルのこと
                              井上澄夫

 最近(11月13日付)の『毎日新聞』にロサンゼルス発同紙記者のこういう
記事が載った。
 〈09秋:結婚1カ月、イラクで夫が戦死…沖縄の妻、米での子育てに法の壁
 「子供をアメリカで育てるという彼との約束は守りたい」──。米海兵隊員の
夫がイラクで戦死した沖縄県宜野座村のほたる・仲間・ファーシュキーさん(2
6)は、夫の死後出産した赤ちゃんを夫の遺志通りに米テネシー州で育てている。
しかし、米国の移民法上妻と認められなかったため、来年1月には、帰国せざる
を得なくなっている。
 ほたるさんは07年、沖縄に駐留していたマイケル・ファーシュキーさんと知
り合い、昨年4月に婚約した。2日後にマイケルさんはイラクに派遣され、2週
間後に妊娠が判明。マイケルさんは、ほたるさんと生まれてくる子供のためにと
結婚を早め、ほたるさんが7月10日に沖縄で婚姻届を提出した。マイケルさん
は米軍にも結婚を報告した。
 ところが1カ月後、マイケルさんはイラクでゲリラに銃撃され戦死した。22
歳だった。「数日前まで電話で話した。信じられない、悪夢だと思った」という。
 今年1月、ほたるさんは沖縄で長男マイキーちゃんを出産。米国の永住権を取
得しようとしたが、「結婚は完成していない」と、米移民局に拒否された。
 ほたるさんは、観光ビザで2月に渡米し、マイケルさんの実家で赤ちゃんを育
てているが、1年でビザが切れるため帰国せざるをえない。「マイケルはすごく
悲しんでいると思う。彼をヒーローと言ってくれる故郷で育てたい」と希望する。
 移民法に詳しい弁護士は「難しいことだが、唯一の解決法は、ほたるさんを移
民法の例外とする私法を成立させること」と話す。地元議員らが、ほたるさん救
済法案を上下両院に提出しているが、成立の見通しは立っていない。〉

 記事によれば、書類の届け出で結婚が認められる日本と異なり、米国の届けは、
夫婦がともに立ち会わねばならない、米軍人が外国人と結婚する場合は、移民法
上、夫婦生活を営まなければ結婚成立とは認められない、米軍はほたるさんを妻
と認め遺族手当を支給しており、同じ米政府内でちぐはぐな対応をしている、と
いう。
 本稿の読者は上の記事を読んで、どのような感想をもつだろうか。徴兵制が敷
かれていたベトナム戦争時と異なり、現在の米国は志願制である。その「志願
制」、いかにも自発的に米軍兵士になるように聞こえる「志願制」の実態がどの
ようなものであるかは、堤未果『ルポ・貧困大国アメリカ』(岩波新書)で活写
されているから、ここでは繰り返さない。一口にいえば、貧困が米国の若者の背
を兵営に向けて押すのだ。
 沖縄の米海兵隊で20代前半といえば、米軍で最も勇猛果敢とされる敵前強襲
部隊の一員である。彼らは上官の命令に機械的に瞬時に反応して「敵」を殺すよ
う訓練されている。沖縄の海兵隊は2004年、5000人の実戦部隊がイラク
に投入され、うち2大隊が「ファルージャの虐殺」に加わった。2007年3月
の時点でイラクで死亡した海兵隊員は50人を超えている。上の記事の昨年8月
に戦死したマイケル・ファーシュキーの軍歴は不明だが、彼は「イラクでゲリラ
に銃撃され戦死した。22歳だった」。

 イラクやアフガニスタンで戦死する米軍兵士は数(かず)で報道され、個人名
が伝えられることはめったにない。その「数」は米国政府にとって負担になる。
遺族に手当を支給せねばならず、ときどきは慰謝のために戦死者の功績をたたえ
る儀式に招待しなければならないからである。戦場で負傷したり罹病して帰還し
た兵士たちへの支援がいかに不十分であるかについては、すでに多くの報道があ
る。
 オバマ戦時大統領は、アフガンから無言で帰国する米兵士を出迎えたり、テキ
サス州のフォートフッド陸軍基地で起きた乱射事件の犠牲者の追悼式典に参列し
たりするが、アフガンを「主戦場」とする侵略政策を変える気はない。イラクか
らの撤兵を急ぐ気配も見せない。だからアフガンやイラクからの「物言わぬ帰還
者の列」は絶えることがない……。

 ほたる・仲間・ファーシュキーさんは「彼をヒーローと言ってくれる故郷で子
どもを育てたい」と言う。その思いの評価はいろいろだろう。マイケルは本当に
「ヒーロー」なのか、彼を「英雄」にしたのは誰か、という疑問を抱く人も多い
だろう。私は彼女がマイケルはブッシュ前大統領の戦争政策の犠牲者であること
に気づいて欲しいと願う。しかし同時にこう思う。
   今はまだ乳児のマイキーは、沖縄で育てばアメラジアンの子どもになる。アメ
ラジアンはアメリカンとアジアンの合成語で、アジアに駐留する米軍基地の兵士
と現地の女性との間に生まれた子どもたちのことである。沖縄ではアメラジアン
の子どもたちは、父親が基地にいる間は軍が教育費を支給するが、父親が帰国す
ると学校に通えなくなっていたため、1998年に「アメラジアン・スクール・
イン・オキナワ」が設立されている。
 しかしアメラジアンの子どもたちに対する差別感情はなお根強く、米軍兵士が
住民に対して犯罪事件を起こしたときなどにそれが噴き出す。推察にすぎないが、
ほたる・仲間・ファーシュキーさんの「彼をヒーローと言ってくれる故郷で育て
たい」という思いの背景にはそういう事情もあるのではないだろうか。

 アメリカの若者、マイケル・ファーシュキーはイラクで戦死した。22歳だっ
た。あとにはオキナワンの妻と乳児が遺(のこ)された……。オバマ戦時大統領
がブッシュ前政権時代の戦死者であるマイケルの名を知るときがあるだろうか。

【付記】立川自衛隊監視テント村の『テント村通信』第381号(2009年1
1月1日発行)の巻頭記事の中見出しに「戦時大統領に(ノーベル)平和賞の資
格なし」とある。 「戦時大統領」、それはそのものズバリ、実に正鵠を射る表
現であるから本稿で使わせていただいた。
 マスメディアではオバマのプラハ・カイロ・東京での演説を賞賛する論調が優
勢だが、「オバマの戦争」を直視しないジャーナリズムとは何なのか。米空軍の
「誤爆」で殺されるアフガンの人びとの目に、その種のオバマ礼賛はどう映るだ
ろうか。


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