[CML 000109] Re: 朝日新聞コラムニスト・早野透氏の「ポリティカにっぽん 鳩山氏の『友愛』」の読み方

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2009年 5月 26日 (火) 17:38:31 JST


私が先に投稿した「朝日新聞コラムニスト・早野透氏の「ポリティカにっぽん 鳩山氏の『友愛』」の読み
方」(CML 85。原題は「Re: 〔民主党叩き〕読売新聞は「見出し」を使っての“印象操作”が凄い」)につい
て市民社会フォーラムML上で「いつもの東本さんにない違和感を感じました」というご指摘がありました。

以下はそのご指摘に対する私としての応答メールです。

本来ならば指摘者の文章も掲載すべきなのですが、転載の了解を得ていませんので、私の応答文の
み掲げさせていただきます。十分に意味が通じるように書いているつもりです。指摘者のお名前もHさ
んということにさせていただきます。


Hさん、コメントありがとうございます。

Hさんの拙論への「違和感」は、Hさんの以下のようなご判断と関係しているのでしょう。

「いま求められるのは『ジャーナリスト精神』の擁護でなく、自公の下野、すなわち政権交代こそがいま
最も国民に求められているという『客観的』事実の報道にマスコミが不熱心であることの指摘ではない
でしょうか。きっこさんはそれを指摘したくて草野たちをこきおろした、そう受け取れないでしょうか」

上記のうち、「自公の下野、すなわち政権交代こそがいま最も国民に求められている」というHさんの
ご判断に私は同意します。

また、マスメディアが検察の下請け機関化して、ジャーナリズム本来の検証の姿勢を忘れ、小沢氏秘
書逮捕に関して、同秘書逮捕を正当化しようとする検察の微に入り細をうがつ意図的なリーク情報を
垂れ流し続け、結果として根拠薄弱な小沢・民主党批判の世論を創出し、政権交代を望む世論を誤
誘導したという点では、そのマスメディアの責任は厳しく問われなければならない、と私も思います。
そういう意味での「『客観的』事実の報道にマスコミ」はたしかに「不熱心」でした。

しかし、小沢氏秘書逮捕事件の一時期を除いて、政権交代の「報道にマスコミが不熱心であ」ったと
は私は思いません。小沢氏秘書逮捕の前日までは、私たちの国の政治の舞台には自民党と民主党
しか存在しないかのような報道に明け暮れていた、というのが私たちの国のマスメディアの実態という
べきものだった、と私は思います。そのことは小沢氏秘書逮捕事件までのマスメディアの総体として
の報道のありようを調査すればすぐに判明することですが、いま私にはそのことを調べる用意はあり
ません。その代わりとして「マス・メディアのダブル・スタンダード報道」(2006年5月21日付)と題した私
論を下記に添付しておきます(参照1)。この頃から(正確にはこの頃以前から)すでにマスメディアは、
「二大政党制」の旗手として民主党を持ち上げることに熱心でした。

したがって、政権交代の「『客観的』事実の報道にマスコミが不熱心であること」。「きっこさんはそれを
指摘したくて草野たちをこきおろした」というHさんのご判断には私は同意できません。端的に申し上げ
てこの点についてのHさんのご判断は誤っているように私は思います。

それに、「草(早)野たちをこきおろした」という言い方もどうでしょう? Hさんが朝日新聞コラムニスト
の早野透氏を呼び捨てにしてもかまわないと思うほど彼の記事を読み込まれた上で切歯扼腕されて
おられるとは失礼ながら私には思えません。

Hさんが早野氏を呼び捨てにしてもかまわないとする根拠は、「新聞・マスコミが政治や企業と癒着して
いること、記者(ジャーナリスト?)たちもそのお先棒を担いでいること、決して客観的報道などしていな
いこと、マスコミはスポンサー(政府、政治家、企業、団体、宗教)からの公告料金を最大の収入とする
広告代理店業界のひとつの頂点にある『業者』である」というマスメディア観察にあるようですが、その
Hさんのマスメディア観察には私も本質論として異論はありませんが、一般論にすぎません。

その一般論をもってマスメディア及びそこに勤める記者のすべてを同様に断罪してしまっては、誤れる
ところも多いといわなければなりません。Hさんの論に従えば、たとえばこの10年ほどの間にJCJ(日
本ジャーナリスト会議)大賞を受賞した「北海道警察裏金問題に対する一連のキャンペーン報道」(北
海道新聞社・道警裏金問題取材班、2004年受賞)も「『共謀罪キャンペーン』など一連の『こちら報道
部』の報道」(東京新聞特別報道部、2006年受賞)も「〈新聞長期企画〉『新聞と戦争』」(朝日新聞特
別取材班、2008年受賞)もすべて「たまたま『良い記事』がそこに載」っただけのものにすぎず、総体
として評価されるべきものではない、ということにならざるをえません。そうしたHさんの論をどれだけの
人に支持していただけるでしょう? 私は疑問なしとしません。

さらにHさんは私に次のように問われます。

「そもそも草(早)野、岩見などがいわゆる『ジャーナリスト』であるのか、一体「ジャーナリスト」とは何か、
また鳩山は小沢を超える資質があるのか、そもそも小沢は「超える」対象たりえるほどの人物なのか」
と。

第一。「ジャーナリスト」とは何か、という問いに対しては、私は次のように応えたいと思います。

アメリカの三大ネットワークのひとつであるABCのニュース番組「ワールド・ニュース・トゥナイト」のアン
カーを長年務めたことで有名なピーター・ジェニングスは、ジャーナリズムについて次のように語ったこ
とがあります。「メディアのいちばん重要な目的は、どの政府に対してであれ、一般大衆の側に立って
それを監視し、日々疑問をなげかけること」。私はそのジェニングスを援用して、「ジャーナリストとは、
ジェニングスのいう視点、あるいは批評精神を保持する努力を失わない、権力に対する“ウォッチドッ
グ”としての役割を自覚している人びとの一群」と応えたいと思います。

第二。私は、岩見隆夫氏(毎日新聞東京本社編集局顧問、政治担当)についてはよく知らないので、
その評価については保留したいと思います。が、早野透氏については、良質な記者、ジャーナリスト
であると評価することができます。根拠は、彼の文章を長年読んできた私の眼です。今回問題になっ
た彼の「ポリティカにっぽん 鳩山氏の『友愛』」というコラムもよい文章です。これも私の眼で見ていう
ことです。一度お読みになられてください。『きっこの日記』の筆者の「読み」が浅薄なものであること
にお気づきになられるはずだと私としては思います。

第三。「鳩山は小沢を超える資質があるのか、そもそも小沢は『超える』対象たりえるほどの人物なの
か」という問いについて。鳩山も小沢も私は同様に評価しません。鳩山が小沢を「超える」ことができる
かどうかについてはわからないというよりほかありませんが、小沢を「超える」ことができたとしても、五
十歩百歩の違いでしかないだろう、というのが私の評価です。

おそらく早野透氏も、鳩山氏の評価については、私とそれほどの違いはないだろう、と私は思っていま
す。その上で、早野さんは、鳩山氏を政権交代を担いうる一党の長(おさ)として遇しようとしているの
だと私は思います。それが「小沢氏を乗り越えられるか」というタイトルにも反映されているように思い
ます。私が前便で早野氏の記事を「懇切」と表現したのはそういうことです。

今回の私の『きっこの日記』批判の要点について、「薔薇、または陽だまりの猫」ブログの主宰者の
baraさんが筆者としてはとてもありがたい正確な理解を示してくださっています。下記に引用させてい
ただこうと思います。私の意図はbaraさんのおっしゃるとおりなのです。

baraさん曰く。

「マスコミ批判はするべきですが、『小沢民主党批判』する記事は『許さん』とでも言いたげな主張は、
ジャーナリズムをゆがめる権力志向「政治利用」ではありませんか」

■ Re: 朝日新聞コラムニスト・早野透氏の「ポリティカにっぽん 鳩山氏の『友愛』」の読み方
(CML 000091 2009年5月25日)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-May/000088.html


参照1:「マス・メディアのダブル・スタンダード報道」」(2006年5月21日付)

先の17日、小泉首相と小沢民主党党首の党首討論があり、その中心的テーマが教育基本法であっ
たことは、両党(マス・メディアが期待値をこめて報道する「二大政党制」の旗手)の危険な同質性を
「国民」の前に改めて示すものとなった、と私は思います。

その小泉・小沢の党首討論をマス・メディアはどう報じたか。

【全国紙記事例】
■党首討論:小泉首相VS小沢代表 3年ぶり直接対決(毎日、15日付)
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20060515k0000m010128000c.html
■初対決は教育問題 首相と小沢代表が党首討論(朝日、17日付)
http://www.asahi.com/politics/update/0517/010.html
■小沢民主党代表登場、小泉首相と国会で党首討論(読売、17日付)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060517i314.htm

【全国紙社説例】
■社説:党首討論 かみ合う論戦が期待できる(毎日18日付社説)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060518ddm005070124000c.html
■小沢民主党 対決本番にどう挑む(朝日18日付社説)
http://www.asahi.com/paper/editorial20060518.html
■[党首討論]「掘り下げたかった教育論争」(読売18日付社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060517ig90.htm

各紙とも一面、あるいは二面、三面の政治欄、社説を使って大々的に報じているものの、「二大政
党制待望論」のフレームを超えない。「二大保守制」の危険について語る報道は私の知る限り皆無
なのである。

マス・メディアの報道はこれでよいのか。マス・メディアは、私たちの「国」、社会が危険な方向に向か
っていることに警鐘を鳴らさなくともよいのか。マス・メディアの使命は、「炭鉱のカナリア」になること
ではなかったのか。二大政党制=民主主義社会の成熟度を測る尺度でもあるかのように喧伝し、
そのときどきに小泉に期待し、そして小沢に期待するという構図は、結果として私たちの社会に何を
招きいれたか。「消費ナショナリズム」の典型ともいうべき草の根保守の増殖(「つくる会」を見よ)、
改憲可能なまでに伸張した先の衆院選における自民党の圧勝、そのひと昔前の民主党の驕りと、
同衆院選における民主党の地すべり的敗退…などなどではなかったか。

教育基本法「改正」案、共謀罪法案の国会通過には反対をいう。しかし、その一方で「二大政党制」
(自民党、民主党の伸張)が政治的にバラ色の近未来であるかのようにいう報道のダブル・スタンダ
ード。マス・メディアには、そのダブル・スタンダードを脱してもらいたい。マス・メディアは、政治の対
抗軸を見誤ってはならないだろう。いまの政治の対抗軸は、共謀罪、教育基本法「改正」案、国民投
票法案の成否であり、さらにいえば、いま各地で頻発するジェンダー・バッシングにつらなる非民主
的な行政のバックラッシュなどなどであろう。小泉と小沢の政治対決では決してありえない、と私は
思う。

いままたマス・メディアは、「小沢効果」で民主党支持率がアップしていると、競い合うように報道合戦
を繰り広げている。「劇場型」のそうしたマス・メディアの報道姿勢に危機感を募らせているのは、私
だけだろうか。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp





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