[CML 000832] 「歌い手」が歌うプエルト・リコ現代史

坂井 貴司 donko at ac.csf.ne.jp
2009年 7月 28日 (火) 16:52:15 JST


 坂井貴司です。
 転送・転載歓迎。
 
 この映画は、単なる音楽映画でも伝記映画でもありません。
 
 数多くいる歌手の中でただ一人、「歌い手」El cantanteと呼ばれた天才歌手の
物語です。
 
 「エル・カンタンテ」レオン・イチャソ監督
 http://www.artport.co.jp/movie/elcantante/
 
 7月25日から全国順次上映。
 
 1960年代、アメリカの植民地支配下にあるカリブ海の島国プエルト・リコ
から17歳の若者が、父に認められたい、スター歌手になりたい、とニューヨー
クへ移住しました。彼の名はエクトル・ラボー。多くの音楽家を輩出した家に生
まれ育ったラボーは、当時ニューヨークのプエルト・リコ人やキューバ人などの
ヒスパニック系移民社会の中で勃興しつつあった大衆音楽サルサの歌手になりま
した。ラボーは、水晶のような比類の無い澄み切った歌声で、差別を受け、英語
の読み書きが充分できずアフリカ系アメリカ人よりも貧しかったヒスパニック系
移民の苦悩と夢を歌い上げました。すぐさま彼はスターになりました。プエルト
・リコ人移民の息子として、ニューヨーク・サウスブロンクスのスラム街で生ま
れたトロンボーン奏者ウィリー・コローンと組んで、メガヒットを連発しました。
その人気は、ニューヨーク、プエルト・リコからカリブ海、ラテンアメリカ全域、
そして北米やヨーロッパ、さらには日本へと広がりました。
 
 望み通りスーパースターとなったラボーは、しかし、破滅の道を転げ落ちまし
た。手の付けられない麻薬中毒患者になり、強盗に襲われ重傷を負い、自宅を火
事で失い、最愛の息子は殺害されました。それでも必死になって立ち直ろうとし
ましたけれど、麻薬で肉体はボロボロになっていたため、1993年6月、46
歳の若さで死亡しました。
 
 ラボーは、共産主義者であり、歌で社会変革を目指し、それ故に殺された同時
代の歌手ビクトル・ハラとは対照的な、無思想の歌手でした。ただ「スターにな
りたい!」と願って歌っただけでした。しかし、ハラがチリの貧困層の夢と苦悩
を歌ったと同様に、彼もアメリカの最底辺に押し込まれていたヒスパニック系住
民の現実を歌い上げました。
 
 死後も絶大な人気を誇る伝説の歌手の映画です。
 
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
==============================
クリック募金サイトです。
1クリックで人助けができます。

イーコロ!クリック募金
http://www.ekokoro.jp/linkfree.html
クリック募金
http://www.dff.jp/index.html
募金パーク
http://www.bokinpark.com/
Click to Give
http://www.thehungersite.com/clickToGive/home.faces?siteId=1
1日1クリック募金集
http://park7.wakwak.com/~f-x/THEOLOGIA/bokin.html
 


CML メーリングリストの案内