[CML 000775] インパール作戦、そして白骨街道
坂井 貴司
donko at ac.csf.ne.jp
2009年 7月 24日 (金) 01:13:39 JST
坂井貴司です。
転送・転載歓迎。
太平洋戦争末期の1944年3月から6月まで、戦史上最も無謀でばかげた作
戦と評される戦いが、ビルマとインドの間で行われました。
ビルマから、日本軍が川幅600メートルのチンドンウィン河を渡り、200
0メートル級の急峻な山々が連なるアラカン山系を越えて、インド北東部の都市
インパールを占領する「インパール作戦」です。
この作戦は最初から失敗するのが明らかでした。太平洋各地で敗北を重ねる日
本軍に、インドへ侵攻する余力はありませんでした。ビルマと日本を結ぶ海上ルー
トはすでにアメリカ軍の攻撃で寸断されていました。武器弾薬、医薬品の不足が
深刻になっていました。武器の性能も、イギリス軍が日本軍を上回っていました。
太平洋戦争開始当初、イギリスの植民地支配からの解放を掲げ、ビルマの民衆
から解放者として歓迎された日本軍は、このころイギリスと同じ侵略者であると、
憎しみを買う存在になっていました。反日蜂起の徴候が出ていました。このよう
な中で、戦局打開の切り札としてインパール作戦が強行されました。
日本軍の侵攻に備えて、イギリス軍は輸送機を動員して、空から大量の軍事物
資をインパール周辺の基地に送り、準備万端の体勢で望みました。対する日本軍
は、「ジンギスカン戦法」と称して、ビルマで徴発=略奪した数万頭の水牛に物
資を積んで進軍しました。水牛は歩く食料になる、どうだ頭いいだろう、とこの
作戦を強引に進めた日本陸軍第15軍司令官牟田口廉也は豪語しました。牟田口
司令官は、またこうもうそぶきました。
「食料はイギリス軍からもらえ。奴らは空に向けて一発ぶっ放せば、物資を捨
てて逃亡する臆病者に決まっている」
戦いの結果は、無残とか悲惨といった月並みな言葉では表現できないものでし
た。空と陸が一体となったイギリス軍の圧倒的な火力は、水牛に積んだ物資のほ
とんどを失った日本軍を粉砕しました。まもなく始まった雨期の豪雨は、補給を
不可能にしました。そして飢餓と伝染病の蔓延が日本軍の将兵を死に追いやりま
した。一日の食事は乾パン一個、中には米粒一つというのもありました。これに
耐えきれず、日本軍は撤退を始めました。飢えと病で日本軍の傷兵は次々に死ん
でいきました。撤退する道は白骨化したり、腐乱したりした死体がとぎれる事無
く続きました。骨と皮ばかりに痩せこけた日本軍の兵士が幽霊の群れのように歩
く道は、「白骨街道」と呼ばれるようになりました。
飢えのあまり、腐乱死体にたかるウジ虫さえ食べたというこの悪夢の撤退戦に
参加した京都の陸軍第15師団の将兵が証言する番組が、NHKBSで放送され
ます。
NHKBS hi
証言記録 兵士たちの戦争「インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=501&date=2009-07-25&ch=10&eid=1116
放送日 7月25日(土)
放送時間 午前8:00〜午前8:45
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
==============================
クリック募金サイトです。
1クリックで人助けができます。
イーコロ!クリック募金
http://www.ekokoro.jp/linkfree.html
クリック募金
http://www.dff.jp/index.html
募金パーク
http://www.bokinpark.com/
Click to Give
http://www.thehungersite.com/clickToGive/home.faces?siteId=1
1日1クリック募金集
http://park7.wakwak.com/~f-x/THEOLOGIA/bokin.html
CML メーリングリストの案内