[CML 002507] Re: 試論「坂上の雲」とNHK
higashimoto takashi
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2009年 12月 29日 (火) 12:40:10 JST
まっぺんさん、お久しぶりです。
私は文学の好きな青年のひとりでしたが、純文学志向の青年でしたので、いわゆる大衆文学と
称されるジャンルの小説はほとんど読んでいません(大衆文学の重要性に目覚めたのはずっ
と後年になって大仏次郎の『ドレフュス事件』を読んでからのことです。ずいぶん損をしたものだ、
と若き日の自分の偏見を嘆いています)。そういうわけで、私は、司馬遼太郎の小説も大衆文
学と思っていましたから彼の小説もほとんど読んでいません。しかし、それでも『週刊朝日』に連
載されていた「街道をゆく」という彼の短編紀行集は旅をせずに旅に出た気分を味わえるという
こともあって比較的よく読んでいました(ちなみにNHKの「街道をゆく」シリーズも比較的よく観て
いた方です)。そして、彼の地理に関する洞察と炯眼に多くのことを学びました。また、彼の文章
から彼の謙虚な人間性も感じとることができ、そういう意味で私は司馬を尊敬しています。ただ、
そのことと彼のいわゆる司馬史観に批判的見解を持つこととは別様なことだと思っています。
私は司馬の日清・日露戦争を含む明治期日本への歴史評価に賛成することはできません。彼
の日清・日露戦争評価は、同時期の朝鮮・中国への彼の蔑視的評価と表裏の関係にあります。
そのような彼の人権感覚の欠如、それは、ピープルの立場を軽視し、いわばナショナルな立場
(個人の立場を国家の立場に擬制する)から「勝てば官軍」的な発想で優等国、劣等国を査定
しようとする彼の事大主義の思想、また一種のプラグマティズムの思想からきているように私
には思われるのですが、そのような弱者の意識を弔った上でなければ決して成立しようがない
強者の思想に傾れ打つ傾向を持つ彼の思想の上記の美点を削抹させてあまりある負の側面
を私はとうてい肯うことはできません。そして、当然のことながら、その誤った司馬史観を背骨
にして、明治期以来、日本が辿ってきた海外侵略戦争の道を結果として美化、隠蔽し、また、
ミリタリズムを鼓舞することにも結果としてならざるをえないであろうNHKドラマ『坂の上の雲』
の放映にも私は断固反対します。
さて、まっぺんさんは、「坂の上の雲」の第四回目の放映を見て気づいたこととして、いくつかの
テレビシーンと司馬原作との異同について質問されていますが、私にその質問に答える資格が
ないのは上記で述べたとおりですが、まっぺんさんの疑問のひとつ、日本の占領軍が中国の
街に入るシーンの小説とドラマとの異同について、「えひめ教科書裁判を支える会」の高井弘之
さんの次のような指摘がありました。
原作にはない点があった。それは、中国での日本軍の横暴ぶりを示唆する描写と、それに
対する中国人の反感である。これが<全体の中の点景>のように、エピソード風に描かれ
ていた。(略)上記一場面は、日清戦争を正当化して描くという全体の基調と、秋山兄弟を
英雄的に――ときに非常に効果的に、日の丸をクローズアップして映し出しながら――描
くことを中心として醸し出されてくる<ナショナルな心情>という全体の雰囲気の中に埋没す
る一コマに過ぎない。
以下、上記の指摘を含む高井さんの「ドラマ『坂の上の雲』の感想」記を転載させていただきま
す。ご参考にしていただければ幸いです。
なお、同転載の標題は「ドラマ『坂の上の雲』の感想と『坂の上の雲』検証ブックレットのご案内」
となっており、転載原文には「『坂の上の雲』検証ブックレットのご案内」も記載されていましたが、
本MLには既報のため同部分をカットしたものを下記に転載させていただきます。
東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
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【転送です】
「えひめ教科書裁判を支える会」からのお知らせです。
ドラマ『坂の上の雲』の感想と『坂の上の雲』検証ブックレットのご案内
NHKドラマ『坂の上の雲』の第3回後半から第4回にかけて、日清戦争が描かれた。日清戦争と
は、朝鮮から清の勢力を逐い出して、日本が朝鮮を単独支配するために、日本の方から主体的・
積極的に起こした戦争である。
「清国軍と平壌あたりで一戦をまじえ、勝利を得たのち和を講じ、朝鮮を日本の支配下におく」
(林薫外務次官(当時)著『回顧録』)
「曲を我におわざるかぎりは、いかなる手段にてもとり開戦の口実を作るべし」
(1984・6・22,陸奥外相が加藤増雄書記官を朝鮮に特派したとき持たせた内訓)
そして、まずは1894年7月23日に朝鮮王宮を軍事占領して、大院君(国王の実父)に、清国軍を
朝鮮から駆逐するよう日本に依頼する依頼する文書を、脅迫・強圧的に出させ、日本の方から一
方的に清国軍を攻撃し始めたのである。
しかし、ドラマ『坂の上の雲』の第4回目の放送は以下のようなナレーションから始まった。
「朝鮮西岸の豊島沖で日本艦隊は清国艦隊と遭遇し、戦闘の火ぶたが切られた」
日本の邪悪な意図はもちろん、日本の方から主体的、積極的に戦争を仕掛けていったという
<歴史的事実>に即した事実経過さえ、ここでは、見事に切り捨てられ、日本の侵略・犯罪性が
隠蔽されてしまっているのである。
これはごく一例に過ぎないが、やはりドラマにおける<日清戦争の性格づけ>も、司馬の書い
たとおりである。ただ、原作にはない点があった。それは、中国での日本軍の横暴ぶりを示唆す
る描写と、それに対する中国人の反感である。これが<全体の中の点景>のように、エピソード
風に描かれていた。
これをもって、原作には全くない、アジアの他国の人々からの視線が補充されていて良し、と言
えるだろうか。私には、原作『坂の上の雲』のもつ危険性がいっそう増した、と感じた。
上記一場面は、日清戦争を正当化して描くという全体の基調と、秋山兄弟を英雄的に――とき
に非常に効果的に、日の丸をクローズアップして映し出しながら――描くことを中心として醸し出
されてくる<ナショナルな心情>という全体の雰囲気の中に埋没する一コマに過ぎない。
しかし、この「一コマ」を描くことによって、「ああ、このドラマは、単に、日本中心の手前勝手な
ものではなく、ちゃんと他国の人びとの視線も描いている客観的なものだ」と印象が生じ、全く自
国日本中心に、日本に都合のよいように主観的に描いている<全体>に対する信用・信頼度を
増す効果を果たすことになるのではないだろうか。
かくて、右翼などではない、昭和の軍部を批判する司馬の書いていることだからと、もともと安
心し、信頼して受け取っていたであろう『坂の上の雲』で描かれているところの「歴史」を、視聴者
は、さらに信頼度を強くして、事実と受け取り、ドラマの中に安心して没入していくのではないだろ
うか。
第3・4回を見ての私の危惧である。 (高井弘之)
………………………………………………………………………………
----- Original Message -----
From: "まっぺん" <mappen at red-mole.net>
To: "市民の ML" <cml at list.jca.apc.org>
Sent: Saturday, December 26, 2009 3:01 PM
Subject: [CML 002485] 試論「坂上の雲」とNHK
> 【転載・転送自由】まっぺんです。
>
> 私はかなり昔になりますが、『坂の上の雲』を2度ほど読んだことがあります。これ
> は非常に面白く、わくわくしながら読んだ記憶があります。幕末から明治の日本の様
> 子を描写する司馬遼太郎の作品は数多くありますが、それらはどれも面白く人気があ
> るため、現代の日本人の歴史観に少なからず影響力を及ぼさずにはいられません。そ
> の影響力があるからこそ、危惧されることがあるわけです。今回NHKでこの『坂の
> 上の雲』を放映するにあたって危惧された問題点は2点ほどあるだろうと思います。
>
> ●小説はフィクションである
>
> 第一に、司馬遼太郎は作品を書くにあたって膨大な資料を集め、かなり正確な情報を
> 作品に盛り込むのですが、それでもこれは史実を題材にとった「フィクション」であ
> るということです。司馬作品は史実をかなり多用しながら、その中に巧妙にフィクショ
> ンを織り交ぜることによって、読者の興味を引き出す事に成功しています。しかし、
> それがそのまま「史実である」と信じてしまう事を警戒しなければなりません。これ
> はあくまでも「小説」なのです。
>
> ●三段階の司馬史観
>
> 第二に、司馬の歴史観にあります。いわゆる司馬史観は非常に明快です。まず西南戦
> 争までを「国内戦争」期、それ以後は対外戦争へと向かい、日清・日露戦争までを
> 「防衛戦争」期、そしてそれ以後とりわけ昭和に入ってからを「侵略戦争」期という
> ように三段階に区分するわけです。司馬自身、戦車部隊の経験から、昭和の軍部独裁
> への激しい批判があり、当時の日本を「きつねに酒を飲ませて馬に乗せたような」と
> 表現し、またこの時期に関する歴史小説を一切書かなかったのは、彼なりのケジメの
> 付け方だったのでしょう。
>
> ●防衛戦争だったのか
>
> しかし、その司馬史観には重大な欠点があるわけです。なるほど、例えばロシアにつ
> いて言えば、当時のロマノフ王朝が支配するロシアは侵略主義むき出しで、その目は
> 東に向いていました。当時世界最大の陸軍国であったロシアをまだ近代国家として生
> まれたばかりの日本が恐怖したであろうことは想像に難くありません。司馬は、もし
> 日露戦争に負けていたら、今ごろ我々はロシア語で会話していたかもしれないとまで
> 言っています。
>
> ●司馬が見落としている点
>
> この司馬史観の欠点とは、「強大な他者に立ち向かうために自らも弱者を踏みにじっ
> た史実」が欠落しているということです。日清戦争の引き金となったのは、朝鮮の宗
> 主権をめぐる対立であったし、その後も朝鮮半島、中国大陸は日露戦争の舞台となり、
> 戦争終結後は着々と日本の支配が及んでいきます。昭和の侵略主義時代は明治期に始
> まっていたのであり、それは明治国家の成立内容においてすでに準備されていたとい
> う、複合的・永続的歴史観が、司馬においては極めて稀薄であった、という点です。
>
> ●NHKはどう描いたか
>
> こうした司馬が見落としていた点について、NHKではどのように表現するのか。日
> 本が明治の始めから侵略国家であった点についてきちんと書くのかどうか。これが私
> の関心事であったわけです。そこでテレビを見ていて気づいた点について書きたいと
> 思います。読んだのが大分昔だったので記憶が正確ではないかも知れませんが、概し
> て小説では総合的、客観的書き方が多用されていたように思います。例えば海戦場面
> では艦隊の配置図、作戦、艦砲の射撃方法の改革、砲弾の炸薬にいたるまで描写して
> いたように思うのですが、NHKでは、むしろ人物の内面描写に重点を置いているよ
> うに思います。
>
> ●第四回目で気づいたこと
>
> まず江華島出兵だったと思いますが、日本軍の出兵が閣議で決定されたのに対して、
> その決定をはるかに上回る大軍を出兵した軍部の独走に伊藤博文が怒り、軍部と言い
> 争う場面がテレビでは出てきます。また正岡子規が従軍記者に選ばれて喜んで母親に
> 報告すると、母は「日本は親しかった国と戦争するのだねえ」と、掛け軸の漢文や、
> その横の絵皿に描かれている中国の童の絵を指摘し、子規の妹も日本語が漢字で出来
> ていることを指摘する場面がありました。こんなシーン、小説ではあったのかな?
> どうも読んだという記憶がないのです。ご存知の方ご教示ください。
>
> ●侵略主義むき出しの軍の態度
>
> 次に正岡子規が従軍記者として占領軍に同行して中国の街に入るシーン。人々は敵意
> の目で日本軍を迎えます。小さなこどもが中国語で「お父さんは日本軍に殺された!
> ぼくもいつか日本軍とたたかう」と言い、老人がそれをかばう。中国語が分からない
> 子規が軍の指揮官に尋ねると、彼はこどもが日本軍を称えているとウソを言うわけで
> す。それが明らかにウソであるとわかる子規がなおも食い下がるのに対してこの軍人
> はきわめて居丈高で横暴な態度をとる。そういうシーンがあったのですが、これも小
> 説では読んだ憶えがないのです。
>
> ●NHKが配慮したのか?
>
> 私の記憶違いかも知れないのですが、そうではないとしたらこれはNHKのある種の
> 「配慮」なのかな? おそらく司馬史観満載の小説をそのまま忠実にドラマにして放
> 映すれば、国内だけでなく、中国を始めアジア諸国の興味を引かないでは済まないで
> しょう。NHKとしては「配慮」せざるを得なかったのではないか、と思うわけです。
> 今回気づいた点は、特に対朝鮮に関して言えば極めて不充分な描写ですが、今後はど
> んな展開をしていくのか、注視し続けたいと思います。
>
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