[CML 002422] Re: 敬称の問題について〜

masuda miyako masuda_miyako1 at hotmail.com
2009年 12月 22日 (火) 12:43:42 JST


東本様
 こんにちは。増田です。問題提起、ありがとうございます。

> 尊敬のお気持ちからそういう敬称を用いられているのであろう、ということはよく理解できるのですが、前田さんに限らず特定のどなたかだけを「先生」などという呼称のしかたはやめにしませんか?
>
 そうですねぇ・・・何時も、一瞬!? 逡巡するところはあるのですが・・・学校の先生で教えを受けることが多い場合、直接には「先生」と付けてお呼びすることにしているものですから、直接でない場合も、統一!? してしまいます。

 
> たとえば私は前田さんより半回りほど年上です。その私を「東本さん」と呼び、前田さんを「前田先生」と敬称されるのはどういう事情からでしょうか?
>
 えーと・・・「東本さん」の場合、「差別」をしているわけではなく、メールだけのお付き合い!? なので、年齢、お顔(は関係ない?)、その他情報が無いものですから、ついつい普通の!? 一般的な「さん」の呼称をつけているだけなのですけど・・・



> 本MLは人権や市民的な権利、社会的なマイノリティーの権利などのために活動しているさまざまな市民運動、社会運動、民衆運動に関する情報や資料の交換、また、意見の交換を目的として立ち上げられました。上記のような呼称の使い分けはそうした本MLの目的にふさわしくない行為だとおふたかたは思われませんか?
>
 そうですねぇ・・・もちろん、学校の先生でも親密な人には「先生」の呼称を付けて呼んでいるわけではなく、親密さの度合いもあり・・・んーーー、難しい・・・何時も「先生」の呼称で呼ばれている方にとっては、そうでないとご気分が悪いかな、わざわざご気分を悪くすることもあるまいし、なんて思ったりもしまして・・・その方の情報が無かった時に「さん」付けで呼んでいても、ある時に「先生」として活動してらっしゃることが分かり以後は「先生」と付けて呼んでいたりする場合もあります。

「先生」である方に「先生」と呼称を付けると、本MLの趣旨に反しますかしら? 



> 人間が対等な存在である以上、このような日常的な「差別」の体系(だと私は思うのですが)【注:上記のような呼称の使い分け】は、「人権と民主主義」という価値を尊ぼうということで
>
 「先生」である方に「先生」と呼称を付け、「先生」でない方には「さん」と「呼称の使い分け」をすることが『日常的な「差別」の体系』だと私は思わないのです。
 
 東本さんが恩師の方やお子さんがお世話になられたお医者さんを「先生」と呼ばれる一方で、私に対しては「増田さん」と「さん」付けにして「呼称の使い分け」をされることは、「差別」であり、「『人権と民主主義』という価値を尊」ばないことになっているのでしょうか? 私はそうは思わないのです。
 
 これは、個人の内心の問題でもあると思うのですが・・・個人の選択に任せていただけないでしょうか? 		 	   		  


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