[CML 002374] 羽澤ガーデンから歴史や景観を考えるフォーラム「坂路の雲」

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2009年 12月 18日 (金) 21:35:58 JST


 「羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会」が第2回フォーラム「坂路の雲〜漱石『満韓ところどころ』の百年」を2009年12月15日に東京都港区の国際文化会館・岩崎小彌太記念ホールで開催した。
 羽澤ガーデンは渋谷区広尾にある実業家・中村是公の旧屋敷である。大正期の和風建築を現代に伝える文化財であり、都心では稀有な緑地も提供している。ところが、この羽澤ガーデンを壊してマンションを建設する計画がある。これに対し、守る会は羽澤ガーデンの保存を求めて活動する団体である。
 今回のフォーラムは夏目漱石が親友の是公の招待で訪れた旧満州の旅行記「満韓ところどころ」を発表してから100年になることを記念するもの。折しも2009年11月29日からNHKで司馬遼太郎原作のドラマ「坂の上の雲」が放送され、その歴史観の妥当性が議論されている。そこで羽澤ガーデンの所有者の是公とその親友の漱石から日本の近代史を見つめ直す意味でフォーラムのタイトルを「坂路の雲」と名付けた。
 フォーラムは3部構成である。第1部「シンポジウム〜 辻井喬氏を囲んで 〜」では最初に詩人の辻井喬氏が講演した。辻井氏は「文学は政治から距離を置くべき」という発想があると指摘した。それが日本の文学を貧しくしている面がある。その空白を埋めて大勢の人に分かりやすい作品を書いたのが司馬遼太郎である。その司馬が「軍国主義を鼓吹しているように誤解される」ために映像化を拒否した作品が「坂の上の雲」である。この「坂の上の雲」を最近になって映像化することが理解できないと述べた。
 辻井氏は「坂の上の雲」によって「日露戦争の頃は前途に希望があった。坂の上に雲が輝いていた」というイメージが流布されることを疑問視する。それは「日露戦争の時は良かった。今の若者は何をやっているのか。あの時のようにならなければならない」ということに行き着きかねない。羽澤ガーデンの保存は懐かしさだけでなく、近現代史を再発見する手がかりにしていかなければならないと結んだ。
 辻井氏の講演を受け、3人のパネリストが意見を述べた。
 1番目は歴史家の半藤一利氏である。半藤氏は「坂の上の雲」で明治時代を良い時代とする誤解が広がることへの懸念を表明した。日本は日露戦争に勝利していない。当時の日本には戦争を続ける能力はなく、アメリカに仲介を依頼して、何とか戦争を終わらせたことが実態である。
 しかし、日露戦争に勝ったことにしたために、日本人は自惚れてしまい、アジアの人々を蔑視することになる。この日本を正しく認識しなければ破滅的な戦争に進んだことが理解できない。一方、漱石の「満韓ところどころ」にも朝鮮人や中国人への差別意識はあるが、当時の一般の日本人の差別意識から見れば相当抑えられていたと指摘した。
 2番目は元最高裁判事の園部逸夫氏である。園部氏は羽澤の地名の由来を説明した。さらに自らの軍隊体験から非人間的な旧軍組織の実情を語った。
 3番目は作家の黒井千次氏である。黒井氏は「満韓ところどころ」は読みやすく面白いとする。漱石の言葉遣いは独特である。漢字を読めない政治家と異なり、知り過ぎているために漢字の使い方が奔放である。続けて黒井氏は中国や韓国の作家の動向を説明した上で、現実と文学の関わりについて「文学の方に課題が多いのではないか」と問題提起した。
 第2部「トークオムニバス 私の是公と漱石」では是公の孫の有馬冨美子氏と漱石の孫の半藤末利子氏が祖父の貴重な逸話を語った。
 有馬氏は「祖母(是公の妻)は几帳面で、是公の身なりをきちんとさせていた」と語る。漱石が「いつも身なりがきちんとしていいね」と言ったところ、是公は「よくないよ、汚すと怒られる」と答えたという。
 半藤氏は「厳格で潔癖な漱石も是公には心を許し、是公からお金を借りたままでいることもあった」とする。是公は漱石の死後も漱石の家族を気にかけ、山鳥を毎年送ってくれたという。
 第3部「講演 羽澤ガーデンの美の文脈」では羽澤ガーデンの保存について議論した。最初に斎藤驍弁護士から司会をバトンタッチされた福川裕一・千葉大学大学院教授が江戸時代からの羽澤ガーデンの周辺環境をスライドで紹介した。
 前野まさる・東京芸術大学名誉教授は東京芸大赤レンガ1・2号館の保存活動を説明した上で、「文脈として大切なものは保存していかなければならない」と力説した。この場合、羽澤ガーデンの文脈が何かが問題になる。前野氏は「羽澤ガーデンは江戸の風景を背負っている」とし、「江戸から現代にかけての日本の都市のあり方を示したもの」と結論付けた。
 前野氏の主張を承けて小畑晴治・日本開発構想研究所理事が羽澤ガーデンの持つ江戸の景観の価値を説明した。まず小畑氏はガーデンシティを田園都市と訳すことは誤りとし、ガーデンシティは江戸の町をモデルにしていると指摘した。幕末の英国駐日大使オールコックは緑と調和した江戸の町の美しさを絶賛した。同じく幕末の日本を訪れた英国の植物学者ロバート・フォーチュンは庶民が狭い路地でも庶民が園芸を楽しんでいることに驚いている。
 このように江戸の景観美は海外からも高く評価されていた。しかし、明治政府が江戸時代的な要素を否定すべきもの、劣ったものと逆喧伝したために肝心の日本では忘れ去られてしまった。これからの都市には日本庭園的な発想が必要であるとまとめた。
 続いて鞆の浦(とものうら)住民代表の松居秀子氏が住民運動の連携の意義を語った。画期的な差止判決を出した鞆の浦の住民運動には20年の歴史がある。その歴史の中で全国的に取り上げられるようになったのは最近である。同じように重要でありながら全国的なマスメディアから無視されている運動は数多い。過疎化を問題視する声があるが、これから日本全体が過疎化していくのに都市の真似をして開発しても仕方がない。住民運動同士が手を携えて開発優先・住民運動軽視の傾向を変えていければと語った。
 これを踏まえて、前野氏は江戸時代の港湾施設のある鞆の浦と武家屋敷の伝統を活かした羽澤ガーデンには江戸の景観という共通点があると指摘した。また、斎藤弁護士は公共事業差止判決で勝訴した鞆の浦と近隣住民による裁判や反対運動でマンション建設工事を停止させている羽澤ガーデンが手を結ぶことには大きな意義があると述べた。
 歴史や文化・景観など多岐に渡ったフォーラムは羽澤ガーデンの重要文化財への指定を要望するステートメントを発表して幕を閉じた。林田力
http://www.news.janjan.jp/living/0912/0912174483/1.php
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