[CML 002306] 明日、東京大空襲訴訟判決〜中山武敏・東京大空襲訴訟弁護団長から

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2009年 12月 13日 (日) 12:29:58 JST


東京大空襲訴訟弁護団長の中山武敏さんから明日12月14日にある東京大空襲訴訟判決のお知
らせをいただきました。そのお知らせによると、東京新聞は今日12月13日の朝刊で「戦争犠牲は
国民が等しく受忍すべき ―最高裁判例に挑む―」という1頁の特集を組んでいるようです。その特
集記事の中から中山武敏同弁護団長の「受忍論は憲法に背く」という原稿を下記に紹介させていた
だきたいと思います。

なお、昨年2008年10月24日の同訴訟公判に提出された作家、早乙女勝元さんの「陳述書」の
一部(ほんの一部です)も下記に抜粋させていただこうと思います。「私は、つらさに耐えてあの夜の
ことを話してくれた人のために、そしてものいわぬ死者のために、私の人間としての執念のすべてを
こめて書きました」という早乙女勝元さんが『東京大空襲−昭和20年3月10日の記録』(岩波新書、
1971年)を書くに到った思い、東京大空襲訴訟にかける早乙女さんの思い、そして原告5人の方々
の思いのほんの幾ばくかでもお伝えすることができれば、と思うからです。「陳述書」の全文をご紹介
できないのは残念ですが、早乙女さんが12歳の少年のときに東京大空襲を自ら体験してからもう
六十有余年、その執念のような思いが「陳述書」になっているように思います。私は同「陳述書」を
早乙女さんのもうひとつの文学として読みました。

中山武敏弁護団長がおっしゃるように「明日の判決の結果いかんにかかわらずこの訴訟は東京高
裁、最高裁までみすえた訴訟になる」と思われます。が、ともあれ、まず明日の判決を注目したいと
思います。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp

以下、転載です。
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転送歓迎。明日、東京大空襲訴訟判決です。今朝の東京新聞が「戦争犠牲は国民が等しく受忍す
べき ―最高裁判例に挑む―」との見出しで1頁の特集を組んでいます。5名の原告の被害実情と
私の原稿 ―受忍論は憲法に背く― を掲載しています。全記事の送信の方法が解かりませんので
私の原稿のみ添付資料で送信します。明日の判決の結果いかんにかかわらずこの訴訟は東京高
裁、最高裁までみすえた訴訟になるとおもいます。民間人空襲被害者の早期の救済を求めての立
法化運動も始まっています。ご支援いただければ幸いです。
                                       中山 武敏 2009年12月13日

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受忍論は憲法に背く(東京新聞 2009年12月13日) 中山武敏弁護団長
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 東京大空襲の被害は六十数年の時が経過した現在も、なお癒えぬ傷と悲しみが続いています。
国は、民間人被害者を軍人・軍属と差別して救済せず、放置したままです。百三十一人の原告ら
は「死ぬに死にきれない」との思いで、人間の尊厳の回復を求めて集団提訴しました。

 国は、「戦争犠牲ないし戦争損害は、国の非常事態のもとでは、国民の等しく受忍(我慢)しなけ
ればならないところで、これに対する補償は憲法の全く予想しないところというべき」という一九八
七年の名古屋空襲訴訟最高裁判決を引用、原告らの請求は認められないと主張しています。

 しかし、こうした「戦争被害受忍論」は、国家に命をささげて当然とする旧憲法的人権感覚に基
づくもので、平和主義、基本的人権の尊重を基本原理とする憲法の理念とは相いれません。憲法
前文の「平和のうちに生きる権利」、九条の「戦争の放棄」、一三条の「生命、自由及び幸福追求
に対する国民の権利」、一四条の「法の下の平等」、 一七条の「国家賠償責任」、二五条の「国
民の生存権・国の社会保障義務」を含む各規定からは、受忍論は到底是認されないものです。

 戦争で死亡や負傷しても市民は受忍しなければならないとの法理は現代市民法にはありません。
憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」して制定
されました。戦後、政府の第一の任務は内外の戦争犠牲・損害に対し、補償責任を果たすことでし
た。憲法の理念に立てば、国は空襲被害者を救済する法的責任を負っています。実際に軍人・軍
属だけではなく、原爆被爆者、満州開拓団員日赤従軍看護師、シベリア抑留者など、一般戦災者
にも補償が拡大されてきました。

 中国残留孤児も支援法で援護され、残留孤児訴訟を受けて同法が改正され、二〇〇八年から
新たな支援策が始まりました。民間人空襲被害者にだけ「等しく受忍せよ」との受忍論の不条理は
明らかです。

 戦争被害に対する国家補償制度の国際的な原則も「国民平等主義」(軍人・軍属等と民間人を
区別しないこと)と「内外人平等主義」(国籍による差別をしないこと)です。受忍論は時代錯誤の
論理で法的正当性を有していません。

 裁判所は受忍論にくみすることなく、人権擁護の「最後の砦」としての役割が求められています。
裁判の結果にかかわらず、国会は空襲被害者を援護する法律の早期制定が必要です。原告の
平均年齢は七十七歳、救済が急がれます。(中山武敏弁護団長)
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平成20年10月24日 陳述書(一部抜粋) 早乙女勝元
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1 経歴等
 私の経歴,著作は添付の経歴・著作一覧表に記載しているとおりです。12歳のとき 東京大空
襲を自ら体験し,3月10日の火の海を脱出し,奇跡的に一命をとりとめました。そのことが私の
作家としての原点になっています。

 働きながら文学を志し,18歳の自分史「下町の故郷」が第1作で,第2作が「ハ−モニカ工場」,
これまでに100冊以上の著作が出版されています。

 1970年(昭和45年)に家永三郎氏の協力により,東京大空襲の記録運動を提唱しました。作
家有馬頼義,評論家松浦総三氏らとともに「東京空襲を記録する会」(以下「記録する会」という。)
を発足させました。

(中略)

 体験記録募集から体験記締め切りの71年(昭和46年)8月15日まで,計844編,400字原
稿用紙で1万1000枚となった。その内訳は3月10日の記録が420通で約6000枚,その他の
空襲の記録が460通で約5000枚でした。

(中略)

 第1巻の発行が73年(昭和48年)3月10日,第5巻の発行が74年(昭和49 年)3月20日で,
「東京大空襲・戦災誌」全5巻は菊池寛賞,日本ジャ−ナリスト会議奨励賞を受賞しました。

 第1巻の3・10日の記録集の中から18名の要約内容を添付します。(注:省略)

 「記録する会」は,東京大空襲・戦災の文献や物品を広く収集してきましたが,東京都の「平和
祈念館」建設計画が凍結となったことから,「記録する会」と財団法人政治 経済研究所は民間
募金を呼びかけ,4000名を超える人々の協力により,2002年3月9日に戦禍のもっとも大き
かった江東区北砂に東京大空襲・戦災資料センタ−を完成させることができました。私は同セン
タ−の館長に就任し,展示を充実させ,戦争被 害の調査・研究をすすめ,民間人の蒙った戦
禍を風化させることなく未来に継承し,平和を願う人々の交流にも役立つことを願って運営にあ
たっています。

 私の著作「東京大空襲−昭和20年3月10日の記録」(岩波新書)(甲B1)は,71年(昭和46
年)に出版され,現在まで49刷発行で50万部以上は発行され,ベストセラ−になり,日本ジャ
ーナリスト会議奨励賞を受賞しました。

私は同著序章「傷痕は今なお深く」で,「私は,戦後二五年目のこの夏,ノ−トにボ−ルペンを手
にして,毎日のように,東京空襲の,主として三月一〇の大空襲の遺族をたずねて歩いた。人
づてに,あるいは直接に。その数は二〇名をこえるだろう。ずいぶん門前払いをくらわせられた。
また,私の真意を受けとめ,話したくない話しをうちあけてくれた人も,一人として平静だった人
はいない。みな申しあわせたように話しの途中で絶句し,私はペンを片手に,顔を上げることが
できなかった。傷は,それほどまでに深いのだ。この人たちにとっては,この世に生きてあるか
ぎり,その傷は癒えず,戦後は絶対に終わることがないだろう。」と書いています。

 同著には,当時12歳の少年の私をふくめ,警視庁カメラマンだった石川光陽氏をのぞいて,
8人の下町庶民が登場します。話す方もきくほうもつらかった。私は,この8人の名もなき庶民の
生き証言を通じて,“みな殺し”無差別絨毯爆撃の夜に迫りました。私は,猛火の中を逃げまど
い,かろうじて生き残った一人として,人間の義務として,あの夜の惨状を復元し,戦禍の真相
を活字にとどめておきたいと思いました。

 私は,つらさに耐えてあの夜のことを話してくれた人のために,そしてものいわぬ死者のため
に,私の人間としての執念のすべてをこめて書きました。
(以下略)
…………………………………………………………………………………………………………
(了)


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