[CML 025656] 防潮堤から見える風景 NPO法人「森は海の恋人」理事・田中克さんほか

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2013年 7月 31日 (水) 01:48:30 JST


新聞記事
朝日新聞・WEB
2013.7.30

防潮堤から見える風景 大棒秀一さん、田中克さん
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307290554.html?ref=pcviewer

まるで要塞のような巨大防潮堤の建設工事が、津波に襲われた東北沿岸の
各地で始まっている。
しかし、海とともに生きる人々には抵抗感も根強い。
それでも進む巨大プロジェクトで何が得られ、何を失うのか。これでいいのか。

 ■海と生きる人の選択、大切に NPO法人「森は海の恋人」理事・田中克さん

 「防潮堤はいらない」と決めた地区が、宮城県気仙沼市にあります。
カキ漁師らの植林運動で知られるNPO法人「森は海の恋人」が拠点とする舞根
(もうね)地区です。

 もともと防潮堤はなく、今回も津波で52軒のうち44軒が流されました。
それでも、ここに残ると決めた36軒の皆さんが、高さ10メートル近い防潮堤なんて 

「いらない」と決めたのです。
それは「海とともに生きていく」という宣言ともいえます。
何より海が見えなくなる。
景色が台無しになる。
心地よい風も奪われてしまう。
一致して近くの高台に移転することを決め、市も住民の意思を受け入れて、
防潮堤計画は撤回されました。

 <アサリが戻った> 
震災後、私は何度も舞根を訪れ、海の生態調査を続けてきました。
すると去年1月、地盤が70センチ沈下して海水につかるようになった岸壁に、
アサリの稚貝が一斉に現れたのです。
殻にくっきり黒い筋が入ったアサリの親も見つけました。
海が濁って非常に苦しい環境の中で、殻を閉じ、絶食して生き延びた。
そのときにできた斑紋だと思います。
その生命力、適応力はすごいと思いました。

 住民に報告したら皆さん、ものすごく元気になられた。
昔、浜でとっていたアサリが戻ってきたのかと、お年寄りもとても喜ばれました。
舞根が防潮堤を拒否できたのは、地区が小さく若いリーダーがいたこともあり
ますが、「海が戻ってくる」「また海と生きていける」という確信を早くから持てた
からでもあるのです。

 ただ、これは極めて珍しい例外です。
いま東北では、人が住む浜という浜で続々と、巨大防潮堤の工事が始まり
つつあります。

 一番の問題は、コンクリートの巨大な塊が陸と海とのつながりを断ってしまう
ことです。
津波に押し倒されないよう、従来の垂直型と違って今回は底がとても広い山型
になる。
矢板を相当深く打ち込めば、地下を通る水まで遮断されます。
気仙沼市の場合、高さ4・5メートルだった壁は最大14・7メートル、総延長も
かなり延びるのです。

 宮城県の意向を受けた市は昨夏、各地で住民に「高さは国が決めたもので
変更できない」「つくらないと後背地の開発はできない」「2015年度末までの
時限予算なので話し合う時間はない」という趣旨の説明をしました。
問答無用という感じで、多くの住民が無力感に襲われたのです。


 <議論尽くさぬ県> 
日本は戦後、自然の海岸線を次々につぶしてきました。
埋め立てて工業団地に変え、人工護岸にして道路をつくった。
経済的な豊かさを求め、自然と生きる幸せを犠牲にしてきたわけです。
その結果、森と海のつながりが失われ、森の恵みが海に届かなくなった。
プランクトンが減り、アサリも魚も収穫量は激減しました。
今回戻ってきたアサリは、私たちに「そんなやり方を続けていていいのか」と
問うている気がします。

 巨大防潮堤は確かに、物理的には命を守ってくれるかもしれない。
しかし、そこに暮らす人が毎日、巨大なコンクリート壁を眺めて幸せでしょうか。
心豊かに生きていけるでしょうか。
しかも、今後100年を見据えたもののはずなのに、コンクリートは50年程度
しかもたないんですよ。

 県はトップダウンで、一律の計画を押しつけようとしています。
予算を武器に「言うとおりつくれ」と脅す格好です。
議論を尽くさず、合意も得られぬまま拙速に進めては、人と人、人と自然、
自然と自然、すべてのつながりが断ち切られてしまいかねません。
そうなってでも防潮堤で守る命とは、いったい何なのか。

 地域ごとに、地形も暮らしも条件は様々。
それぞれに、ふさわしい防潮堤があるはずです。
がれきを埋め立てた小山の上に、様々な樹木を植える「森の防潮堤」という
選択肢もある。
不要という判断もあるかもしれません。
地元住民の意思を踏まえ、市町村自らが決める仕組みにすべきなのです。

 海辺に暮らし、津波で大きな被害を受け、それでも海とともに生きていこうと
決めた人たちがいます。
その当事者の判断、経験をこそ、大切にしてほしい。
いま問われているのは、足元の民主主義が本物かどうかだと思います。

 (聞き手・萩一晶)

 
 たなかまさる
 43年生まれ。国際高等研究所チーフリサーチフェロー、京都大学名誉教授。
森から海までの多様なつながりを研究する「森里海連環学」を03年に提唱。


 ■制度の谷間で地域にほころび NPO「立ち上がるぞ! 宮古市田老」
理事長・大棒秀一さん

 私が暮らす岩手県の旧田老町(現宮古市)では、県が防潮堤のかさ上げ
工事を計画しています。
倒れた高さ10メートルの防潮堤を14・7メートルにする、というものです。
田老の町は、大津波で大半の家が流されてしまい、集落跡には雑草が生い
茂っています。

 <帰還希望は半数> 
今年初め、衝撃的な発表がありました。
市が田老の被災840世帯に今後の居住地を聞いたら「ほかの場所」が48%で、
「田老」の45%より多かった。
みんなで地域を再建するはずだったのに、現実は半数しか残らない。
個人商店の再建も難しくなってきた。

 震災から2年も過ぎ、今さら防潮堤で何を守るのか。やるせない
気持ちになります。

 防潮堤を一概に否定してはいません。
先祖が「万里の長城」と呼ばれる防潮堤を築いたことは誇りです。
ですが、あと何年もかかる防潮堤や高台住宅団地の完成を待てないんです。
育ち盛りの子どもがいれば、なおさらだ。
市の田老寄りの団地には震災後、田老出身者の新しい家が数十軒固まって
いて「田老村」と呼ばれています。

 明治津波(1896年)、昭和津波(1933年)に続き、また津波にやられた。
200人近くが亡くなった。
でも地域を再建した先祖の苦労を思えば、今度は俺たちがやらなきゃと
考えました。

 震災から4カ月後、仮設住宅の集会所で街づくりのNPOを立ち上げました。
防災学者や北海道奥尻町の元町長を呼んで勉強会をしたり、お盆には追悼
行事を開いたり。
何百人もの人が集まり、「さすがは田老」と言われました。
市の田老地区復興まちづくり検討会にも代表2人が参加しました。

 でもうまくいかなかった。
防潮堤の位置の変更や国道の移設などを提案したが、それは県や国の
業務で、市が口を挟めることではないという。
僕らも力不足でした。
「防潮堤より高台移転だ」などと住民側で意見を統一して、ぶつけることが
できませんでした。
議論するうちに、制度の難しさを知るばかりでした。
そのうちに住民が自分の生活再建を優先させ、地域にほころびが広がって
いるというのが現状です。NPOも解散論まで出ました。こんなはずじゃなかった。

 
 <浸水域に農業を> 
いまも防潮堤の高さ、ひとつとっても、多くの人が腹の中で疑問を持っています。
二重の防潮堤の海側を高くするのですが、今までとは違って内側の
防潮堤の頂上に登っても海は見えなくなる。
そのくせ、十分な高さかというと、東日本大震災の津波の16・3メートルより低い。 

「ハード対策には限界がある」という国の方針で、過去2番目クラスの津波の
高さに合わせられました。
田老でいえば昭和津波級だそうです。
土地をかさ上げして被害を防ぐといいますが、津波がまた越えてくるのでは、
やはり不安じゃないですか。

 地域の山側には、小学校や中学校、市総合事務所(旧町役場)、周辺の
家が一部浸水しながら残りました。
これらを守るためにも防潮堤がいる、といいます。
僕らは全面移転も主張しましたが、被害を受けていない施設の移転は、
国の補助対象外なんだそうです。
個々の計画には理屈があり、制度の谷間で行政マンが苦労していることも
分かっているのですが、結果的に住民を勇気づける計画になっていない。
残念です。

 昭和津波の時、国や県が高台移転を勧めたのに、当時の田老村長は
「漁師が高台に住めるか」と拒否。
村費で防潮堤建設に着手した。
その後、知事が折れて県工事になり、40年がかりで延長2・4キロの
「万里の長城」ができました。
国や県と戦って地域を再建したのです。
逃げやすいよう住民が土地を出し合い、碁盤の目のように道路も整備
してあります。

 今回も地域の意見をもとにハードが整備され、地域が再生できていれば、
と思います。
ただ、いつまでも市や県の批判ばかり言っても始まらない。
いま、NPOでは防潮堤で守られる浸水地域で農業振興を計画中です。
市の再生エネルギー構想の熱をつかい、高齢で漁に出にくくなった
お年寄りらの働き場、生きがいを提供するものです。
活動の場を地域の核にできないかと思っています。

 (聞き手 編集委員・伊藤智章)

  
 だいぼうしゅういち 
51年生まれ。2011年3月末、国立病院機構災害医療センター(東京都
立川市)の放射線技師を定年退職し、母の暮らす故郷の宮古市田老に
帰った。

 ◆キーワード

 <被災地の防潮堤>
 被災した岩手、宮城、福島3県で防潮堤を造り直すのは、東京電力
福島第一原発の半径20キロ圏内を除いて405カ所(1区間は
約20メートルから約9キロ)ある。
用地取得の難航などで計画は大幅に遅れており、着工は2013年3月
末現在、114カ所にとどまっている。
そのうちかさ上げするのは297カ所(震災前より0.1~9.2メートル)で、
防潮堤の高さは最大で16メートルとなる見通し。 



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