[AML 1443] 飯島愛子さん逝去
mikiyo kanou
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2005年 5月 8日 (日) 12:38:57 JST
加納実紀代と申します。
5月4日、ガン闘病中だった飯島愛子さんが亡くなりました。年若い、最愛の
パートナーと友人たちに見守られ、いいお顔をして逝きました。
連休中で新聞にも出ないし、市民運動や女性関連のメーリングリストにも出て
いないようです。それ自体、彼女がもはや「忘れられた人」であることの証明
なのかも知れませんが、日本の女性運動に果たした彼女の役割を思えば、それ
でいいとわたしには思えません。せめてこのmlの方たちには彼女のことを記
憶していていただきたくて、僭越ながら投稿させていただきます。(ほんとう
は、お通夜(6日)、告別式(7日)の前に投稿すべきだったのでしょうが、
気が回りませんでした。)
いまにつながる日本のフェミニズム運動は、1970年のウーマン・リブ
(Women's Liberation)に始まりますが、その突破口を開いたのは、70年2月
にだされた「侵略=差別とたたかうアジア婦人会議」開催のアピールだったと
わたしは思っています。
当時日本はアメリカのアジア戦略のなかで、高度経済成長を謳歌していました
が、その背景にはアジアへの経済侵略がありました。かつての侵略戦争の責任
もとらないまま。
「侵略=差別とたたかうアジア婦人会議」はそうした状況を踏まえ、それまで
の母親大会に象徴される被害者意識と母性主義にまみれた女性平和運動からの
脱却と、帝国主義化する日本社会における「男並み」平等ではない女性解放を
めざしたものですが、アピールには「社会変革のあとにつづく婦人解放ではな
く」ということばがあります。これは、女性運動の、階級闘争からの自立を宣
するものでした。
いまでは嗤われるでしょうが、それまでは社会主義革命が成立すれば自動的に
女も解放される、だから女は男性活動家の「銃後のつとめ」に励むべし・・と
されていたのです。それに公然とNONを突きつけたのがこのアピールであり、
その起草者が飯島さんでした。
その直後あたりから田中美津さんの「便所からの解放」やウルフの会の『女か
ら女たちへ』が出され、8月の「侵略=差別とたたかうアジア婦人会議」を経
て、10月にいよいよリブ登場・・・という流れをみると、やはり飯島さんの果
たした役割の大きさをおもいます。
最近、山上千恵子・瀬山紀子さんによってビデオ「30年のシスターフッド
70年代ウーマンリブの女たち」が制作され、リブの清新な息吹をあらためて伝
えてくれています。しかし、そのなかに飯島さんの姿はありません。
ウーマン・リブは世界同時多発的な運動であり、日本でも多様な流れがありま
す。それを認め合うところにこれまでの運動とちがうリブの意義があると思う
ので、源流さがしはナンセンス。でも現在のアメリカ主導の世界状況を見ると
き、帝国主義とジェンダーの問題に正面から取り組んだ飯島さんの<リブ>に
学ぶことは多いとわたしは思います。
飯島さんは、その<リブ>にいたる軌跡と思想的営為を示す本を準備中でし
た。病状悪化で尻切れトンボになってしまいましたが、友人たちの協力で何と
か近いうちに刊行できると思います(インパクト出版会)。その折りには手に
とっていただけると嬉しいです。
読んでいただいて、ありがとうございました。
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