[AML 1428] Re: 「脱線事故をめぐる日本社会:なぜコンセンサスを強要するのか?

taeko yokoyama yokoyaty at ny.thn.ne.jp
2005年 5月 7日 (土) 19:52:06 JST


横山@入試制度廃止論です。

「脱線事故をめぐる日本社会:なぜコンセンサスを強要するのか?」に同感です。

JR西日本の凄惨な事故!
人の心を無視したゆえに当然発生した事故発生のメカニズムがここにある。
事故後の人の心のプラスとマイナス方面への現れかた。(置石をして他者の不幸を願う、これもまた人の心です)
その心を一方的に糾弾し報道する、人の感情に訴えるメディア人の狂気。彼らの狂気に翻弄される無思考の日本人。

謝罪させる人も、謝罪する人も、立場が変われば、入れ替わっていたかもしれないとは考えない。事故に巻き込まれた側の人も、立場が変われば、加害者側にたっていたかもしれないし、その逆だってありえる。みんな、日本社会が善として定める価値観のなかで生かされてきているのではないのか。

自分たちを動かしている邪悪なダイナモには気づかない。日本カンパニー(教育も含む)という大きな組織のなかで、一つの歯車として育てられてきた日本人。一秒は人生そのものだと条件づけられてきた日本人。「不可能を可能にするのはお前たちの努力だ。そのためには寝ないで頑張れ。自己を超越したものこそが栄光を勝ち取る!」・・・誰でもこういう言葉を一度は聞いたことがあるはずである。日本人はこういう嘘の世界で生きているといっても過言ではないだろう。嘘を言っていないか、ひとりひとり、自分の胸に手をあてて考えてみるべきである。

日本人はすでの条件づけられている。この条件づけが日本人から剥がれるためには、大きなエネルギーが必要なのかもしれない。このことを、今回の事故は私たちに、事故発生のメカニズムjを教えようとしているのかもしれない。しかし、これくらいのエネルギーでは日本人は気づきそうもない。

ああいう惨事よりも不条理かつすさまじいのが戦争ではないのか? あるいは原発事故ではないのか? それなのに、日本人は改憲作業が着々と行われていることに気づかない。気づかないのは、気づかせようとしないメディア機構があるからだ。

真の加害者は謝罪している人々ではなく(JR西日本経営者に責任はないという意味ではない)、彼らもまた日本社会が強制する価値観の被害者であるということに気づかせないメディアのありかたこそに問題があるのである。あえて言いたい。誰にも気づかせないようにしている最大の嘘つきはメディア人だ。事件で食っているジャーナリストやコメンテータのありかたこそ、私たちが問題にするべきことである。人の恨みを増大し矮小なことに焦点をあて肥大させ、元凶を語らない一番の大嘘つきは誰だ?




----- Original Message ----- 
From: "kolin Kobayashi" <kolinko at wanadoo.fr>
To: "Alternative Information for People's Movements Mailing List" 
<aml at list.jca.apc.org>
Sent: Saturday, May 07, 2005 5:50 PM
Subject: [AML 1427] 「脱線事故をめぐる日本社会:なぜコンセンサスを強要するのか?


> コリン@グローバル・ウォッチです。
> 以下、掲載されるか分かりませんが、今朝、朝日新聞に送った投稿です。
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> 「脱線事故をめぐる日本社会:なぜコンセンサスを強要するのか?」
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>  この度の福知山線の脱線事故は大変いたましいものだった。この事故の教訓から、JRが安全対策を根本的に見直さねばならないのは申すまでもないが、私 はむしろこの事件の事後をめぐって吹き荒れ 
> ている社会の空気の流れ、それをあおり立てるマスコミの論調にたいへん危惧を感じざるをえない。
>  車両に同乗していたJRの乗務員が救出作業に参加しなかったからといって、非難される。電車区に戻らざるを得ない事情もあったかもしれない。すべての 人が救出に関わらねばならない義務はない。 
> 物理的な理由でそうしないほうがいい場合もある。またこれは、事故が起きたときにどのような立場を取るべき か,社員教育と個々人の倫理的判断による。ここまではまだ議論の 
> 余地がある。しかし,その先、JRの社員たちがサークルの催しがあったからといって、な 
>  ぜ非難されねばならないのだろう。JRの社員は家に帰って喪に服し,全員、蟄居していなければならないのだろうか?大事故があったからといって、他の 人々の人生は、そこですべてストップしなければいけないのだろうか。戦後、一億総懺悔という言葉があったが、それが真っ先に頭に浮かんだ。犠牲者の方々 に同情を寄せ、個々人が個々人の判断で倫理的に様々な行動を控えるることと、そうすべきというコンセンサスを上から一方的に人々に押しつけることとは別 問題である。日本社会のこのような風潮、またそのように、JRの社員の一人一人の行動まで取材して、すべての人に罪責感を与えようとするマスコミの傾向 こそ,憂慮しなければならないのではないだろうか。>  非難されねばならないのは、安全管理を怠ったJRの経営陣である。それをJRすべての社員を犯罪者のように見る風潮、またそうした傾向をあおっている マスコミのあり方に、根本的な疑問を呈しなければならない。このような強制的なコンセンサスを許すような社会の雰囲気が、ミスを犯した職員に日勤教育な ど信じがたい非人間的
 ないじめ教育を可能にしているのである。他者と異なっていてはいけないという風潮、村八分の風潮、みんなで少数者をいじめる傾向、 このような圧力こそ、日本の多くの若者を自殺に追いやっているのだ。私の住むフランスでも「黒い羊」と呼ぶことがあるが、「黒い羊」でなぜ悪いのだろう か。人間はそれぞれ色の異なった羊である。>>>


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