[AML 1427] 「脱線事故をめぐる日本社会:なぜコンセンサスを強要するのか?
kolin Kobayashi
kolinko at wanadoo.fr
2005年 5月 7日 (土) 17:50:00 JST
コリン@グローバル・ウォッチです。
以下、掲載されるか分かりませんが、今朝、朝日新聞に送った投稿です。
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「脱線事故をめぐる日本社会:なぜコンセンサスを強要するのか?」
この度の福知山線の脱線事故は大変いたましいものだった。この事故の教訓から、JRが安全対策を根本的に見直さねばならないのは申すまでもないが、私
はむしろこの事件の事後をめぐって吹き荒れている社会の空気の流れ、それをあおり立てるマスコミの論調にたいへん危惧を感じざるをえない。
車両に同乗していたJRの乗務員が救出作業に参加しなかったからといって、非難される。電車区に戻らざるを得ない事情もあったかもしれない。すべての
人が救出に関わらねばならない義務はない。物理的な理由でそうしないほうがいい場合もある。またこれは、事故が起きたときにどのような立場を取るべき
か,社員教育と個々人の倫理的判断による。ここまではまだ議論の余地がある。しかし,その先、JRの社員たちがサークルの催しがあったからといって、な
ぜ非難されねばならないのだろう。JRの社員は家に帰って喪に服し,全員、蟄居していなければならないのだろうか?大事故があったからといって、他の
人々の人生は、そこですべてストップしなければいけないのだろうか。戦後、一億総懺悔という言葉があったが、それが真っ先に頭に浮かんだ。犠牲者の方々
に同情を寄せ、個々人が個々人の判断で倫理的に様々な行動を控えるることと、そうすべきというコンセンサスを上から一方的に人々に押しつけることとは別
問題である。日本社会のこのような風潮、またそのように、JRの社員の一人一人の行動まで取材して、すべての人に罪責感を与えようとするマスコミの傾向
こそ,憂慮しなければならないのではないだろうか。
非難されねばならないのは、安全管理を怠ったJRの経営陣である。それをJRすべての社員を犯罪者のように見る風潮、またそうした傾向をあおっている
マスコミのあり方に、根本的な疑問を呈しなければならない。このような強制的なコンセンサスを許すような社会の雰囲気が、ミスを犯した職員に日勤教育な
ど信じがたい非人間的ないじめ教育を可能にしているのである。他者と異なっていてはいけないという風潮、村八分の風潮、みんなで少数者をいじめる傾向、
このような圧力こそ、日本の多くの若者を自殺に追いやっているのだ。私の住むフランスでも「黒い羊」と呼ぶことがあるが、「黒い羊」でなぜ悪いのだろう
か。人間はそれぞれ色の異なった羊である。
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