[AML 1416] 竹島=独島と『隠州視聴合記』、『大日本史』

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2005年 5月 6日 (金) 22:10:23 JST


  半月城です。Yahoo!会議室に書いた文を転載します。

  *****さん、はじめまして。
  日韓の政府間で『隠州視聴合記』の解釈が対立しているだけに、その原典に直接
あたり、実証的に研究を深めるのは意義深いことです。
  特に同書(1667)は地方政府の公文書という性格を有するだけに、もし同書におい
て竹島=独島が日本領であるという記述が明確であれば、これは日本政府にとって
「固有領土」の有力な根拠になります。そのため、かつての日本政府も同書を前面に
だしていました(注1)。
  逆に同書において、松島(竹島=独島)が異国の地であると判明すれば、これは日
本政府にとって打撃になります。同書は両刃(もろは)の剣といえます。

  ところがどうしたことか、最近の外務省のホームページにはもっとも「有力」な
根拠であるはずの『隠州視聴合記』の記述がまったくありません(注2)。ふしぎで
す。外務省は同書をもはや無益と判断したのでしょうか。
  さらに「竹島日本領派」の学者である塚本孝氏の「竹島=独島領有権問題」レ
ビューには『隠州視聴合記』の記述がないばかりか、はては外務省のブレーンであっ
た川上健三氏の著書は『隠州視聴合記』を日本領の根拠として扱いませんでした(注
3)。なにやら『隠州視聴合記』は日本にとって不利な材料ではないかと推測されま
す。
  その理由はふたつ考えられます。

【理由1】
  私は同書にある「知夫郡 焼火山縁起」の記述に注目しています。そこで竹島
(鬱陵島)は「伯耆国の大賈 村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す(注
4)」と書かれました。
  これから著者の斉藤豊仙は、磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくよ
うな島と理解していたことがわかります。朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航す
ることを江戸幕府から許された船をさします。
   そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西
地はこの州をもって限りとなす」の「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠
州になります。

【理由2】
  「大日本史」によれば、『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独
島)は隠岐国すなわち隠州付属ではないということが読みとれます。これについては
すでに詳述したので(注5)、ここでは要点のみを書きます。『大日本史』は隠岐国
についてこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
 隠岐の国、下、・・・
 およそ4島、分けて島前、島後という(隠州視聴合記、隠岐国図、属島は179
で、総称して隠岐小島という)。
 別に松島、竹島があり、これに属する(隠岐古記、隠岐紀行、案ずるに隠地郡の福
浦より松島に至るには海上69里、竹島に至るには100里4町である。韓人は竹島
を称して鬱陵島という。すでに竹島といい、松島といい、我が版図となした。智者を
待つが知れない。ついては、以て考えに備える)。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/dainihonshi.jpg
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  同書は『隠州視聴合記』の記述を引用したときは松島と竹島を隠岐国に入れず、
それと別に隠岐古記(1823)や隠岐紀行を引用してはじめて松島、竹島を隠岐国所属と
しました。しかも、それらの史料においてなぜ松島、竹島が「我が版図」になったの
かよくわからないので識者を待つと率直に記しました。
  これは、大谷家や村川家による竹島(鬱陵島)渡海事業、すなわち竹島(鬱陵
島)侵略の実績が長年つみかさねられた結果、隠岐国の人々が両島をおのずと隠岐国
所属と考えるようになったことを反映したと思われます。


【長久保赤水】
  以上のように『隠州視聴合記』からは、竹島や松島が隠岐国所属であるとするの
は困難であることが明確になりました。
  その考えは長久保赤水の地図に反映されました。赤水は『隠州視聴合記』を参考
にして「日本輿地路程全図」を作成しました。赤水図で竹島の脇に記された「見高麗
猶望雲州隠州」は、『隠州視聴合記』の記述「見高麗 如自雲州望隠岐」を引用した
とみられます。
  赤水は『隠州視聴合記』の解釈を踏襲してか「日本輿地路程全図」にて松島、竹
島を暗に異国領と表現しました。すなわち、幕府官許(1778)後の彩色した地図におい
て松島、竹島は異国同様に彩色されませんでした(注6)。

  それを推しすすめ、竹島(鬱陵島)を明確に朝鮮領と表現したのが林子平でし
た。子平は赤水図を参考にして『三国通覧図説』の付録「三国接壌図」を作成しまし
たが、そこにおいて竹島(鬱陵島)のわきに「朝鮮ノ持ニ」とわざわざ記しました
(注7)。竹島(鬱陵島)を朝鮮領と断定したことが明白です。
  なお同図では、松島(竹島=独島)が描かれたのかどうか判然としません。竹島(鬱
陵島)のそばの小島が松島でないのなら、松島は林子平の眼中になかったといえま
す。いずれにせよ、松島、竹島は異国という赤水の暗黙の認識に影響ありません。

  さらに、そうした長久保赤水の認識が『大日本史』に反映されたようでした。赤
水は「日本輿地路程全図」作製後は水戸藩において『大日本史』の地誌編纂にたずさ
わったようで、かれの子孫である長久保光明氏はこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『大日本史』の地理志草稿は赤水自筆の漢文体が10数冊残っている。天明6年
(1786)に赤水(70歳)は、地理志編修に従事し「彰考館編修」の職名で致仕(退官)
する81歳まで10年余りを侍講の傍ら、日本68か国の各郡村の由来・名所旧跡などの地
誌を 諸資料を閲覧して要約した。
 ・・・
  十数冊に及ぶ草稿は、詳し過ぎて『大日本史』には不採用となった。明治時代に
はいり栗田寛(彰考館編修のち東京大学教授)の新たな編修で、「国郡誌」の名称
で、大日本史に集録された(注8)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  赤水の彰考館時代の原稿をもとに『大日本史』の地誌が改めて編集されたようで
した。その際『隠岐古記』など、ポスト赤水の史料が加えられたようです。
  以上のように、『隠州視聴合記』の記述で松島、竹島は異国の地であるという解
釈が赤水図や『大日本史』に受けつがれたようでした。

  余談ですが、外務省のホームページは「竹島の領有権を確立していた(注2)」根
拠のひとつに赤水図をあげていますが、なんともコッケイです。以上のような考察か
らすれば、赤水は松島(竹島=独島)を異国の地と考えていたのですから。ここでも根
拠薄弱な史料を領有の根拠にしているようです。
  いろいろな史実が判明するにしたがい、かつての外務省の見解がしだいにくずれ
ていくようです。

(注1)塚本孝「竹島=独島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレン
ス』2002.6, P53
  日本政府の見解
 「『隠州視聴合紀』(1667年)も、松島(今の竹島)及び竹島(鬱陵島)をもって
日本の北西部の限界と見ている」
  半月城の補足ですが、同書は史料によっては『隠州視聴合記』と記されます。現
在は両方の表記が混用されます。

(注2)外務省ホームページ<竹島問題>の記述
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html
 <日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文
献、地図等により明白である。
(注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程
全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他にも明治
に至るまで多数の資料あり。)>

(注3)半月城通信<下條正男氏への批判、『隠州視聴合紀』>
http://www.han.org/a/half-moon/hm105.html#No.768
(注4)内閣文庫『隠州視聴合記』知夫郡焼火山縁起の記述
 「伯耆国之大賈 村川氏 自官賜朱印 致大舶於磯竹島」
(注5)半月城通信<于山国の歴史、『大日本史』2>
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.650
(注6)半月城通信<長久保赤水の地図>
http://www.han.org/a/half-moon/hm089.html#No.630
(注7)半月城通信<林子平の地図>
http://www.han.org/a/half-moon/hm068.html#No.451
(注8)長久保光明「長久保赤水の日本地図編集のあらまし」『歴史地理学』第127号
,P25

  (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/



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