[AML 1400] イスラマバード通信(5)

maeda at zokei.ac.jp maeda at zokei.ac.jp
2005年 5月 5日 (木) 13:52:20 JST


前田 朗です。
5月5日

4日は、一転して暖かな陽気の日でした。RAWA(アフガニスタン女性革命協会)の識字教室と高校を見学しました。

識字教室は、ペシャワルのなかでも比較的アフガン住民の多い住宅地(アフガン難民キャンプ以外の一般住宅地にも多くのアフガン人が住んでいます)にあります。1軒の家を借りて、成人女性のための教室を開いています。授業は午前中だけで、パシュトゥ語の読み書きを教えています。生徒の多くは一見して30−40代の女性で、学校に通う機会のなかった人たちですが、その中に学齢以前の子どもや学齢期の子どもも含まれます。学齢期の子どもは、親の考えなどにより(女の子は学校に通う必要がないと考える親がまだまだたくさんいる)学校には通っていないが、少なくとも読み書きできるようにここに通っています。RAWAの識字教室は無料ですから、親も反対はしないのでしょう。

高校も混雑した住宅地にあります。(孤児院やケーワ難民キャンプは周囲とは別の世界になっていますが、識字教室と高校は住宅地の中の普通の建物です)。昨年まで見学した高校とは別の高校です。狭い商店街を通り、路地を入って、建物の中に入ると、普通の一軒の家の部屋を区画して教室を作っています。どれも狭い部屋に子どもたちがひしめいています。ラワルピンディやケーワでも同じですが、机はありません。子どもたちは古びた小さないすに座っています。いすの足りないところでは床に座っています。1年から12年まであります。RAWAの学校は無料なので、とにかく学校に通いたい子どもがきています。一部はRAWAだからここにきていますが、多くはそうではないそうです。ここがなくなれば、ほかの学校は有
料ですから通えなくなります。ましてパキスタンの学校は高いので到底通えません。卒業生の一部はRAWAのサポーターになるそうです。

アフガニスタン政府に登録しているので、アフガニスタンの普通の教育課程と同じ授業をしています。壁にはカルザイの写真が一枚貼ってあります。反対の壁にはミーナやRAWAのポスターがたくさんあります。タリバン時代には、アフガニスタンの教育課程には独特のイスラムの授業が一学年に5つもあったそうですが、今は普通のコーランの授業を1つやるだけで、あとはダリ語、地理、算数、化学、歴史、英語などです。アフガン政府に登録しているので、ここを出れば高卒の資格になり、カブール大学の入試を受けることが出来ます(カブール大学は無料なので、難民が帰って受験することも出来ます。ただし超難関)。

午後にペシャワルからイスラマに戻りました。

5月3日の新聞The Newsにアフガン難民に関する記事が出ていました。1979年から増え始めた難民が最大時にはパキスタンで304万7225人になりました(国連難民高等弁務官事務所UNHCR調べ)。一般的には、アフガン難民600万、そのうち300万がパキスタン、残りがイラン、ウズベキスタン、タジキスタンなどと言われていましたが、UNHCRの数字でもパキスタン300万となっています。それが現在は150万と言われています。半分かえって、半分残っていることになります(または、いったん帰ったが、またパキスタンにきた)。

地域別では、

ペシャワル   60万8653人
クエッタ    34万2772人
ノウシェラ   22万9318人
イスラマバード  4万4637人
カラチ     13万1793人
ラホール     1万8295人

などです。男が51%、5歳以下の子どもが5%とのことです。

男が51%というのは以前何かで見たのとは大きく変わっています。難民には女性の比率が高いと言う話を記憶しています。というのも、ムジャヒディンやタリバンなど、アフガンに戻って戦っていた(殺しあっていた)のは男です。それが今では半分男と言うことは、一応戦いが終わっていることを反映しているのかもしれません。(一部の武装勢力がいて、いまでも米軍が空爆したり、戦闘が起きていますが。ちなみに数日前にもウルズガンで米軍の空爆で4人殺しています。)

5歳以下の子どもの比率も、私の記憶としては、もっと多かったはずなのですが、なぜか5%です。この理由はわかりません。

ペシャワルには、カチャガリ、ジェロザイ、ニューシャムシャトーなどの難民キャンプがたくさん残っています。カチャガリは半分かえって、家が壊され、整地して、ペシャワルの再開発が計画されています(町の中のGT通り沿いのいい場所に難民キャンプがあったので)。他方、山を越えたところにあったコトカイ難民キャンプはすべて帰還(または移動)して、閉鎖されたそうです(今回は行っていないので見ていません)。クエッタも難民キャンプの多いところです。

イスラマの4万4637人は「イスラマバードI−11」です。4日にペシャワルから戻ったときにも脇を通ってきましたが、やはり小さくなった印象です。あちこちの家がつぶれていた印象。最大時20万と言われたそうですが、以前きたときにも8万から10万とかいった大雑把な数字を聞いた記憶があります。正確な記憶ではありませんが、いずれにしても数が減っているのは確かです。

カラチやラホールの場合は、出稼ぎ労働者の状態で滞在している難民でしょう。ケーワ難民キャンプで聞いた話でも、男性の一部はカラチに行って働いていると言うことでした。

 




AML メーリングリストの案内