[AML 1394] イスラマバード通信(4)
maeda at zokei.ac.jp
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2005年 5月 4日 (水) 22:53:36 JST
前田 朗です。
5月4日s
5月3日のペシャワルは朝から雨で肌寒い日でした。この時期、昼間は暑い日が続くので夏服のわれわれにはかなり寒い。加えてポツポツ降る雨の中をあるきました。
3日は一日、ケーワ難民キャンプの見学でした。ケーワは、アフガンのジャララバード近くの村の名前です。そこから逃げてきた人たちが集まって難民キャンプ(村)をつくっています。キャンプは周囲を土壁で囲んでいるので中は独立のひとつの世界です。私は3度目です。以前聞いたときは、ケーワ村にRAWAから協力するようになり、やがて実質的にRAWAの拠点のひとつになったということでしたが、今回の話ではミーナが生きているときに、ケーワと接触があり、協力をはじめていたということです。最初は少数の人が暮らしていたところに徐々に逃げてきたらしく、大きな集落になっています(今は500世帯が居住)。ミーナが亡くなったのは1987年ですから、20年程前から形成された難民キャンプです。住民の多くは近く
にあるレンガ工場(パキスタン人経営)で安い給料で働かざるを得ません。一日はたらいて40ルピーとか(1ルピーは2円。安いレストランでケバブ一人前)。かつ、ここは国連難民高等弁務官事務所の登録をしていないキャンプなので、国連からの支援物資がなく、就職や移動に必要な許可証もないので苦労しているということです。
ケーワでは、まず女子校を見学。名前はハイスクールですが、1年生から12年生までいます。小学校から高校まで。男子校は授業が終わっていたので校舎のみ見学。さらに男子寮を見学。女子校と男子校には、ケーワの子どもや近くの難民キャンプの子どもが通っていますが、男子寮には孤児や親元を離れた子どもが住んでいます。
昼食後、RAWAの集会場で歓迎会がありました。女子生徒が英語で歓迎の挨拶。続いてやはり女子生徒たちが唄を歌い、さらに女子生徒が英語で演説。舞台に立つのは女子生徒ばかりですが、舞台の演題を動かしたり、照明・音響・撮影は男子生徒がやっていました。RAWA連からの答礼あいさつの後、大人による寸劇があって、最後に女子校校長からしめのあいさつでした。
ここも財政難のため、診療所は閉鎖していました。近くの別の難民キャンプにある診療所に通っていますが、ケーワにないので不便かつ苦労が多いということです。RAWAとRAWA連の今後の連帯関係について協議して、この日は終わり。
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